Rolling 40's Vol.56 購買欲
更新日:2024.09.09
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とある仲間が日曜日に車屋さん巡りをしたいから、付き合ってくれと電話をしてきた。子供ではないのだから独りで行きなと思ったが、旧知の仲である故に断る訳にもいかない。その後に飲むという条件付きで承諾する私。
text:大鶴義丹 [aheadアーカイブス vol.126 2013年5月号]
text:大鶴義丹 [aheadアーカイブス vol.126 2013年5月号]
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- Vol.56 購買欲
Vol.56 購買欲
聞くと今のクルマに飽きてしまったので、秋の車検前に下取りに出して、何か別のクルマに買い替えたいと言う。詳しく聞くと、600万円クラスのドイツ車を新車から五年弱乗ったという。さらにはそのドイツ車はまだ一万キロも走っていない状態。高給取り&独身四十男の考えることは全くもって謎だらけである。
いい年した男子二人が日曜日に廻ったのはアウディとトヨタとメルセデスの新車ディーラー。
最初に行ったのはアウディだった。晴れた日曜日故に完全に商談会祭りという感じで歓迎される私たち。
ショールームに入り、私が飛びついたのは600万円弱のハッチバックセダンだった。185㎝の車幅と独特のデザイン故に、車格以上の雰囲気を醸し出している。今自分で買うならコレだと入店五分で決めてしまった程だ。
お店の方に一通り説明を受けた後に、アウディが好調な理由に納得した。どこまで意図しているのかは分からないが、アウディは高級ドイツ車の在り方や売り方、さらにはその世界観全体に浸透していた「ルール」を無視している。
それは高級ドイツ車を乗る意味や、その行動が周りに与える意味も変える可能性がある。ユーザーがそれを理解しているかどうかは分からないが、その「新ルール」を無意識に心地良いと感じているのは確かだと思う。
だから1200万円もする強力なステーションワゴンに、その値段ほどの威圧感がない。正直なところクルマに詳しくない女子が見たら、400万円クラスの国産ステーションワゴンと見分けがつかないであろう。
しかし私たちはその中身にワンルームマンション並みの値段が付く意味を知っている。だから、虚栄心ではなく、純粋に価値を味わうようにそのクルマに乗っている人に対してある種の感嘆を覚えるのだ。
もし私にお金が有り余っているなら、他のヤル気満々な車種よりも、そのモンスターを選ぶかもしれない。ただ、私にそんなものがあり余っているはずがないので、きっとヤル気満々な車種の中古を買うだろう。つまりは醜い虚栄心の塊だ。かなり高次に仕組まれた確信犯的作戦と見た。
次に行ったのはトヨタのディーラーだ。目的は話題沸騰のクラウン・アスリートのハイブリッドである。そのピンク仕様も展示されていた。
ディーラーに入った瞬間、前社の雰囲気とは全く違う空気感を理解した。まさに日本的世界観そのもの。サービス面も含め、心底安心できた。
ハイブリットの説明の後、展示されているクラウン・アスリートに乗り込むと、その内装のレベルにため息が漏れた。世界トップの御家芸であるハイブリットが凄いのは分かり切ったことだが、今回のクラウンはその内装が極めて良くできている。お世辞ではなく価格が500万円を切るクルマのレベルではない。
このクラスの日本車は、もう完全にドイツ車と肩を並べているかそれ以上に来ている。ドイツという響きが必要ない方ならば、明らかに300万円安く「その何か」を手に入れられるはずだ。
私も変な虚栄心がないならば、100万円近く安い、ハイブリッドなしの排気量の小さいクラウンアスリートを買うと思う。それが正解パターンだと思った。しかし、ハイブリットやピンクちゃんばかりが話題になり、それに気付いてるユーザーは少ないような気がした。
最後に行ったのはメルセデスベンツの新車ディーラーだった。入店すると、今までの二社との違いに、ある種の喜びを感じた。そう。何と言っても、かのメルセデスを新車で買うのだから、ディーラーの雰囲気もそのオプションとして味わわせてもらいたい。
真っ先に私の目に留まったのは一番小さなセダンタイプだ。2シーターの大きなオープンカーもあったが、それは中古で買った方が、醜い虚栄心を満たすのにはコスパが良いだろう。
一番小さなセダン、それが相当良くできているのは所有者からも聞いている。ある意味、メルセデスベンツの中で一番完成されていると断言する者もいるくらいだ。
だが、メルセデスベンツを新車で買う意味とは何なのだろうかと、私は自問した。あえて文字にはしないが、やはりメルセデスベンツの存在意義とは、高性能は当然であるが、結局は「アレをアレする」ためである。それが無くなっては、私見であるがメルセデスベンツの価値そのものがなくなってしまう。
半日かけて世界屈指の高級車メーカー三社を巡ったが、結局彼は新たに新車を買うのをやめてしまった。理由は、一日に色々なクルマを見過ぎてしまい、何だか購買欲が一杯になったということらしい。
その後二人で居酒屋で飲んだくれたのだが、その半日は私自身にとっても良い機会になった。今をときめく本気のクルマたちの匂いを存分に「試食」できたと思う。
デパ地下試食めぐりで、お腹が一杯になったおばちゃんたちみたいなものか…。
いい年した男子二人が日曜日に廻ったのはアウディとトヨタとメルセデスの新車ディーラー。
最初に行ったのはアウディだった。晴れた日曜日故に完全に商談会祭りという感じで歓迎される私たち。
ショールームに入り、私が飛びついたのは600万円弱のハッチバックセダンだった。185㎝の車幅と独特のデザイン故に、車格以上の雰囲気を醸し出している。今自分で買うならコレだと入店五分で決めてしまった程だ。
お店の方に一通り説明を受けた後に、アウディが好調な理由に納得した。どこまで意図しているのかは分からないが、アウディは高級ドイツ車の在り方や売り方、さらにはその世界観全体に浸透していた「ルール」を無視している。
それは高級ドイツ車を乗る意味や、その行動が周りに与える意味も変える可能性がある。ユーザーがそれを理解しているかどうかは分からないが、その「新ルール」を無意識に心地良いと感じているのは確かだと思う。
だから1200万円もする強力なステーションワゴンに、その値段ほどの威圧感がない。正直なところクルマに詳しくない女子が見たら、400万円クラスの国産ステーションワゴンと見分けがつかないであろう。
しかし私たちはその中身にワンルームマンション並みの値段が付く意味を知っている。だから、虚栄心ではなく、純粋に価値を味わうようにそのクルマに乗っている人に対してある種の感嘆を覚えるのだ。
もし私にお金が有り余っているなら、他のヤル気満々な車種よりも、そのモンスターを選ぶかもしれない。ただ、私にそんなものがあり余っているはずがないので、きっとヤル気満々な車種の中古を買うだろう。つまりは醜い虚栄心の塊だ。かなり高次に仕組まれた確信犯的作戦と見た。
次に行ったのはトヨタのディーラーだ。目的は話題沸騰のクラウン・アスリートのハイブリッドである。そのピンク仕様も展示されていた。
ディーラーに入った瞬間、前社の雰囲気とは全く違う空気感を理解した。まさに日本的世界観そのもの。サービス面も含め、心底安心できた。
ハイブリットの説明の後、展示されているクラウン・アスリートに乗り込むと、その内装のレベルにため息が漏れた。世界トップの御家芸であるハイブリットが凄いのは分かり切ったことだが、今回のクラウンはその内装が極めて良くできている。お世辞ではなく価格が500万円を切るクルマのレベルではない。
このクラスの日本車は、もう完全にドイツ車と肩を並べているかそれ以上に来ている。ドイツという響きが必要ない方ならば、明らかに300万円安く「その何か」を手に入れられるはずだ。
私も変な虚栄心がないならば、100万円近く安い、ハイブリッドなしの排気量の小さいクラウンアスリートを買うと思う。それが正解パターンだと思った。しかし、ハイブリットやピンクちゃんばかりが話題になり、それに気付いてるユーザーは少ないような気がした。
最後に行ったのはメルセデスベンツの新車ディーラーだった。入店すると、今までの二社との違いに、ある種の喜びを感じた。そう。何と言っても、かのメルセデスを新車で買うのだから、ディーラーの雰囲気もそのオプションとして味わわせてもらいたい。
真っ先に私の目に留まったのは一番小さなセダンタイプだ。2シーターの大きなオープンカーもあったが、それは中古で買った方が、醜い虚栄心を満たすのにはコスパが良いだろう。
一番小さなセダン、それが相当良くできているのは所有者からも聞いている。ある意味、メルセデスベンツの中で一番完成されていると断言する者もいるくらいだ。
だが、メルセデスベンツを新車で買う意味とは何なのだろうかと、私は自問した。あえて文字にはしないが、やはりメルセデスベンツの存在意義とは、高性能は当然であるが、結局は「アレをアレする」ためである。それが無くなっては、私見であるがメルセデスベンツの価値そのものがなくなってしまう。
半日かけて世界屈指の高級車メーカー三社を巡ったが、結局彼は新たに新車を買うのをやめてしまった。理由は、一日に色々なクルマを見過ぎてしまい、何だか購買欲が一杯になったということらしい。
その後二人で居酒屋で飲んだくれたのだが、その半日は私自身にとっても良い機会になった。今をときめく本気のクルマたちの匂いを存分に「試食」できたと思う。
デパ地下試食めぐりで、お腹が一杯になったおばちゃんたちみたいなものか…。
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text:大鶴義丹/Gitan Ohtsuru
1968年生まれ。俳優・監督・作家。知る人ぞ知る“熱き”バイク乗りである。本人によるブログ「不思議の毎日」はameblo.jp/gitan1968
text:大鶴義丹/Gitan Ohtsuru
1968年生まれ。俳優・監督・作家。知る人ぞ知る“熱き”バイク乗りである。本人によるブログ「不思議の毎日」はameblo.jp/gitan1968