Rolling 40's vol.53 既得権益

Rolling

※この記事には広告が含まれます

体罰問題は出口の見えない錯綜を続けているが、自分たちが「青年」であった頃、どういう関係を大人たちと築いていたのだろうか。時代の隙間に落としてきたアルバムを探すかのように、古ぼけた幾つかのことを思い返してみた。

text:大鶴義丹 [aheadアーカイブス vol.123 2013年2月号]
Chapter
vol.53 既得権益

vol.53 既得権益

給料もロクに出ないのに殺人的に忙しいというような、ブラック会社などという言葉もなかった。ブラック会社と似たような労働時間の仕事についていた仲間もいたが、給料だけは人一倍貰っていた。

体罰問題とバブル景気の労働条件を同一に考えるのは少し乱暴ではあるが、体罰のあり方をコントロールできないことも、大人と青年の関係性に関わっているのではないだろうか。体罰の有無の前に、時代的に生じている、大人と「青年」の関係性の変化も考える必要があると思う。

私はYouTubeで、旧い乗り物系の映像を探して観賞するのが好きだ。色々な検索ワードを駆使してみると、こんなもの誰がわざわざアップロードしたんだろうと思うようなレアというか、時代の隙間の落し物のような映像があったりする。

最近見たのは、'80年代のバイク乗り集団が自主出版しているようなもので、いい年をした大人たちが当時最新の大型バイクで走り回るというような内容だ。

その集団のリーダー的存在の方がいろいろとバイク哲学を斜に構えて語ったりするところが、色々な意味で「時代」を強く感じる。確かに当時はそういう大人たちに私たち「青年」は憧れたものだ。

当たり前のことを至極当たり前に言葉にすることが難しい今の時代から見ると、それらは少し滑稽に見えることもある。だがそんな世代間の戯れ自体を失ってしまったことが、この20年の発育不全であり、惨憺たる結果の元凶かもしれない。

私に関して言うと、高校生の頃は神奈川の某オフロード系バイクショップにいつも「たむろ」していた。

ショップ主催のオフロードレースなどに参加したり、海外レースの経験もあるショップオーナーと一緒にツーリングなどを楽しんでいた。いくら好景気な時代とはいえ、所詮は高校生なので大した小遣いもないのだが、当時の高校生は意外と何とかなったものである。

その一番の理由は、やはり大人に可愛がってもらうことでの利益享受であった。例えばバイクの最大の消耗品であるタイヤなども、ショップの社長が贅沢に7割使って捨ててしまうものを廃品回収して使ったりしていた。当然、交換には多少の指導はしてもらうものの自分たちの手作業で、そういう関係性の中で大人の世界に混じることを楽しんでいた。

今思い返すと、その社長は今の私と同じような年齢である。しかし私は今現在「青年」と呼べるような連中とたくさんの付き合いがある訳ではない。どうしても同年代かその上の世代との関係ばかりである。結果として先代たちが行ってきた後輩の育成を放棄している。

きっと当時の大人たちも、人懐っこく関わってくる私たち「青年」との関係を楽しんでいたのだろう。バイクに関しては本当に1から10まで多くのことをそのショップで身体に染み込ませた。

バイクというリスクのあるモノゆえに、指導的に強く怒られることも多々あった。だがそれでも私はそのバイクショップに行くのが大好きであった。

芸能の仕事を始めてからも、私は大人たちと遊ぶのが好きだった。タダ酒が飲めるということもあるが、二回り以上も上の大人たちと朝まで過ごすのも平気だった。好景気もあり、当時の大人たちは私たちによく奢ってくれた。当然、仕事のコネもたくさん転がっていた。

だが今の私たちは後輩たちにあまり奢ったりしない。地方ロケなどに行って仕事が早く終わっても、年代別に分かれて飲食を楽しむという感じだ。経済的なことだけではなく、そういう関係性を互いに作ることを避けている。

それゆえに、仕事以外の時間から信頼感や親密さが生まれる機会も少ない。当時の私たちが大人たちから潤沢に得ていた利益享受の機会もほとんどない。結果、同年代だけで「インサイダー取引」をしている。

年寄りが若さに嫉妬をして、若者も年寄りの既得権益に嫉妬をする。しかし相互は争うこともなく、互いの「会員制」の世界に閉じこもる。そういう現状を見ていて、これは双方ともに大損をしていると感じるのだが、時代感なのだから抵抗のしようもない。

この関係性は、ネット世界の広がりも後押しし元に戻るということはないであろう。仕事でも遊びでも、世代間で情報交換することは少なくなり、それぞれに趣味趣向を追求していくという流れだ。

もし変えていくべきなのであれば、どちらが歩み寄ればよいのであろうか。しかし私自身でさえ彼らのことが半透明に見えているというのが現実だ。彼らからしたら、私たちは透明人間とでも言うのだろうか。

----------------------------------------
text:大鶴義丹/Gitan Ohtsuru
1968年生まれ。俳優・監督・作家。知る人ぞ知る“熱き”バイク乗りである。本人によるブログ「不思議の毎日」はameblo.jp/gitan1968
【お得情報あり】CarMe & CARPRIMEのLINEに登録する

商品詳細