ローレル、セフィーロ等…バブル期の好調日産を支えた、魅力あるアッパーミドルカー4選
更新日:2024.09.09
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昭和後期から平成初期、日産はそれまでの低迷期を脱し、リベラルで自由なクルマ作りに邁進していました。シーマを始めとする高級車からスポーツカー、またアッパーミドルカーに至るまで、従前の踏襲にとらわれず新しい価値観、商品性の追及をここまでのびのびとやれていた時期はほかには見当たらないないかもしれません。2017年10月には、約40年前から無資格の従業員が完成検査をしていたことが表沙汰になり問題になっている日産ですが、それを差し引いても日産の当時の車作りにはキラリと輝いたものがあったことも事実として認識しておきましょう。
「A31セフィーロ」は従前の踏襲に見切りをつけた
キーワードは「くうねるあそぶ」…セフィーロは、新ジャンルの大人向けサルーンでした。
新ジャンルと表現する理由は、それまでの大人向けサルーンといえば、カクカクのデザインに立派なメッキグリル、装飾、アクセサリー、またワインレッドの豪華絢爛なソファーのようなインテリアなど、一種の定形が確立され、同時にその価値観から抜け出せないという問題、というより不満を抱えていたのです。
そうした”ダンナ趣味”のアッパーミドルカーとは決別しようと企画されたのが、このセフィーロだったと思います。
丸みを帯びたデザインに当時最新のプロジェクターヘッドライト、またエンジン、トランスミッション、インテリアを自由に組み合わせのできるコーディネートなど、さまざまな新機軸が盛り込まれました。ひと言で言うと、モダン。新しい感覚、センスに満ち溢れていました。
インテリアは、ホームスパンというザックリとした印象の生地を用い、それまでのフカフカなモケットとは一線を画す「ダンディー」。ややリッチな印象のベロア素材を使った「エレガント」、クールでモダンなモール織物の「モダン」といったバリエーションで、現代的で洗練されたものがチョイスされていました。
エンジンは、ご存知RB20DET。「クルージング」を筆頭に、ノンターボRB20DEを積んだ「ツーリング」、シングルカムのRB20Eの「タウンライド」。そしてのちに最終モデルとして2.5リッター版RB25DEと5段ATも加わります。
足廻りはフロントストラット、リアマルチリンクを基本に、ハイキャスⅡを組み込んだ「スポーツ」、可変ダンパーを組み合わせた「コンフォート」を設定。
これらそれぞれを自由に組み合わせることが可能で、ボディカラー、インテリアカラーも含めると、当初800を超える設定が可能だったのだとか。
気持ちの良いエンジンに素直な走り。この頃の日産の、ド定番を地で行くようなセフィーロ。従前の価値観をブチ壊したその功績は、計り知れないものがありました。まさに時代の変革期を象徴するようなクルマでした。
新ジャンルと表現する理由は、それまでの大人向けサルーンといえば、カクカクのデザインに立派なメッキグリル、装飾、アクセサリー、またワインレッドの豪華絢爛なソファーのようなインテリアなど、一種の定形が確立され、同時にその価値観から抜け出せないという問題、というより不満を抱えていたのです。
そうした”ダンナ趣味”のアッパーミドルカーとは決別しようと企画されたのが、このセフィーロだったと思います。
丸みを帯びたデザインに当時最新のプロジェクターヘッドライト、またエンジン、トランスミッション、インテリアを自由に組み合わせのできるコーディネートなど、さまざまな新機軸が盛り込まれました。ひと言で言うと、モダン。新しい感覚、センスに満ち溢れていました。
インテリアは、ホームスパンというザックリとした印象の生地を用い、それまでのフカフカなモケットとは一線を画す「ダンディー」。ややリッチな印象のベロア素材を使った「エレガント」、クールでモダンなモール織物の「モダン」といったバリエーションで、現代的で洗練されたものがチョイスされていました。
エンジンは、ご存知RB20DET。「クルージング」を筆頭に、ノンターボRB20DEを積んだ「ツーリング」、シングルカムのRB20Eの「タウンライド」。そしてのちに最終モデルとして2.5リッター版RB25DEと5段ATも加わります。
足廻りはフロントストラット、リアマルチリンクを基本に、ハイキャスⅡを組み込んだ「スポーツ」、可変ダンパーを組み合わせた「コンフォート」を設定。
これらそれぞれを自由に組み合わせることが可能で、ボディカラー、インテリアカラーも含めると、当初800を超える設定が可能だったのだとか。
気持ちの良いエンジンに素直な走り。この頃の日産の、ド定番を地で行くようなセフィーロ。従前の価値観をブチ壊したその功績は、計り知れないものがありました。まさに時代の変革期を象徴するようなクルマでした。
「C33ローレル」は保守化を徹底
セフィーロがリベラルな生き方を体現する一方、ローレルでは、より保守本流のアッパーミドルカーを追求します。
キャラクターの明確化がはっきりとしたこの作り分けは、この頃の日産を成功に導いた大きな要素でした。ライバルのマークⅡ三兄弟がどれも似たような性格をもっていたこととは好対照です。
ピラーレスの4ドアハードトップだったC33ローレルのやや四角ばったデザインは、セフィーロを見たあとではやや古臭い印象もありました。
キャラクターの明確化がはっきりとしたこの作り分けは、この頃の日産を成功に導いた大きな要素でした。ライバルのマークⅡ三兄弟がどれも似たような性格をもっていたこととは好対照です。
ピラーレスの4ドアハードトップだったC33ローレルのやや四角ばったデザインは、セフィーロを見たあとではやや古臭い印象もありました。
エンジンは、セフィーロ同様、RB20DET、DE、Eの3種に、後年RB25DEと5段ATが加わるのもセフィーロと同じでした。ただし、ローレルには直6ディーゼルのRD28に直4のCA18もありました。
また、オプションなどでハイキャスⅡや可変ダンパーなどが選択でき、またインテリアには、クラブLのオフホワイトの本革内装や、クラブSの焦げ茶色の「エクセーヌ(アルカンターラ)」を用い、まるでヨーロッパ、とくにイタリアのランチアを思わせるトラディショナルな設えとなっていたことも特徴。
落ち着いた外観やインテリアに比して、走りはセフィーロ同様軽快な印象で、ハンドルを握る楽しみを多くの大人たちが再認識したはずです。
従来、日産はこのクラスでもトヨタの後追いとも取れるようなクルマ作りに甘んじていましたが、セフィーロにしろ、ローレルにしろ、真っ向から異なる価値観のクルマをぶつけて、しかもそれがことごとく成功するという、見ているだけで気持ちの良い「仕事」を、当時の彼らはしていました。
また、オプションなどでハイキャスⅡや可変ダンパーなどが選択でき、またインテリアには、クラブLのオフホワイトの本革内装や、クラブSの焦げ茶色の「エクセーヌ(アルカンターラ)」を用い、まるでヨーロッパ、とくにイタリアのランチアを思わせるトラディショナルな設えとなっていたことも特徴。
落ち着いた外観やインテリアに比して、走りはセフィーロ同様軽快な印象で、ハンドルを握る楽しみを多くの大人たちが再認識したはずです。
従来、日産はこのクラスでもトヨタの後追いとも取れるようなクルマ作りに甘んじていましたが、セフィーロにしろ、ローレルにしろ、真っ向から異なる価値観のクルマをぶつけて、しかもそれがことごとく成功するという、見ているだけで気持ちの良い「仕事」を、当時の彼らはしていました。
「R32 スカイライン」は徹底したダイエットで名声を獲得
合理化策により、ローレルと姉妹車化され、年々大型化していくことがスカイラインの大きな課題でした。スポーツカーはなによりその姿が引き締まったアスリートのような体型であることが重要です。
また無駄な贅肉を落とすことが運動性向上をもたらすのは明らか…そこでR32型スカイラインが誕生します。
基本構造はローレルやセフィーロと共用部分はあるものの、かなり広範囲でスカイライン専用の設計とされました。フロントサスペンションにマルチリンクを用いのは、BMW3シリーズより早かったというのも注目です。
R32 スカイラインの魅力は、比較的軽量だったこと。サイズを小さくしたことでドライバーの意思に忠実に反応し、素直でしかもシャープ、まるで運転が上手くなったかのような錯覚をおぼえるほどの卓越した運動性能にあったと言えるでしょう。
スポーツカーにとって、小さいこと、軽いことがなにより正義であるということをR32 スカイラインは雄弁に語っていました。
ちなみにGT-Rを除くスカイラインのエンジンは、RB20系の3種と廉価版のCA18i型4気筒に加え、後にRB25+5段ATが追加されます。
どうしてもハイパワー、ハイパフォーマンスエンジンに目が行ってしまいがちですが、数々なものを試したなかでは、RB20Eのバランスの良さ、素直さ、気持ちよさが際立っていた印象です。
ただのSOHCで125馬力というスペックながら、機械としてのまとまり、馴染みやすさ、またパワーを使いきれる気持ちよさなどはこのエンジンならでは。ちょっとライトウェイトスポーツのような感覚。それでいて6気筒のスムーズさ。個人的にRB20Eを搭載するセダンGTEはR32のベストだったと思います。
このややアンダーパワーなエンジンが活きたのも、軽量設計の賜物と言えるでしょう。
GT-Rの素晴らしさは各方面で語り尽くされていますが、ベースのR32 スカイラインをあらためて検証すると、すばらしいバランス感覚、スポーツセダンとしての資質の高さは、もしかすると当時のBMW 3シリーズをを凌駕していたかも知れない、そんな気がします。
また無駄な贅肉を落とすことが運動性向上をもたらすのは明らか…そこでR32型スカイラインが誕生します。
基本構造はローレルやセフィーロと共用部分はあるものの、かなり広範囲でスカイライン専用の設計とされました。フロントサスペンションにマルチリンクを用いのは、BMW3シリーズより早かったというのも注目です。
R32 スカイラインの魅力は、比較的軽量だったこと。サイズを小さくしたことでドライバーの意思に忠実に反応し、素直でしかもシャープ、まるで運転が上手くなったかのような錯覚をおぼえるほどの卓越した運動性能にあったと言えるでしょう。
スポーツカーにとって、小さいこと、軽いことがなにより正義であるということをR32 スカイラインは雄弁に語っていました。
ちなみにGT-Rを除くスカイラインのエンジンは、RB20系の3種と廉価版のCA18i型4気筒に加え、後にRB25+5段ATが追加されます。
どうしてもハイパワー、ハイパフォーマンスエンジンに目が行ってしまいがちですが、数々なものを試したなかでは、RB20Eのバランスの良さ、素直さ、気持ちよさが際立っていた印象です。
ただのSOHCで125馬力というスペックながら、機械としてのまとまり、馴染みやすさ、またパワーを使いきれる気持ちよさなどはこのエンジンならでは。ちょっとライトウェイトスポーツのような感覚。それでいて6気筒のスムーズさ。個人的にRB20Eを搭載するセダンGTEはR32のベストだったと思います。
このややアンダーパワーなエンジンが活きたのも、軽量設計の賜物と言えるでしょう。
GT-Rの素晴らしさは各方面で語り尽くされていますが、ベースのR32 スカイラインをあらためて検証すると、すばらしいバランス感覚、スポーツセダンとしての資質の高さは、もしかすると当時のBMW 3シリーズをを凌駕していたかも知れない、そんな気がします。
「J30 マキシマ」は大人の感性が作り上げた、ザッツアッパーミドル
J30 マキシマは、ついに日本人には理解を得ることができないまま終わってしまった不遇のモデルです。
なにか目立つ付加価値を、あるいは飛び道具のような刺激性のある商品を、やはり当時の日本人は車に求めていました。しかし、マキシマでなにひとつ虚飾のないシンプルな装いに、高いクォリティと確かな基本性能、成熟した精神性を表現した当時の日産には拍手を送りたいです。
なにか目立つ付加価値を、あるいは飛び道具のような刺激性のある商品を、やはり当時の日本人は車に求めていました。しかし、マキシマでなにひとつ虚飾のないシンプルな装いに、高いクォリティと確かな基本性能、成熟した精神性を表現した当時の日産には拍手を送りたいです。
全長4,765mm×全幅1,765mm×全高1,400mmは、当時のセダンとしてはかなり背高なほう。FFレイアウトを用い居住性を重視したパッケージングは、セフィーロ、ローレル、スカイラインとは明らかに異なる合理性を追求したもので、その考え方ひとつ取ってもドライ、あるいはビジネスライク。スタイリングは当時の日産のコンセプトに則ったモダンなデザインでしたが、目立つような装飾を避け、落ち着いた雰囲気、また室内の調度をもって良しとする”控えめさ”が持ち味でした。
エンジンはVG30E、シングルカム160psを横置き。4段ATのみの設定。目立ったスペックではないものの、このエンジン、静か、なめらか、素直、という3点において高級車向けのユニットとしての資質の高さは以前から評価されていて、このクルマにもベストチョイスと言えました。
後年、新規にVE型という新エンジンを起こして搭載。これはツインカムの195psを誇り、まるでスポーツカーのような心地よいサウンドを発し快走するというクルマで、これもまた魅力的でした。
足回りはどちらかというと当時のブルーバードに近いもので、サスペンションストロークがたっぷりとしていて車体は常にフラット、しなやかにロールしながらそれでいてけっして退屈ではない走りを提供していたのは、やはり901運動の賜物でしょう。
マキシマはある程度の年齢に達した、ある意味物事を達観できる成熟した大人が認める本当のアッパーミドルカーでした。
しかし当時の日本人はそこまで成熟はしていなかったのかもしれません。バブルに熱狂しどちらかというと若々しい価値観で生きていた気がします。それでも日産がこのクルマを当時の日本に問うた、その多様性は、なんでもかんでも合理主義、利益主義に走る現在の日本ではなしえない、貴重な仕事ぶりだったのかもしれません。
これだけの魅力あるクルマたちが登場し、そして賞賛を得られたことはきっと胸のすく思いだったに違いありません。またそれを見ていたユーザーもその感覚に共鳴できたはずです。
新たな閉塞的時代に突入している日産ですが、誰もが共感し、胸のすくような車作りをふたたび作ってほしい。日産ファンならずとも、そう考える日本の車好きは多いのでは無いでしょうか?
エンジンはVG30E、シングルカム160psを横置き。4段ATのみの設定。目立ったスペックではないものの、このエンジン、静か、なめらか、素直、という3点において高級車向けのユニットとしての資質の高さは以前から評価されていて、このクルマにもベストチョイスと言えました。
後年、新規にVE型という新エンジンを起こして搭載。これはツインカムの195psを誇り、まるでスポーツカーのような心地よいサウンドを発し快走するというクルマで、これもまた魅力的でした。
足回りはどちらかというと当時のブルーバードに近いもので、サスペンションストロークがたっぷりとしていて車体は常にフラット、しなやかにロールしながらそれでいてけっして退屈ではない走りを提供していたのは、やはり901運動の賜物でしょう。
マキシマはある程度の年齢に達した、ある意味物事を達観できる成熟した大人が認める本当のアッパーミドルカーでした。
しかし当時の日本人はそこまで成熟はしていなかったのかもしれません。バブルに熱狂しどちらかというと若々しい価値観で生きていた気がします。それでも日産がこのクルマを当時の日本に問うた、その多様性は、なんでもかんでも合理主義、利益主義に走る現在の日本ではなしえない、貴重な仕事ぶりだったのかもしれません。
これだけの魅力あるクルマたちが登場し、そして賞賛を得られたことはきっと胸のすく思いだったに違いありません。またそれを見ていたユーザーもその感覚に共鳴できたはずです。
新たな閉塞的時代に突入している日産ですが、誰もが共感し、胸のすくような車作りをふたたび作ってほしい。日産ファンならずとも、そう考える日本の車好きは多いのでは無いでしょうか?