スーパーカーはいつ生まれた?

フェラーリ 365GT4BB/512BB

皆さんは「スーパーカー」という言葉をご存じでしょうか。50代以上の方にはお馴染みだと思いますが、若い世代には「ハイパーカー」という言葉の方がしっくりくるかもしれません。日本人にとってマイカーがまだまだ夢だった頃、スーパーカーは生まれたのです。

文・山崎 友貴

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日本中の子どもが熱狂したスーパーカー
スーパーカーだけで一大カルチャーを形成
日本に自動車とレースを定着させたスーパーカー
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日本中の子どもが熱狂したスーパーカー

日本でスーパーカーという言葉が誕生したのは、1970年代後半のこと。そのきっかけになったのが、少年ジャンプに連載された「サーキットの狼(池沢さとし作)」という漫画でした。

主人公の風吹裕矢と愛車のロータス ヨーロッパが、ライバル達と公道レースを繰り広げ、やがてはレースの道に進むというストーリーで、当時の子どもたちを心酔させました。

排気量のロータス ヨーロッパが、ポルシェ ターボやフェラーリ 512BB、デトマソ パンテーラなどを打ち負かす話は今では少々ナンセンスと言えますが、それは小さな日本が欧米を打ち負かす…という図式に似ていたのかもしれません。

当時の日本はまだまだモータリゼーションの黎明期で、マイカーを持つのが多くの人の夢だった時代。

そんな時代の中で、大量生産品ではないスーパーカーは、まさに夢のクルマだったのです。当時の国内自動車メーカーはまだまだスーパーカーを造る技術力はなく、トヨタがヤマハと共同で造った2000GTが唯一の存在でした。

スーパーカーは、クルマ好きの大人にウケたのはさることながら、実は人気の根幹を支えたのは小学生・中学生だったのです。サーキットの狼に魅了された子どもたちは、ポケットカメラを片手に、モーターショーや輸入車販売店に繰り出しました。

スーパーカーだけで一大カルチャーを形成

当時の東京モーターショーは、まだ晴海の東京国際見本市会場で開催されており、そのショーに行くことさえも、子どもには夢だったのです。そのため、某歯磨きメーカーは商品の箱に招待券や割引券が付けるといった広告戦略を行い、子どもはその券を持って晴海に殺到。

また東京の環状八号線沿いに並ぶ輸入車販売店にもカメラ小僧が連日訪れ、展示されているスーパーカーや輸入車を撮影するというムーブメントも起こりました。

スーパーカーブームに拍車をかけたのは、各種のグッズでもありました。消しゴム、カード、書籍、清涼飲料水の王冠、プラモデル、ミニカーなどなど。特にスーパーカー消しゴムは大変なヒットとなり、ガチャガチャや文具店に子どもが殺到したのです。

学校の机で、この消しゴムをボールペン(三菱のBOXYが定番)で飛ばしてレースをする遊びがブームとなり、教育現場では問題になったくらいです。

ブームはメディアにも飛び火し、青少年向けの雑誌で毎号取り上げられた他、TVではスーパーカーを題材にしたクイズ番組まで放映されました。またスーパーカーを題材にしたアニメ番組も制作され、その熱はさらにヒートアップ。

しまいには子どもを対象に、スーパーカーだけの展示イベントやレースが開催されるまでに至ったのです。しかし、子どもの興味はやがてスーパーカーからF1マシンへと以降。

少年サンデーに連載された「赤いペガサス(村上もとか作)」のヒットもあり、6輪のティレル(当時はタイレル)P34やJPSカラーのロータス 78などが大人気に。消しゴムやカード、書籍もF1に衣替えされました。

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日本に自動車とレースを定着させたスーパーカー

山崎 友貴|やまざき ともたか

四輪駆動車専門誌、RV誌編集部を経て、フリーエディターに。RVやキャンピングカー、アウトドア誌などで執筆中。趣味は登山、クライミング、山城探訪。小さいクルマが大好物。

山崎 友貴|やまざき ともたか