ダイハツ1980年代から1990年代にかけての、昭和の車を紹介!(1976年~1995年)
更新日:2024.09.09
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太平洋戦争以前から国産エンジンの開発など、日本の自動車産業にも影響を与えていたダイハツ。戦後は3輪トラック(オート三輪)や軽自動車を開発し、本格的なクルマづくりをはじめました。1970年代から1990年代にかけてダイハツからどのような車種が登場したのかを、乗用車を中心とした当時のラインナップとともに紹介します。
文・PBKK
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- Chapter
- 1976年〜1995年のダイハツ
- 1980年代の昭和のマツダ車:フェローMAX550(1976年)
- 1980年代の昭和のマツダ車:MAXクオーレ(1977年)
- 1980年代の昭和のマツダ車:シャレード(1977年)
- 1980年代の昭和のマツダ車:タフトディーゼル(1978年)
- 1980年代の昭和のマツダ車:ミラ(1980年)
- 1980年代の昭和のマツダ車:ハイゼットアトレー(1981年)
- 1980年代の昭和のマツダ車:シャレード デ・トマソ(1984年)
- 1980年代の昭和のマツダ車:ラガー(1984年)
- 1980年代の昭和のマツダ車:リーザ(1986年)
- 1980年代の昭和のマツダ車:シャレード・ソシアル(1989年)
- 1980年代の昭和のマツダ車:アプローズ(1989年)
- 1980年代の昭和のマツダ車:ロッキー(1990年)
- 1980年代の昭和のマツダ車:リーザスパイダー(1991年)
- 1980年代の昭和のマツダ車:オプティ(1992年)
- 1980年代の昭和のマツダ車:ミラ・モデルノ(1993年)
- 1980年代の昭和のマツダ車:ムーヴ(1995年)
1976年〜1995年のダイハツ
戦後から1970年代前半にかけて、ダイハツはミゼットなどの実用的な商用車の他にもコンパーノやフェローなどの乗用車を開発し、市場のニーズに合わせたクルマを販売していきました。
その流れは1970年代後半以降も続き、なかにはイタリアのスポーツカーメーカー「デ・トマソ」とのコラボレーションによって生まれたシャレード デ・トマソなどの特徴的な車種も登場しています。
その流れは1970年代後半以降も続き、なかにはイタリアのスポーツカーメーカー「デ・トマソ」とのコラボレーションによって生まれたシャレード デ・トマソなどの特徴的な車種も登場しています。
1980年代の昭和のマツダ車:フェローMAX550(1976年)
ダイハツ フェローMAXは、1966年に登場したダイハツ 初代フェローの2代目にあたるクルマです。2代目となるにあたり車名に「MAX」のサブネームが追加され、フェローMAXと改称されました。
初代ではFRレイアウト(フロントエンジン・リアドライブ)方式でしたが、フェローMAXでは当時としては珍しいFFレイアウト(フロントエンジン・フロントドライブ)を採用。また、エンジンもパワーアップされ、1976年の軽自動車としては最高クラスの40PSを発生させるに至りました。
その後も改良が加えられて販売が続けられましたが、1977年のフルモデルチェンジで「MAX」の名は残されつつ「フェロー」の名が消え、「MAXクオーレ」へと改称されました。
初代ではFRレイアウト(フロントエンジン・リアドライブ)方式でしたが、フェローMAXでは当時としては珍しいFFレイアウト(フロントエンジン・フロントドライブ)を採用。また、エンジンもパワーアップされ、1976年の軽自動車としては最高クラスの40PSを発生させるに至りました。
その後も改良が加えられて販売が続けられましたが、1977年のフルモデルチェンジで「MAX」の名は残されつつ「フェロー」の名が消え、「MAXクオーレ」へと改称されました。
1980年代の昭和のマツダ車:MAXクオーレ(1977年)
ダイハツ MAXクオーレは、ダイハツ フェローの流れを汲む軽自動車です。
ダイハツ 初代フェローは2代目にフルモデルチェンジするにあたってダイハツ フェローMAXへと改称。MAXクオーレではついにフェローの名前が車名から消えてしまいましたが、フェローから数えると3代目にあたるモデルです。
2代目のフェローMAXの販売期間中に軽自動車の規格が変更され、フェローMAXも途中で排気量変更や安全対策に対応する改良が加えられるなどの大規模な変更がありました。MAXクオーレはそうした改良を加えられたフェローMAXをベースに開発されたため、実際にはフェローMAXのマイナーチェンジモデルとされる場合もあるようです。
ダイハツ 初代フェローは2代目にフルモデルチェンジするにあたってダイハツ フェローMAXへと改称。MAXクオーレではついにフェローの名前が車名から消えてしまいましたが、フェローから数えると3代目にあたるモデルです。
2代目のフェローMAXの販売期間中に軽自動車の規格が変更され、フェローMAXも途中で排気量変更や安全対策に対応する改良が加えられるなどの大規模な変更がありました。MAXクオーレはそうした改良を加えられたフェローMAXをベースに開発されたため、実際にはフェローMAXのマイナーチェンジモデルとされる場合もあるようです。
1980年代の昭和のマツダ車:シャレード(1977年)
ダイハツ シャレードは、ダイハツ コンソルテの後継車種として発売された小型乗用車です。
前モデルとなるコンソルテはトヨタとの業務提携後にトヨタ パブリカと共通のボディーを持つクルマとして登場しました。一方、シャレードはダイハツの自社設計へと刷新され、ダイハツの小型乗用車としては最初期にFFレイアウトを採用した車種でもあります。
また、当時のエンジンは2ストローク(2サイクル)エンジンが主流でしたが、シャレードでは4ストローク(4サイクル)の排気量1L 直列3気筒エンジンを採用し、車体上面から見てエンジンを横方向にマウントする横置きのFFレイアウトを確立したとされています。
前モデルとなるコンソルテはトヨタとの業務提携後にトヨタ パブリカと共通のボディーを持つクルマとして登場しました。一方、シャレードはダイハツの自社設計へと刷新され、ダイハツの小型乗用車としては最初期にFFレイアウトを採用した車種でもあります。
また、当時のエンジンは2ストローク(2サイクル)エンジンが主流でしたが、シャレードでは4ストローク(4サイクル)の排気量1L 直列3気筒エンジンを採用し、車体上面から見てエンジンを横方向にマウントする横置きのFFレイアウトを確立したとされています。
1980年代の昭和のマツダ車:タフトディーゼル(1978年)
ダイハツ タフトディーゼルは、1974年に発売されたダイハツ タフトのマイナーチェンジモデルです。
本格的な悪路走行性能を持つ4WD(4輪駆動)車は、それまでトヨタ ランドクルーザーや三菱 ジープ、スズキ ジムニーなどの大型車種か軽自動車の2種類に分かれていましたが、タフトはその中間を埋める車種として人気を集めました。
1978年に登場したタフトディーゼルは、それまでのガソリンエンジンに加えて、排気量2.5Lのディーゼルエンジンを搭載したモデルで、ガソリンエンジンモデルに対して低速トルクに優れていたと言われています。
また、タフトディーゼルの登場に伴い、初代から採用されていた1Lのガソリンモデルがラインナップから姿を消し、1981年にはすべてのガソリンモデルが廃止されました。
本格的な悪路走行性能を持つ4WD(4輪駆動)車は、それまでトヨタ ランドクルーザーや三菱 ジープ、スズキ ジムニーなどの大型車種か軽自動車の2種類に分かれていましたが、タフトはその中間を埋める車種として人気を集めました。
1978年に登場したタフトディーゼルは、それまでのガソリンエンジンに加えて、排気量2.5Lのディーゼルエンジンを搭載したモデルで、ガソリンエンジンモデルに対して低速トルクに優れていたと言われています。
また、タフトディーゼルの登場に伴い、初代から採用されていた1Lのガソリンモデルがラインナップから姿を消し、1981年にはすべてのガソリンモデルが廃止されました。
1980年代の昭和のマツダ車:ミラ(1980年)
ダイハツ ミラは、現在も名称を変えつつ販売が継続されているダイハツ軽乗用車のロングセラーモデルです。
発売当初は、現在の消費税にあたる物品税の対象となることを回避するため、同年に発売されたダイハツ 初代クオーレの商用車という位置づけで登場しました。そのため、最初期はダイハツ ミラ・クオーレという名前で販売されていたとされています。
名称が正式に「ミラ」となったのは発売2年後の1982年となり、この時にマイナーチェンジも実施され本格的な乗用車となりました。その際にエクステリア(外装)のデザイン変更が行われ、トランスミッションにも2速AT(オートマチックトランスミッション)が追加されました。
発売当初は、現在の消費税にあたる物品税の対象となることを回避するため、同年に発売されたダイハツ 初代クオーレの商用車という位置づけで登場しました。そのため、最初期はダイハツ ミラ・クオーレという名前で販売されていたとされています。
名称が正式に「ミラ」となったのは発売2年後の1982年となり、この時にマイナーチェンジも実施され本格的な乗用車となりました。その際にエクステリア(外装)のデザイン変更が行われ、トランスミッションにも2速AT(オートマチックトランスミッション)が追加されました。
1980年代の昭和のマツダ車:ハイゼットアトレー(1981年)
ダイハツ ハイゼットアトレーは、ダイハツの軽商用車であるダイハツ ハイゼットをベースに開発された乗用車です。
ハイゼットにはトラックとバンなど複数の車体形状がありますが、ハイゼットアトレーはその中でもバンタイプをベースに開発されました。商用車ではフロアマットやシートが簡素化されていましたが、乗用車モデルのハイゼットアトレーではそうした快適装備の充実が図られています。
また、内装もボディーカラーに合わせてバリエーションが存在し、グレーやベージュ系などのラインナップが存在していたとされています。
ハイゼットにはトラックとバンなど複数の車体形状がありますが、ハイゼットアトレーはその中でもバンタイプをベースに開発されました。商用車ではフロアマットやシートが簡素化されていましたが、乗用車モデルのハイゼットアトレーではそうした快適装備の充実が図られています。
また、内装もボディーカラーに合わせてバリエーションが存在し、グレーやベージュ系などのラインナップが存在していたとされています。
1980年代の昭和のマツダ車:シャレード デ・トマソ(1984年)
ダイハツ シャレード デ・トマソは、ダイハツ シャレードをベースにイタリアのスポーツカーメーカー「デ・トマソ」がチューニングを施したクルマです。
ベースとなったダイハツ 初代シャレードは排気量1L 直列3気筒エンジンを搭載していましたが、シャレード デ・トマソはエンジンにターボチャージャーを搭載し馬力を75PSまで向上。さらにボンネットにダクトが追加され、ドアミラーの形状も変更されるなど、エクステリアはノーマルのシャレードから大きく変化しています。
イタリアのスポーツカーメーカーとのコラボレーション車種であることから、現在でもコアな人気があり、一部ではプレミア価格で取引されることもあるようです。
ベースとなったダイハツ 初代シャレードは排気量1L 直列3気筒エンジンを搭載していましたが、シャレード デ・トマソはエンジンにターボチャージャーを搭載し馬力を75PSまで向上。さらにボンネットにダクトが追加され、ドアミラーの形状も変更されるなど、エクステリアはノーマルのシャレードから大きく変化しています。
イタリアのスポーツカーメーカーとのコラボレーション車種であることから、現在でもコアな人気があり、一部ではプレミア価格で取引されることもあるようです。
1980年代の昭和のマツダ車:ラガー(1984年)
ダイハツ ラガーは、ダイハツ タフトの後継車種として登場した4WD車です。
タフトはトヨタ ランドクルーザーやスズキ ジムニーなどの中間に位置するボディーサイズや排気量を備え、本格的な悪路走行性能を持つ4WDとして登場しました。ラガーはタフトで採用されていたラダーフレームや4輪駆動などの構造を継承しつつ、乗用車としての実用性も兼ね備えたエクステリアへと進化を遂げています。
また、業務提携をしていたトヨタ自動車ではトヨタ ブリザードの名前でOEM供給が行われていました。ラガーはタフト同様2.8Lのディーゼルエンジンのみを搭載していましたが、ブリザードでは排気量を2.4Lに変更されるなど、名前以外にも細かな違いがありました。
タフトはトヨタ ランドクルーザーやスズキ ジムニーなどの中間に位置するボディーサイズや排気量を備え、本格的な悪路走行性能を持つ4WDとして登場しました。ラガーはタフトで採用されていたラダーフレームや4輪駆動などの構造を継承しつつ、乗用車としての実用性も兼ね備えたエクステリアへと進化を遂げています。
また、業務提携をしていたトヨタ自動車ではトヨタ ブリザードの名前でOEM供給が行われていました。ラガーはタフト同様2.8Lのディーゼルエンジンのみを搭載していましたが、ブリザードでは排気量を2.4Lに変更されるなど、名前以外にも細かな違いがありました。
1980年代の昭和のマツダ車:リーザ(1986年)
ダイハツ リーザは、コンパクトな車体を持つスペシャルティーカーです。
軽自動車のダイハツ ミラをベースに開発され、ミラよりも小さな車体と後席ドアを持たないことから、マイクロクーペに分類されることもあります。また、当時は軽自動車も実用性から嗜好性を求められていたとされ、そうした経緯からパーソナルユースに特化したクルマとなりました。
エンジンは排気量0.5Lの他に、ターボチャージャーを装着しパワーアップされたものもあり、当時の軽自動車としてはトップクラスの馬力を発揮したと言われています。
軽自動車のダイハツ ミラをベースに開発され、ミラよりも小さな車体と後席ドアを持たないことから、マイクロクーペに分類されることもあります。また、当時は軽自動車も実用性から嗜好性を求められていたとされ、そうした経緯からパーソナルユースに特化したクルマとなりました。
エンジンは排気量0.5Lの他に、ターボチャージャーを装着しパワーアップされたものもあり、当時の軽自動車としてはトップクラスの馬力を発揮したと言われています。
1980年代の昭和のマツダ車:シャレード・ソシアル(1989年)
ダイハツ シャレード・ソシアルは、ダイハツ 3代目シャレードから派生した乗用車です。
シャレードは初代、2代目ともに3ドアや5ドアのハッチバックを基本形状としてきましたが、シャレード・ソシアルではシャレードとしては初となる4ドアセダンでした。また、ダイハツではセダンの乗用車ラインナップが少なかったこともあり、ユーザーニーズを掴むべく登場した車種とも言われています。
シャレード・ソシアルは1994年に2代目へとモデルチェンジし、最終的に2000年まで販売されていましたが、後継車種が登場することなく姿を消しました。
シャレードは初代、2代目ともに3ドアや5ドアのハッチバックを基本形状としてきましたが、シャレード・ソシアルではシャレードとしては初となる4ドアセダンでした。また、ダイハツではセダンの乗用車ラインナップが少なかったこともあり、ユーザーニーズを掴むべく登場した車種とも言われています。
シャレード・ソシアルは1994年に2代目へとモデルチェンジし、最終的に2000年まで販売されていましたが、後継車種が登場することなく姿を消しました。
1980年代の昭和のマツダ車:アプローズ(1989年)
ダイハツ アプローズは、ダイハツ シャルマンの後継車種として登場した乗用車です。
同年に登場したダイハツ シャレード・ソシアル同様にダイハツでは数少ないセダンの形状を持つクルマですが、トランク部分はリアガラスとつながっているため、4ドアセダンではなく5ドアノッチバックセダンという独特の車体となっています。
当時はセダンが人気だったことからダイハツもアプローズを投入したとされていますが、致命的なトラブルやリコールが発生したことから、他メーカーのセダンに比べ販売面で大きな苦戦を強いられました。
同年に登場したダイハツ シャレード・ソシアル同様にダイハツでは数少ないセダンの形状を持つクルマですが、トランク部分はリアガラスとつながっているため、4ドアセダンではなく5ドアノッチバックセダンという独特の車体となっています。
当時はセダンが人気だったことからダイハツもアプローズを投入したとされていますが、致命的なトラブルやリコールが発生したことから、他メーカーのセダンに比べ販売面で大きな苦戦を強いられました。
1980年代の昭和のマツダ車:ロッキー(1990年)
ダイハツ ロッキーは、ダイハツ ラガーよりも小型の4WD車として開発されたクルマです。
ラガーは2.8Lディーゼルエンジンを搭載する本格的な4WD車ですが、先代のタフトに比べて大きく、さらにモデルチェンジを重ねるごとに車体が大型化されていったため、ロッキーは当初のラガーやタフトのようなコンパクトな4WDのニーズを埋めるクルマとして登場しました。
ラガーに比べて小さくなったものの、ラダーフレームと呼ばれる頑丈な車体を持ち、パートタイム4WDシステムを備えていたことから悪路走行性能では引けを取らなかったとも言われています。
ラガーは2.8Lディーゼルエンジンを搭載する本格的な4WD車ですが、先代のタフトに比べて大きく、さらにモデルチェンジを重ねるごとに車体が大型化されていったため、ロッキーは当初のラガーやタフトのようなコンパクトな4WDのニーズを埋めるクルマとして登場しました。
ラガーに比べて小さくなったものの、ラダーフレームと呼ばれる頑丈な車体を持ち、パートタイム4WDシステムを備えていたことから悪路走行性能では引けを取らなかったとも言われています。
1980年代の昭和のマツダ車:リーザスパイダー(1991年)
ダイハツ リーザスパイダーは、ダイハツの軽自動スペシャルティーカーだったリーザのオープンモデル(コンバーチブル)です。
リーザ―はパーソナルカーとして開発されたため、もともとリアシート(後席)が小さくコンパクトな車体でしたが、リーザスパイダーではオープンモデルとしたことで後席が無くなり、完全な2シーターモデルとなりました。
パーソナルカーとして商品力を高めるためのオープン化でしたが、デザインについては賛否両論があり、ボディの剛性も不足気味だったと言われることもあるようです。
リーザ―はパーソナルカーとして開発されたため、もともとリアシート(後席)が小さくコンパクトな車体でしたが、リーザスパイダーではオープンモデルとしたことで後席が無くなり、完全な2シーターモデルとなりました。
パーソナルカーとして商品力を高めるためのオープン化でしたが、デザインについては賛否両論があり、ボディの剛性も不足気味だったと言われることもあるようです。
1980年代の昭和のマツダ車:オプティ(1992年)
ダイハツ オプティは、ダイハツ ミラの上級車種として登場した軽自動車です。
ダイハツ ミラは乗用車の他にも、商用車としてバンやウォークスルーバン、さらにスポーツモデルとして「TR-XX」など複数のモデルが設定され、幅広いユーザーニーズに応える基幹車種となっていました。
オプティではミラから静粛性や乗り心地を向上させ、上級車にふさわしい質感の高さを備え、パーソナルカーとしての性格を強めたクルマとなりました。
また、丸みを帯びたエクステリアとすることで女性ユーザーなどの新たなニーズ開拓を狙ったとも言われています。
ダイハツ ミラは乗用車の他にも、商用車としてバンやウォークスルーバン、さらにスポーツモデルとして「TR-XX」など複数のモデルが設定され、幅広いユーザーニーズに応える基幹車種となっていました。
オプティではミラから静粛性や乗り心地を向上させ、上級車にふさわしい質感の高さを備え、パーソナルカーとしての性格を強めたクルマとなりました。
また、丸みを帯びたエクステリアとすることで女性ユーザーなどの新たなニーズ開拓を狙ったとも言われています。
1980年代の昭和のマツダ車:ミラ・モデルノ(1993年)
ダイハツ ミラ・モデルノは、ダイハツ 3代目ミラをベースに装備を充実させた派生モデルです。
3代目ミラではフロントバンパーやボディーなど角ばったエクステリアを備えていますが、ミラ・モデルノはフロンバンパーやヘッドライトのデザインを大きく変更し、高級感な印象を与えるエクステリアとなっています。
また、電動格納ミラーを装備するなど快適装備やインテリアも重質し、通常のミラと異なる点が多いモデルです。
3代目ミラではフロントバンパーやボディーなど角ばったエクステリアを備えていますが、ミラ・モデルノはフロンバンパーやヘッドライトのデザインを大きく変更し、高級感な印象を与えるエクステリアとなっています。
また、電動格納ミラーを装備するなど快適装備やインテリアも重質し、通常のミラと異なる点が多いモデルです。
1980年代の昭和のマツダ車:ムーヴ(1995年)
ダイハツ ムーヴは、現在も製造が続けられているダイハツのトールワゴン軽自動車です。
ダイハツ 初代ムーヴはダイハツ 3代目ミラをベースにしているため、車高こそ違うもののインパネ(インストルメントパネル)やヘッドライトの形状などにその面影を見ることができます。
それまで軽乗用車は小型乗用車などと同じくルーフを低くし、全高を抑えたデザインが少なくありませんでしたが、広い室内空間や快適な居住性を実現すべくルーフを高くしたエクステリアは珍しいものでした。
ダイハツ 初代ムーヴはダイハツ 3代目ミラをベースにしているため、車高こそ違うもののインパネ(インストルメントパネル)やヘッドライトの形状などにその面影を見ることができます。
それまで軽乗用車は小型乗用車などと同じくルーフを低くし、全高を抑えたデザインが少なくありませんでしたが、広い室内空間や快適な居住性を実現すべくルーフを高くしたエクステリアは珍しいものでした。
1970年代から1990年代にかけて、ダイハツは軽自動車を中心としたラインナップを拡大しつつ、小型乗用車市場にも参入していました。現在では珍しい4ドアセダンのラインナップを揃えていたことも、当時のクルマに対するニーズを反映する特徴と言えるでしょう。