世界に1台だけ!「NISMO GT-R LM」とは何者なのか?
更新日:2025.10.29
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GT-R LMとは、世界でただ1台しか存在しないホモロゲーションモデルです。
1995年に日産がル・マン24時間耐久レース参戦のため、R33型スカイラインGT-Rをベースに開発・製造した特別なロードカー(公道走行可能車)として誕生しました。
このGT-R LMをベースにしたマシンは1995年のル・マンで見事完走を果たし、総合10位・クラス5位という成績を収めています。では、その「世界に一台」のGT-R LMとは一体どんな車なのでしょうか?最新情報やトリビアを交えながら紐解いていきます。
1995年に日産がル・マン24時間耐久レース参戦のため、R33型スカイラインGT-Rをベースに開発・製造した特別なロードカー(公道走行可能車)として誕生しました。
このGT-R LMをベースにしたマシンは1995年のル・マンで見事完走を果たし、総合10位・クラス5位という成績を収めています。では、その「世界に一台」のGT-R LMとは一体どんな車なのでしょうか?最新情報やトリビアを交えながら紐解いていきます。
- Chapter
- 開発の背景と目的:R33 GT-Rでル・マンへ
- スカイラインの名を外した理由
- ル・マン24時間での活躍
- ロードカーとレースカーの違い
- 駆動方式
- サスペンション
- エンジン出力
- 車両重量
- ボディ・空力
- タイヤ&ホイール
- 現存する「1台」の保存状況と展示情報(2025年)
- どこに保管されている?
- コンディション(動態保存の方針)
- 登録状況と公道走行の位置づけ
- 見学の可否と国内での公開例
- 2025年の海外遠征展示
- マニア必見のトリビアあれこれ
- 英国で登録された公道仕様
- 入手困難だったカタログ
- 「LMリミテッド」とは別物
- 有名人ドライバーとGT-R LM
- 唯一無二の“改造”GT-R
- 公道復活の期待?
- ファンからの評価と2025年の再注目
- “伝説のマシン”としての評価
- 2024~2025年の再注目の動き
- まとめ
開発の背景と目的:R33 GT-Rでル・マンへ
1990年を最後に一時中断していた日産のル・マン挑戦は、規則改定を経て1995年に再開されました。
このとき参戦するカテゴリーは市販車ベースのGT1クラスです。日産は“絶対王者”と呼ばれたスカイラインGT-Rでル・マンに挑むことを決め、最新型のR33型GT-Rをベースにレースカーを開発する戦略を取りました。
とはいえ通常のGT-Rを改造しただけでは国際舞台で勝つのは困難であり、NISMO(ニスモ)はル・マン参戦専用に大幅改造を施したGTカー「NISMO GT-R LM」を新たに作り上げることになります。
当時のル・マンGT1規定では「参戦車両と同じモデルの、公道走行可能な市販ロードカーを生産・登録していなければならない」と定められていました。
そこでニスモはGT-R LMのベースとなるロードカーを1台だけ製作し、ホモロゲーション取得用に用意します。完成したロードカーは英国へ運ばれて一般ナンバーを取得し、ル・マン会場でも展示されました(公道走行可能であることを示すため)。
こうして生まれた“NISMO GT-R LMロードカー”こそ、GT-R LMの正体です。ル・マン参戦を目的に生み出された特別なGT-Rであり、一般には販売されなかった幻のモデルとなりました。
このとき参戦するカテゴリーは市販車ベースのGT1クラスです。日産は“絶対王者”と呼ばれたスカイラインGT-Rでル・マンに挑むことを決め、最新型のR33型GT-Rをベースにレースカーを開発する戦略を取りました。
とはいえ通常のGT-Rを改造しただけでは国際舞台で勝つのは困難であり、NISMO(ニスモ)はル・マン参戦専用に大幅改造を施したGTカー「NISMO GT-R LM」を新たに作り上げることになります。
当時のル・マンGT1規定では「参戦車両と同じモデルの、公道走行可能な市販ロードカーを生産・登録していなければならない」と定められていました。
そこでニスモはGT-R LMのベースとなるロードカーを1台だけ製作し、ホモロゲーション取得用に用意します。完成したロードカーは英国へ運ばれて一般ナンバーを取得し、ル・マン会場でも展示されました(公道走行可能であることを示すため)。
こうして生まれた“NISMO GT-R LMロードカー”こそ、GT-R LMの正体です。ル・マン参戦を目的に生み出された特別なGT-Rであり、一般には販売されなかった幻のモデルとなりました。
スカイラインの名を外した理由
GT-R LMの正式名称には「Skyline(スカイライン)」の名が含まれていません。一見するとR33型スカイラインGT-Rそのものなのに、なぜ「スカイラインGT-R」と名乗らないのでしょうか?その背景には当時のレギュレーション上の理由があります。
当時のル・マンGT1クラスのエントリー規定には「同一車種の中に4ドアモデルが存在する場合、参戦車両として認めない」という項目がありました。
スカイラインGT-Rは2ドアクーペですが、「スカイライン」の名を持つモデルには4ドアセダンもラインナップされています。このため、「スカイラインGT-R」という車名のままではル・マンにエントリーできなかったのです。
そこで日産とニスモは苦肉の策として、「NISMO GT-R LM」という独立した車種名を与えることにしました。製造者名も日産ではなくニスモとし、4ドアを含む「スカイライン」の名を意図的に避けたのです。これによりBCNR33型GT-Rでありながら“スカイライン”を名乗らない特別なGT-Rが誕生しました。
ちなみに、この決断は後年のGT-Rにも通じる先見の明でした。2007年発表のR35型GT-Rも「スカイライン」の名を外し日産GT-Rとして独立しましたが、GT-R LMはそれに先駆けて“初のスカイラインを名乗らないGT-R”となっていたのです。
当時のル・マンGT1クラスのエントリー規定には「同一車種の中に4ドアモデルが存在する場合、参戦車両として認めない」という項目がありました。
スカイラインGT-Rは2ドアクーペですが、「スカイライン」の名を持つモデルには4ドアセダンもラインナップされています。このため、「スカイラインGT-R」という車名のままではル・マンにエントリーできなかったのです。
そこで日産とニスモは苦肉の策として、「NISMO GT-R LM」という独立した車種名を与えることにしました。製造者名も日産ではなくニスモとし、4ドアを含む「スカイライン」の名を意図的に避けたのです。これによりBCNR33型GT-Rでありながら“スカイライン”を名乗らない特別なGT-Rが誕生しました。
ちなみに、この決断は後年のGT-Rにも通じる先見の明でした。2007年発表のR35型GT-Rも「スカイライン」の名を外し日産GT-Rとして独立しましたが、GT-R LMはそれに先駆けて“初のスカイラインを名乗らないGT-R”となっていたのです。
ル・マン24時間での活躍
ニスモGT-R LMは1995年のル・マン24時間レースに2台体制(22号車・23号車)で参戦しました。
結果は、22号車が総合10位(GT1クラス5位)で完走を果たす健闘を見せています。22号車は福山英朗/粕谷俊二/近藤真彦というドライバー陣がステアリングを握り、近藤“マッチ”真彦氏がドライブしたことでも話題になりました。
一方、23号車は実験的な新型ギアボックスを搭載してフルパワー(650馬力級)で挑みましたが、トラブルにより157周でリタイアとなりました。
翌1996年のル・マンにもニスモは改良型のGT-R LMで参戦します。この年は他社から強力な新型GT1マシン(ポルシェ911 GT1など)が登場し競争が激化しましたが、GT-R LMは総合15位(クラス10位)でなんとか完走しています。
ドライバーは長谷見昌弘/星野一義/鈴木利男といった日本のトップドライバー陣でした。しかし表彰台には届かず、日産は翌1997年から車両を専用設計のR390 GT1(プロトタイプレーサー)へ切り替えることになります。
GT-R LMによるル・マン挑戦は1年短縮される形で幕を閉じました。
結果は、22号車が総合10位(GT1クラス5位)で完走を果たす健闘を見せています。22号車は福山英朗/粕谷俊二/近藤真彦というドライバー陣がステアリングを握り、近藤“マッチ”真彦氏がドライブしたことでも話題になりました。
一方、23号車は実験的な新型ギアボックスを搭載してフルパワー(650馬力級)で挑みましたが、トラブルにより157周でリタイアとなりました。
翌1996年のル・マンにもニスモは改良型のGT-R LMで参戦します。この年は他社から強力な新型GT1マシン(ポルシェ911 GT1など)が登場し競争が激化しましたが、GT-R LMは総合15位(クラス10位)でなんとか完走しています。
ドライバーは長谷見昌弘/星野一義/鈴木利男といった日本のトップドライバー陣でした。しかし表彰台には届かず、日産は翌1997年から車両を専用設計のR390 GT1(プロトタイプレーサー)へ切り替えることになります。
GT-R LMによるル・マン挑戦は1年短縮される形で幕を閉じました。
ロードカーとレースカーの違い
駆動方式
市販版R33 GT-RはアテーサE-TS搭載の4WDですが、GT-R LMでは重量面の有利さを狙いFR(後輪駆動)へ改造されています。フロントの駆動系統を外したことでプロペラシャフトやデフ重量が削減され、軽量化に貢献しました。
サスペンション
市販車は前後マルチリンク式でしたが、LMでは前後ともダブルウィッシュボーン式に変更。大径タイヤを収めやすくし、ハンドリングを向上させるための改造です。もともとニスモは全日本GT選手権(JGTC)向けに同様のFRコンバート+足回り変更を行った実績があり、そのノウハウが投入されました。
エンジン出力
ロードカー版のRB26DETT型エンジンは305ps/38.0kgm程度にデチューン。一方、レース仕様では450ps以上(約50.0kgm)までチューンされ、予選用にはさらにブーストを高め約650psに達した車両もありました。耐久レースでは信頼性重視のため、22号車はN1耐久用に近い450ps設定とし完走を優先、23号車は実験的にパワーを上げた経緯があります。
車両重量
標準のR33 GT-R(Vスペック)の車重がおよそ1,500~1,540kgだったのに対し、GT-R LMレースカーは1,280kgにまで軽量化。四駆システムの撤去に加え、内装の簡素化やボディパネルの見直しなど徹底的な軽量化が図られました(ロードカー版は内装がほぼノーマル状態だったため1,580kgと公称)。
ボディ・空力
GT-R LM最大の特徴がこの部分です。車体は前後フェンダーを大きく約50mmずつワイド化し、フロントスポイラーやボンネットダクト、リアウイングなど専用エアロボディを装備。
冷却性能を高めるための開口部や整流パーツも追加され、見た目は通常のR33とは別物の迫力です。ロードカーもフルエアロ仕様ですが、レースカーほど車高を落としておらず、ナンバー灯やウインカー類は英国の保安基準に適合した部品が装着されていました。
冷却性能を高めるための開口部や整流パーツも追加され、見た目は通常のR33とは別物の迫力です。ロードカーもフルエアロ仕様ですが、レースカーほど車高を落としておらず、ナンバー灯やウインカー類は英国の保安基準に適合した部品が装着されていました。
タイヤ&ホイール
標準GT-Rのタイヤが幅245~255程度だったのに対し、レース仕様ではフロント315/40R18・リア335/40R18という極太サイズが装着されています。ロードカーには当時最大サイズだった265/35R18タイヤを装着しましたが、それでもオーバーフェンダー内を持て余すほどで、試作ロードカーではホイールが小さめの黒ホイール(青いピンストライプ入り)だったためアンバランスにも見えたようです。
こうした改造の結果、GT-R LMレースカーはRB26DETTエンジン+FRレイアウトの“純粋なGTカー”となり、日産にとって初の本格的GT1マシンが完成しました。耐久用にチューンされたエンジンとFRレイアウトの組み合わせは「GT-Rらしさ」を損なうことなく戦闘力を高める狙いでしたが、当時はマクラーレンF1やポルシェ911GT1といったスーパーカー勢の前に苦戦を強いられました。それでも“GT-Rでル・マンに挑んだ”という事実はファンに強い印象を残し、GT-R LMは今も語り草となっています。
現存する「1台」の保存状況と展示情報(2025年)
どこに保管されている?
GT-R LMのロードカーは世界でただ1台のみしか存在しません。その貴重な1台は現在、神奈川県座間市にある日産のヘリテージコレクション施設に大切に保管されています。
コンディション(動態保存の方針)
普段は一般道路を走ることはなく、主に社内コレクションとして動態保存(必要に応じて動く状態を維持)されています。かつて日産の名車再生クラブがこのロードカーのレストア(復元)も検討しましたが、代わりに当時手付かずだった22号車レースカーのレストアが優先されました。
そのためロードカーは製造当時の状態を良好に保ったまま保存されており、現在でも走行可能なコンディションを維持していると言われます。
そのためロードカーは製造当時の状態を良好に保ったまま保存されており、現在でも走行可能なコンディションを維持していると言われます。
登録状況と公道走行の位置づけ
このロードカー、製作当時にイギリスでナンバー登録されて以来、日本国内で正式にナンバーを取得した記録はありません。公道を走れる仕様ではありますが、日本で車検を取得して走らせた例はなく、現状では博物館級の展示車として扱われています(そもそも非売品のワンオフ車両のため、公道走行させる計画自体がありません)。
見学の可否と国内での公開例
実際、一般のファンが目にできる機会も限られています。日産ヘリテージコレクションは予約制で見学可能な日がありますが、GT-R LMロードカーが常時展示されているとは限りません。
ただしイベントなどで特別公開されることがあり、2016年1月には日産グローバル本社ギャラリー(横浜)で開催されたNISMOイベントに展示、2020年1月にも日産本社で歴代GTカーの一台として公開されたことがあります。
ただしイベントなどで特別公開されることがあり、2016年1月には日産グローバル本社ギャラリー(横浜)で開催されたNISMOイベントに展示、2020年1月にも日産本社で歴代GTカーの一台として公開されたことがあります。
2025年の海外遠征展示
そして2025年には本車が海外に“遠征”するニュースもありました。アメリカ・ロサンゼルスのピーターセン自動車博物館で2025年6月に開幕した「Totally Awesome! Cars and Culture of the ’80s and ’90s」展に、このニスモGT-R LMロードカーが特別展示車両として出展。
日本国外でGT-R LMロードカーが一般公開されるのは極めて珍しく、現地のファンを熱狂させました。展示テーマが80~90年代の名車文化ということもあり、「唯一無二の90年代JDM」としてGT-R LMが大役を果たした形です。
日本国外でGT-R LMロードカーが一般公開されるのは極めて珍しく、現地のファンを熱狂させました。展示テーマが80~90年代の名車文化ということもあり、「唯一無二の90年代JDM」としてGT-R LMが大役を果たした形です。
マニア必見のトリビアあれこれ
英国で登録された公道仕様
GT-R LMロードカーはホモロゲーション取得のためイギリスでナンバープレートを取得しました。「NISMO GT-R LM」の名義で登録された唯一のGT-Rであり、この手続きを経てル・マン参戦資格を得ています。
もっとも、公道走行できるとはいえレース参戦が目的の車両のため、市販車のような快適装備は最小限でした。エンジンも450ps仕様から300ps程度にデチューンされ、内装も基本的にR33 GT-R標準のまま(チェック柄のレカロシートとアルカンタラ巻きステアリング以外はノーマル)。
いわば「走れることが重要」で、全開走行することは想定されていなかったロードカーでした。
もっとも、公道走行できるとはいえレース参戦が目的の車両のため、市販車のような快適装備は最小限でした。エンジンも450ps仕様から300ps程度にデチューンされ、内装も基本的にR33 GT-R標準のまま(チェック柄のレカロシートとアルカンタラ巻きステアリング以外はノーマル)。
いわば「走れることが重要」で、全開走行することは想定されていなかったロードカーでした。
入手困難だったカタログ
ニスモGT-R LMには、ごくシンプルながら専用の車両カタログ(パンフレット)が製作されました。一般販売しない車にもかかわらず存在したため、公開当時は「ぜひカタログが欲しい!」というマニアからの問い合わせが殺到し、ニスモスタッフが驚いたというエピソードがあります。今でもこのカタログはコレクター間で高値で取引されるレアアイテムです。
「LMリミテッド」とは別物
R33型GT-Rには1996年に発売された限定車「GT-R LMリミテッド」というモデルがあります。その名前からGT-R LMロードカーと混同されがちですが、こちらはル・マン参戦を記念した市販特別仕様車です。
全車ボディカラーはチャンピオンブルーで、標準車86台+Vスペック102台の計188台が生産されました。エンジンや性能面に特別な変更はなく、ボンネットリップやリアスポイラーブレードをカーボン製に変更した程度の内容。つまり「LM(リミテッド)」は飽くまで記念モデルであり、「LM(ロードカー)」とは似て非なる別物なので注意しましょう。
全車ボディカラーはチャンピオンブルーで、標準車86台+Vスペック102台の計188台が生産されました。エンジンや性能面に特別な変更はなく、ボンネットリップやリアスポイラーブレードをカーボン製に変更した程度の内容。つまり「LM(リミテッド)」は飽くまで記念モデルであり、「LM(ロードカー)」とは似て非なる別物なので注意しましょう。
有名人ドライバーとGT-R LM
1995年ル・マンでGT-R LMをドライブした一人に近藤真彦さんがいます。80~90年代に人気歌手として活躍する一方、レーシングドライバーとしても才能を発揮した人物です。
ニスモGT-R LMの完走にも貢献し、総合10位という結果に「Keep The Dream Alive(夢をあきらめるな)」のスローガン通り夢を見せてくれました。この異色の経歴ゆえ、歌手が乗ったル・マンGT-RとしてGT-R LMを記憶しているファンも多いようです。
ニスモGT-R LMの完走にも貢献し、総合10位という結果に「Keep The Dream Alive(夢をあきらめるな)」のスローガン通り夢を見せてくれました。この異色の経歴ゆえ、歌手が乗ったル・マンGT-RとしてGT-R LMを記憶しているファンも多いようです。
唯一無二の“改造”GT-R
GT-R LMは、日産ワークスが公式に製作したGT-Rとしては極めて異例の存在でした。FR駆動やワイドボディ化など、市販GT-Rでは他に例のない仕様を持っています。日産が公認で「GT-R」を名乗るFR車を作ったのは後にも先にもこの1台だけであり、GT-R史に残る特殊なモデルです。なお、そのDNAはのちのGT-R(R34のNISMO Z-tuneやR35のNISMOモデルなど)にも受け継がれていますが、市販車でGT-R LMほど大胆な改造が施された例はありません。
公道復活の期待?
海外では希に「GT-R LMロードカーを走行可能に復元してほしい」という声も聞かれます。幸い車両自体は良好な状態で保管されていますので、不可能ではないでしょう。しかし価値の高さや安全面を考慮すると、容易にハンドルを握れる車ではありません。以前、当時の日産CEOすら運転を許可されなかったとの逸話もあるほどで、まさに「箱入り娘」状態のGT-Rなのです。
ファンからの評価と2025年の再注目
“伝説のマシン”としての評価
ニスモGT-R LMは、コアなGT-Rファンの間で長年“伝説のマシン”として崇められてきました。その存在はしばしば「GT-R史上もっともカッコいい1台」とも評されます。
実際、国内外のGT-Rマニアはこの車に強い憧れを抱き、あまりの人気からレプリカ(オマージュ車)を自作してしまった猛者もいるほどです。
日本人オーナーの須佐さんは自身のR33 GT-RをベースにGT-R LMロードカー風レプリカを製作し、イベントで披露しました。その完成度は極めて高く、「400Rのレプリカはよく見るが、GT-R LMの再現車は初めてだ!」と話題になりました。
実際、国内外のGT-Rマニアはこの車に強い憧れを抱き、あまりの人気からレプリカ(オマージュ車)を自作してしまった猛者もいるほどです。
日本人オーナーの須佐さんは自身のR33 GT-RをベースにGT-R LMロードカー風レプリカを製作し、イベントで披露しました。その完成度は極めて高く、「400Rのレプリカはよく見るが、GT-R LMの再現車は初めてだ!」と話題になりました。
2024~2025年の再注目の動き
まとめ
総じて、ニスモGT-R LMは日産が残したチャレンジスピリットの象徴であり、GT-Rという車名の特別さを改めて感じさせてくれる存在です。唯一無二のストーリーと圧倒的な希少性ゆえに、これからも語り継がれる“伝説のGT-R”であり続けることでしょう。