【生産終了】VWのザ・ビートル。日本での歴史を振り返ろう
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2011年に発表されたフォルクスワーゲン ザ・ビートル。流線型の車体はタイプ1時代から受け継ぐデザインを踏襲しています。日本では2012年の4月から販売開始され、翌年にはカブリオレも日本で発売されました。
初代のタイプ1から80年という歴史は、長年多くのファンに愛され続けてきた証と言えるでしょう。しかし、2019年7月で生産を終了し、「ビートル」と呼ばれたクルマの新車生産は、80年で終えることとなりました。
文・PBKK
ザ・ビートルの新車生産は2019年7月で終了
2011年に発表されたフォルクスワーゲン ザ・ビートル。流線型の車体はタイプ1時代から受け継ぐデザインを踏襲しています。日本では2012年の4月から販売開始され、翌年にはカブリオレも日本で発売されました。
初代のタイプ1から80年という歴史は、長年多くのファンに愛され続けてきた証と言えるでしょう。しかし、2019年7月で生産を終了し、「ビートル」と呼ばれたクルマの新車生産は、80年で終えることとなりました。
1938年に誕生したVWタイプ1
1938年当時ドイツの首相だったアドルフ・ヒトラーの政策で、国産大衆車の量産化として、フォルクスワーゲンのタイプ1の開発が着手されます。
そのクルマの条件は、大人2人と子ども2人の定員確保、空冷式エンジン、燃費7リットル/100km以下の確保、最高速度100km/h以上の達成、価格が1000ライヒスマルクという条件でした。
途中、第二次世界大戦をはさみ、1945年から大量生産が開始されます。アメリカなど海外でも販売台数を伸ばし、1970年代には日本の小学生たちに「ワーゲンを1日3台見ると、良いことがある」と、占いのように日本でも話題になりました。
ビートルという愛称で親しまれた名車
流線型の車体デザインが、カブトムシのような形だったことから、ビートル(ドイツではケーファー)と愛称で呼ばれるようになります。
日本でもビートル、またはワーゲンという愛称で、タイプ1はクルマファンのみならず、幅広い世代に親しまれました。2代目のニュービートルや、3代目のザ・ビートルでは、その愛称を正式に採用した車種名として発表されています。
ビートルからゴルフへ
1960年代に、空冷式エンジンから水冷式エンジンの時代へと変革していくと、ビートルは販売が低迷していき、1974年に開発されたゴルフの人気が逆転します。
さらにゴルフは「2013-2014 日本カー・オブ・ザ・イヤー」を海外輸入車では初めて受賞し、大きな話題にもなりました。
日本でもビートルの限定車が発売
2013年には、フォルクスワーゲン正規輸入60周年を記念した特別仕様車「Fender Edition」が発売され、スポーツ仕様の「ザ・ビートル ターボ」も追加されました。
2014年にはバレンタインにあわせて、チョコレートをイメージした特別仕様車「Choco」「Milk」「Bitter」を販売、2015年には450台限定で「Blossom」を発売し、女性たちのハートをわしづかみにしました。
「See You The Beetle」というメッセージの意図は?
ファンの間では、公式サイトに「Good-bye」ではなく、「See You」(またね)とメッセージされてることから、いつか復活するのではないかとの期待の声もあがっています。
このメッセージを胸に、またいつか再会できる日を待ちましょう。