Rolling 40's vol.55 スーパーカーへの正しい道順

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知人のスーパーカーに乗る機会があった。運転はしていない。助手席に同乗しただけだ。たぶん私が乗ったことのあるクルマの中で一番高価なものだ。オプションを入れて4000万円近くになるという。

text:大鶴義丹 [aheadアーカイブス vol.125 2013年4月号]
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vol.55 スーパーカーへの正しい道順

vol.55 スーパーカーへの正しい道順

最新鋭のスーパーカーは機械として本当によくできていた。何から何まで電子制御が行き届き、運転するだけなら免許取りたてでも可能である。昔のスーパーカーのように、エンジン始動における秘密めいた儀式は要らず、走るのに独特なテクニックや腕力を要求されることはない。大抵のことは国産ATスポーツカーと同じと言ってよいだろう。
 
ただ、そのスタイリングだけが常軌を逸している。普通の人間が持っているクルマという概念とはかけ離れた姿形から発せられる威圧感が、見る者全てを圧倒する。
 
乗り込んでから走り出すと、その性能の超絶感は言うに及ばず、半径100メートル以内の人間の関心を惹きつける魔力的存在感が印象的だった。

「しかし…要らない」
 
それは妬みや悔し紛れの全否定ではなく、それなりに精通した乗り物への知識や、自分の社会的立ち位置などから総合的に判断した正直な感覚だった。
 
子供の頃、東京晴海のイベント会場で行われたスーパーカーショーに祖母と行った記憶がある。確か夏休みの暑い日だった。写真も何枚か残っている。囲いで守られている赤いカウンタックの前で、半ズボン姿で立っている、日焼けした昭和の子供。
 
毎晩、「スーパーカー辞典」を読み返してはそれに乗る自分を夢想した。目を閉じ、口の中でエンジン音を唸らせていた。
 
きっとあの頃の少年たちにとってスーパーカーというものは、超高性能な高級車というよりも、ウルトラマンや仮面ライダーなどの範疇に入る、夢の中の創作物であったのだろう。
 
しかし大人になると、その存在は走る「都内建売住宅」となってしまう。それを所持すると、メンテナンスを含め、どれだけ天文学的な出費を求められるかと知ると、気持さえ萎える。
 
私たち世代のように、全ての乗り物に魅せられた昭和の少年にとって、スーパーカーという存在は一体何なのだろうかと改めて考えた。
 
大正解の一つである「成功者の贅沢品」だけで解決してしまっては、半ズボン姿のギタン少年に申し訳なさ過ぎるからだ。
 
もう一度原点に返り、自分がスーパーカーというモノを欲しているのかと問うてみた。また所持したとしてそれをどう使いこなし愛でることが出来るのか。
 
まず色々な節制と勤労を重ね、その手の中古車を1200万円くらいで何とか購入できたとしよう。老後の貯蓄など一切無視して10年計画で挑めば、買うだけなら何とかなるかもしれない。
 
しかしそれを通常の社会生活の中で乗り回すとどんなことが起きるか。仕事場に乗りつけたり普段の移動で使うと、実際にどんなことが起きるかと考えるとやはり問題は山積だ。
 
我々のような「自由業」であっても、やはりそしりや妬みは業務上の懸案事項であり、仕事の結果以外では無駄に目立たないでいるというのが大事である。この御時世、ちょっとしたタイミングでブランドの業績が一気に悪化することは珍しくなく、それを回避するためも、余計な行動は慎むというのが、昨今の「業界」で求められる行動である。
 
また夜の街に乗りつけ見栄を張るというのも同じで、無駄なトラブルに巻き込まれるリスクを自ら増長させているに他ならない。
 
ではサーキットで走らせるのはどうだろうか。実際にそういう使い方をしているオーナーも知っている。しかし、これが意外に面白くないという。サーキットとはフィールド競技のための特殊な場所であり、スーパーカーとは言え、小型の国産車を完全レース仕様にしたマシンの方がタイムが良かったりするのが現実だ。
 
私自身もその手のクルマで草レースを楽しんだ時期があるが、ぶつけたらぶつけたで、エンジンが壊れたら壊れたで構わないくらいの気持ちで走っているからこそ、それなりのタイムが出る。命の次に大事なようなマシンをそこまで「酷使」する度胸と器は一生持つことはないだろう。または夢の結晶がファミリーカーに抜かれて心を痛めるのがオチかもしれない。
 
結局、家のガレージに仕舞いこんで深夜に乗り回したり、ワックスをかけて悦に浸って眺めるだけの1/1の超高級プラモデルになるだけであろう。
 
そんなものに対して何年もの禁欲生活をしたりする価値があるかと再び考えると、答えは自ずと決まってくる。

「夢」―昭和の少年が正しいのかもしれない。やはりどう考えてもスーパーカーというのは、まともなものではなく、子供たちの頭の中で飛び回っているウルトラマンや仮面ライダーと同次元のものなのだ。それで良いと思う。
 
無理して欲しがるものではないのだ。結果として買える立場になってから、それなら買ってみるかというのが、スーパーカーに至る正しい順序なのかもしれない。
 
最新鋭のスーパーカーの同乗記は「欲しがる前に働け」と言うような、至極真っ当でつまらない答えが出ただけであった。

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text:大鶴義丹/Gitan Ohtsuru
1968年生まれ。俳優・監督・作家。知る人ぞ知る“熱き”バイク乗りである。本人によるブログ「不思議の毎日」はameblo.jp/gitan1968
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