フォルクスワーゲン ビートルの歴史を各モデルの違いとともに徹底解説

VW ザ・ビートル 2016

※この記事には広告が含まれます

フォルクスワーゲンは、2019年7月をもって「ビートル」の生産を終了すると発表しています。現在のビートルは、かつてのタイプ1をモチーフにしたスタイリングで、人気を博しました。そこでここでは、惜しまれながらも消えてゆくビートルの歴史を、あらためて振り返ってみることにしましょう。

文・西山昭智
Chapter
かぶと虫の誕生
世界でもっとも売れた1台
かぶと虫の復活
およそ80年の歴史に幕

かぶと虫の誕生

アドルフ・ヒトラーによる”国民車構想”によって1938年に誕生したリアエンジン+リア駆動の小型車KdFワーゲンは、ポルシェの創始者であるフェルディナント・ポルシェ博士が設計を担当したことでも知られています。

頑丈で修理がしやすく、燃費に優れ、家族3名(大人2名+子供1名)とその荷物を積める居住空間を確保し、1,000マルク以下という販売価格を実現するべく試行錯誤を繰り返して誕生したKdFワーゲンですが、1939年の第2次大戦勃発によって工場のラインは軍用車に取られ、量産されることはありませんでした。

戦後、被害を受けた工場は、連合軍の指揮のもと1945年に再建。社名をフォルクスワーゲン(一般大衆車)に変更するとともに、モデル名も量産第1号車であることから「タイプ1」と名付けられました。

翌1946年には、1万台ものタイプ1が生産され、1947年には国外輸出も開始。さらに1949年にはアメリカへの進出もはたします。ヒトラーの掲げた大衆車構想の厳しいハードルをクリアしたモデルは、瞬く間に世界的な「大衆車」として受け入れられるようになったのです。

タイプ1の丸みを帯びたフォルムから、英語圏では「ビートル(BEETLE)」や「バグ(Bug)」、ドイツ語圏では「ケーファー」、日本では「カブトムシ」といった愛称で親しまれます。

世界でもっとも売れた1台

敗戦のなかで、いち早く復興を遂げたフォルクスワーゲン社のタイプ1は、1950年代になるとますます人気が高まり、1955年に100万台だった累計生産台数は、1972年に1,500万台を突破し、T型フォードの記録を塗り替え、世界でもっとも生産されたモデル(単一車種)となりました。

その後、ドイツ本国ではゴルフのデビューによって、1978年に生産を終了するものの、メキシコ工場では2003年まで生産が継続されました。

メキシコ工場での生産が終了するまでの間、タイプ1の総生産台数は約2,153万台というとてつもない数字に。基本的なコンポーネントを変えず、およそ半世紀にわたって2,000万台以上を生産するという、前人未到の記録を「ビートル」がつくり出したのです。

かぶと虫の復活

※写真は2005年モデル

そんなタイプ1がメキシコで生産され続けていた1990年代、フォルクスワーゲンではゴルフをベースにした、新しい「ビートル」のコンセプトモデルを1994年のデトロイトショー発表。

続いて1995年の東京モーターショーでは、市販型に近づいた2代目のコンセプトモデルがお披露目されると同時に予約注文を受け付け、注目をあつめました。

しかしタイプ1にそっくりなのはスタイリングのみで、ゴルフと同じ水冷直列4気筒をフロントに搭載したFFの駆動方式を採用したリバイバルモデルでした。

丸みをおびたフォルムを実現するために、エンジンがキャビンスペースを侵食したり、リアのヘッドクリアランスが狭くなるなどの弊害があったものの、その愛くるしいスタイルで人気となりました。

このニュービートルは2010年で生産を終了し、後継の「ザ・ビートル」が2011年にデビュー。現在にいたります。

およそ80年の歴史に幕

およそ80年にわたって受け継がれてきた”ビートル”ですが、2019年7月にすべての生産を終了するとアナウンスされています。奇しくもザ・ビートルの生産はメキシコ工場で行なっており、タイプ1と同様、メキシコでラインオフを迎えることになります。

しかしワーゲンバスとして親しまれてきたタイプ2をモチーフとしたミニバンが、EVで復活する運びになっていることから、今後ビートルがEVで再復活する可能性も否定できません。

【お得情報あり】CarMe & CARPRIMEのLINEに登録する

商品詳細