1990年前後の3ナンバー専用モデル5選
更新日:2024.09.09
※この記事には広告が含まれます
1990年前後といえば、日本中が好景気に沸いたバブル期でした。現在40~50歳代の方々は、当時の様子を鮮烈に覚えていらっしゃるのではないでしょうか?そんな時代の真っ只中、1989年に税制が見直され、それまでボディサイズによって高額だった3ナンバー車の税金が大幅に下がることを見越して、各メーカーは前年度から3ナンバー専用モデルを世に送り出します。今回は、そのなかでも代表的な5台をピックアップしてみました。
3ナンバー専用モデル:日産 シーマ(FPY31)
1988年にトヨタ クラウンに用意された3ナンバーモデルの対抗車として登場した日産 シーマ。初代はシーマという単一車種ではなく、セドリック、グロリアの上級車という位置付けで、車名もセドリック シーマ、グロリア シーマでした。
バブル絶頂期にデビューしたシーマは、380~510万円という高級車であったにもかかわらず、デビューされるやいなや1年間で36,400台も販売。高額商品が消費される当時の様子が、”シーマ現象”という言葉で表現されました。
初代シーマは、4ドアピラーレスハードトップのボディにV6 3.0Lで200psと255psの2種類のエンジンが搭載されました。
バブル絶頂期にデビューしたシーマは、380~510万円という高級車であったにもかかわらず、デビューされるやいなや1年間で36,400台も販売。高額商品が消費される当時の様子が、”シーマ現象”という言葉で表現されました。
初代シーマは、4ドアピラーレスハードトップのボディにV6 3.0Lで200psと255psの2種類のエンジンが搭載されました。
3ナンバー専用モデル:三菱 ディアマンテ
1990年にギャラン シグマ、エテルナ シグマ ハードトップの後継車として発売されました。
ディアマンテは、当時のこのクラスとしては珍しいFFの駆動方式で、4WDの設定もありました。また、マルチビジョンや三菱インテリジェントコックピットシステム、電子制御サスペンションに4WSなど、当時の最先端の装備が採用され、エンジンは3.0L、2.5L、2.0Lの3種類のV6エンジンが搭載されました。
1991年には、日本カー・オブ・ザ・イヤーも獲得しています。
ディアマンテは、当時のこのクラスとしては珍しいFFの駆動方式で、4WDの設定もありました。また、マルチビジョンや三菱インテリジェントコックピットシステム、電子制御サスペンションに4WSなど、当時の最先端の装備が採用され、エンジンは3.0L、2.5L、2.0Lの3種類のV6エンジンが搭載されました。
1991年には、日本カー・オブ・ザ・イヤーも獲得しています。
3ナンバー専用モデル:日産フェアレディZ(Z32)
1969年の初代発売から20年が経過した1989年に登場した4代目フェアレディZが、Z32型です。
デザインは、3代目までのロングノーズ・ショートデッキから、全幅1,790m(1,800mm)×全高1,250mm(1255mm)のワイド&ローな現代スポーツカーのイメージに変更され、V6 3.0Lのエンジンが搭載されました。※()は2by2
2シーターと後部座席のある2by2が用意され、ホイールベースおよび全長は、それぞれ異なる設定でした。ボディタイプは、当初はクーペとTバールーフ。後にコンバーチブルも設定されています。
同時期に発売されたトヨタスープラや三菱GTO等とともに、当時の若者たちの憧れのスポーツカーでした。
デザインは、3代目までのロングノーズ・ショートデッキから、全幅1,790m(1,800mm)×全高1,250mm(1255mm)のワイド&ローな現代スポーツカーのイメージに変更され、V6 3.0Lのエンジンが搭載されました。※()は2by2
2シーターと後部座席のある2by2が用意され、ホイールベースおよび全長は、それぞれ異なる設定でした。ボディタイプは、当初はクーペとTバールーフ。後にコンバーチブルも設定されています。
同時期に発売されたトヨタスープラや三菱GTO等とともに、当時の若者たちの憧れのスポーツカーでした。
3ナンバー専用モデル:ホンダ レジェンド(2代目)
ホンダ レジェンドは、アメリカで展開していた高級ブランド”アキュラ”の専用車種として1985年に登場。当初より3ナンバーボディでした。
その2代目は、上質な走りと優れた運動性能、安全性能を売りにホンダのフラッグシップとして1990年に登場し、エンジンは3.2LのV6を縦置きに搭載したFFミッドシップというエンジンレイアウトとされていました。
安全装備には、日本車初のシートベルトプリテンショナーや助手席用SRSエアバッグシステムが採用され、上級車にはトラクションコントロールまで装備されています。
その2代目は、上質な走りと優れた運動性能、安全性能を売りにホンダのフラッグシップとして1990年に登場し、エンジンは3.2LのV6を縦置きに搭載したFFミッドシップというエンジンレイアウトとされていました。
安全装備には、日本車初のシートベルトプリテンショナーや助手席用SRSエアバッグシステムが採用され、上級車にはトラクションコントロールまで装備されています。
3ナンバー専用モデル:マツダ アンフィニ RX-7(FD3S)
3代目RX-7は、1991年に当時のマツダの5チャンネル戦略のうちの1チャンネルであったアンフィニブランドから発売されました。
エンジンは、255psを発揮するシーケンシャルツインターボの13B型ロータリーエンジンが搭載され、初期型でもパワーウェイトレシオは5kg/psを切るというピュアスポーツカーと呼ぶに相応しい車でした。また、前後重量配分も50:50と理想的です。
走り屋が主人公の人気アニメ等でも頻繁に登場し、現在でも走行距離が少なく程度のいい極上中古車は、新車当時価格以上のプレミアム価格で取引されたりすることもあります。
エンジンは、255psを発揮するシーケンシャルツインターボの13B型ロータリーエンジンが搭載され、初期型でもパワーウェイトレシオは5kg/psを切るというピュアスポーツカーと呼ぶに相応しい車でした。また、前後重量配分も50:50と理想的です。
走り屋が主人公の人気アニメ等でも頻繁に登場し、現在でも走行距離が少なく程度のいい極上中古車は、新車当時価格以上のプレミアム価格で取引されたりすることもあります。
40~50歳代の方々には、非常に印象に残っている車が多いのではないでしょうか?
1990年前後のバブル期には、安いとはいえないこんな車たちが売れに売れていたのですね。