トヨタ クラウン の歴史を初代から15代目まで振り返る!
更新日:2024.09.09
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2018年に登場した、15代目となるトヨタ クラウン。トヨタのラインアップの中でも長い歴史を誇るクラウンですが、15代目となるクラウンには走りやスタイリングなどにこだわることはもちろん、コネクティッドカーとしての要素も取り入れ、トヨタの一役を担う上で重要なクルマとして登場しました。
クラウンは新しい時代のクルマとしてどんな進化が遂げられているのでしょうか。今回は、トヨタ クラウンの歴史をひも解いていきます。
文・鈴木 ケンイチ/写真・黒田 明
クラウンは新しい時代のクルマとしてどんな進化が遂げられているのでしょうか。今回は、トヨタ クラウンの歴史をひも解いていきます。
文・鈴木 ケンイチ/写真・黒田 明
- Chapter
- クラウン(15代目)を徹底解説!~ブランドの価値となる積み上げたヘリテージを振り返る~
- 初代 クラウンは、日本初の純国産の本格乗用車と認められた
- 2代目 クラウン は、本格乗用車から日本を代表する高級車へ
- 3代目 クラウン から“白いクラウン”のキャッチコピーが付けられた
- ”くじら”の愛称で親しまれた、4代目 クラウン
- 5代目 クラウン では、ターボエンジン車を追加
- 6代目 クラウン は、先代から引き継いだ直線的なスタイリングをさらに洗練させた
- 7代目 クラウン には”いつかはクラウン”のキャッチコピーで送り出された
- 8代目 クラウン が登場し累計販売台数は300万台を突破
- 9代目 クラウン の上級グレードにはクラウンマジェスタが登場
- 10代目 クラウン はクラウン誕生40周年を迎える年に登場した
- 11代目 クラウン には、アスリートグレードが登場
- 12代目 クラウン は、通称"ゼロクラウン"と呼ばれ、2000年代の基礎となった
- 13代目 クラウン ではハイブリッドモデルが話題になった
- 14代目クラウン では、ピンククラウンも登場
クラウン(15代目)を徹底解説!~ブランドの価値となる積み上げたヘリテージを振り返る~
トヨタブランドのトップモデルとして君臨するクラウン。2018年6月に登場した現行モデルは、なんと15世代目。トヨタの中でも特別に長く続くモデルです。そして、その歴史こそがクラウンを特別な存在にする理由にもなっています。どんなブランドにも、その背景にはストーリーがあるもの。クラウンのストーリーを振り返ってみます。
初代 クラウンは、日本初の純国産の本格乗用車と認められた
初代クラウンの誕生は、今から64年前となる1955年。当時の日本は、まだ戦後の雰囲気がたっぷり残っているという状況です。自動車産業は未熟で、外国車に対して性能だけでなく価格面でも劣っていたため、「国産自動車工業不要論」が主張されるほど厳しい状況でした。
そのために、日本の自動車メーカーの多くは、海外メーカーと提携を行い、海外メーカーの日本生産、いわゆるノックダウンを行っていました。日産は英国のオースチンとの提携、三菱重工が米国のカイザーフレーザー、いすゞ自動車が英国ヒルマン、日野ヂーゼル工業(現在の日野自動車)が仏国ルノーといった具合です。
そのために、日本の自動車メーカーの多くは、海外メーカーと提携を行い、海外メーカーの日本生産、いわゆるノックダウンを行っていました。日産は英国のオースチンとの提携、三菱重工が米国のカイザーフレーザー、いすゞ自動車が英国ヒルマン、日野ヂーゼル工業(現在の日野自動車)が仏国ルノーといった具合です。
そうした中、トヨタは純国産路線を選択しました。当時としては、非常にリスキーな選択です。技術の進んだ外国メーカーのクルマと同等の性能や価格を実現できなければ、自動車メーカーとしての存続も危ぶまれたはず。しかし、そんな不安視された中、1955年1月に登場したトヨペット クラウンは大成功を納めます。
「豪華」「国際水準」と評価され、日本初の本格乗用車と認められたのです。また当時、クルマを購入する個人は少なく、販売先のメインはタクシー会社でした。そのためトヨペット クラウンも、個人向けのトヨペット クラウンRS型と、タクシー会社向けのトヨペットマスターRR型の2モデルが用意されていました。
タクシーで使うのに便利だという理由から、後席のドアが後ろ向きに開く、いわゆる“観音開き”のドアがされていました。
「豪華」「国際水準」と評価され、日本初の本格乗用車と認められたのです。また当時、クルマを購入する個人は少なく、販売先のメインはタクシー会社でした。そのためトヨペット クラウンも、個人向けのトヨペット クラウンRS型と、タクシー会社向けのトヨペットマスターRR型の2モデルが用意されていました。
タクシーで使うのに便利だという理由から、後席のドアが後ろ向きに開く、いわゆる“観音開き”のドアがされていました。
2代目 クラウン は、本格乗用車から日本を代表する高級車へ
成功した初代から7年後の1962年に第2世代のクラウンが誕生します。モダンになった2代目モデルには日本乗用車としては初のV8エンジンを搭載したクラウンエイトを追加し、高級路線へ歩み始めます。
3代目 クラウン から“白いクラウン”のキャッチコピーが付けられた
1967年の3代目モデルも高級感を強調し、“白いクラウン”というキャッチフレーズでオーナーカーの色合いを強めました。また、このモデルには2ドアハードトップを追加し、プレステージスペシャリティの先駆けとなります。
”くじら”の愛称で親しまれた、4代目 クラウン
そして、1971年には「くじら」の愛称でおなじみの4代目モデルが登場。水平基調ではなく、なだらかな曲面で構成されたスピンドルシェイプ(紡錘型)のボディが採用されていたのです。もちろん、当時としては非常に斬新なデザインでした。
5代目 クラウン では、ターボエンジン車を追加
1974年に登場した5代目は一転、ボクシーなスタイルとなり、優雅さと高級感が強調されていました。世界初のオーバードライブ付き4速ATを採用するなど、挑戦的な技術も盛んに採用され、好調なセールスも記録されています。
6代目 クラウン は、先代から引き継いだ直線的なスタイリングをさらに洗練させた
1979年に登場した6代目モデルは、先代の路線を踏襲した端正なスタイルで人気を維持。1980年には当時としては最新技術となるターボエンジン車を追加しています。
7代目 クラウン には”いつかはクラウン”のキャッチコピーで送り出された
今も伝わる「いつかはクラウン」という名キャッチフレーズで世に送り出されたのが、1983年誕生の7代目モデルです。エッジの効いた直線基調のエクステリアは、スタイリッシュさと高級感が絶妙にバランスされており、高級パーソナルセダンの象徴として、さらに人気を高めました。
8代目 クラウン が登場し累計販売台数は300万台を突破
そして1987年にはスタイリッシュさをさらに磨き込んだ8代目が登場。好景気のバブル期の中、1990年に累計販売台数300万台を突破します。
9代目 クラウン の上級グレードにはクラウンマジェスタが登場
1989年にはクラウンにとって、見逃せない新型車が登場します。それがレクサス LS(日本での発売名はセルシオ)です。4L V8エンジンを搭載したレクサス LSは、クラウンよりも大きなクルマでした。
そこで1991年に登場した9代目クラウンは、セルシオに迫るサイズの上級モデル、クラウン マジェスタを用意。「日本のプレステージサルーン」を謳います。レクサス LSの主戦場が海外市場に対し、トヨタ クラウンは日本市場を重視した高級車として続いていくことが宣言されたのです。
そこで1991年に登場した9代目クラウンは、セルシオに迫るサイズの上級モデル、クラウン マジェスタを用意。「日本のプレステージサルーン」を謳います。レクサス LSの主戦場が海外市場に対し、トヨタ クラウンは日本市場を重視した高級車として続いていくことが宣言されたのです。
10代目 クラウン はクラウン誕生40周年を迎える年に登場した
そして1995年に10代目モデルが登場。これまで伝統的に採用されていたフレーム構造のボディが見直されました。マジェスタとクラウンはプラットフォームを共用し、フルモノコックボディが採用、伝統を重視した重厚なイメージのクルマでした。
11代目 クラウン には、アスリートグレードが登場
1999年に登場した11代目は、スポーティーグレードとなるアスリートを追加したのが特徴でしょう。スタンダードなクラウンに対し、スポーティーなアスリート、より高級なマジェスタという3グレード構成に。2001年にはマイルドハイブリッド車が追加されたのもトピックのひとつです。
12代目 クラウン は、通称"ゼロクラウン"と呼ばれ、2000年代の基礎となった
2003年に通称“ゼロクラウン”と呼ばれる12代目モデルが誕生します。名前のとおりに「ゼロから開発された」ということでプラットフォームが一新。走りのレベルが一気に高まったのが特徴です。しかもこのプラットフォームは改良が続けられ、先代となる14代目にまで使用されるほどの出来の良いものでした。
13代目 クラウン ではハイブリッドモデルが話題になった
2008年には先代モデルを正常進化させた13代目モデルが登場。本格的なハイブリッドモデルを追加したのが話題となりました。
14代目クラウン では、ピンククラウンも登場
2012年に登場した14代目モデルは、そのルックスに注目が集まりました。非常に大胆なデザインのグリルは、今となっては違和感がないかもしれませんが、デビュー直後は賛否両論で大きな話題となったのです。
また、ショッキングなピンク色のクラウンが用意されたのも驚きのひとつ。振り返ってみれば、挑戦はクラウンの歴史そのもの。大胆なことはクラウンとしては、当然のことだったのではないでしょうか。
また、ショッキングなピンク色のクラウンが用意されたのも驚きのひとつ。振り返ってみれば、挑戦はクラウンの歴史そのもの。大胆なことはクラウンとしては、当然のことだったのではないでしょうか。