マツダのSSサスペンションの業績|操縦性を高め、FF車普及の起点を作った
更新日:2024.09.09

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1979年の第2次オイルショックで販売が低迷し、経営危機に陥ったマツダ。そのどん底の状況から立ち直るキッカケとなった5代目ファミリアには、横置きFFという特徴だけではなく、リアに採用された「SSサスペンション」による抜群の操縦安定性がありました。
マツダを襲った2度の大ピンチ!
現在でこそSKYACTIVというコンセプトを全面に押し出して、絶好調のマツダですが、かつて大ピンチを2度経験しています。
1度目が、バブル景気を背景に一気に多チャンネル化を図り、急激に増えた店舗で売るために粗製乱造とも言える新型車を乱発した挙げ句、ユーザーからの信用を失い、バブル崩壊も重なって極度の販売不振に陥った1990年代。
そしてもう1度が、ロータリーエンジンの燃費性能の低さから、オイルショックでまったく車が売れなくなった1970年代。
90年代の危機ではオートザム レビューをベースに急遽開発したデミオのヒットに救われましたが、70年代の危機を救ったのが、1980年登場の5代目ファミリアでした。
1度目が、バブル景気を背景に一気に多チャンネル化を図り、急激に増えた店舗で売るために粗製乱造とも言える新型車を乱発した挙げ句、ユーザーからの信用を失い、バブル崩壊も重なって極度の販売不振に陥った1990年代。
そしてもう1度が、ロータリーエンジンの燃費性能の低さから、オイルショックでまったく車が売れなくなった1970年代。
90年代の危機ではオートザム レビューをベースに急遽開発したデミオのヒットに救われましたが、70年代の危機を救ったのが、1980年登場の5代目ファミリアでした。
マツダ ファミリアはそれまでも人気車種だった
それまでもファミリアは、マツダの人気車種には違いありませんでした。広告塔的な意味合いも強かったコスモに続き、ロータリーエンジンを搭載したファミリア ロータリーは、ロータリーエンジンを身近な存在にして人気となり、映画『幸福の黄色いハンカチ』で武田鉄矢が高倉健を乗せて北海道を旅したのも、FR時代のファミリアでした。
しかし、5代目のBD型で画期的な変化がありました。横置きエンジンと直列にミッションを配置したジアコーサレイアウトのFF車。日本で初めてというわけではありませんでしたが(日本初のジアコーサ式FFは初代ホンダ・ライフ)、BD型ファミリアはFFの小型車として日本で初めて、空前の大ヒットとなりました。それはなぜでしょうか?
しかし、5代目のBD型で画期的な変化がありました。横置きエンジンと直列にミッションを配置したジアコーサレイアウトのFF車。日本で初めてというわけではありませんでしたが(日本初のジアコーサ式FFは初代ホンダ・ライフ)、BD型ファミリアはFFの小型車として日本で初めて、空前の大ヒットとなりました。それはなぜでしょうか?
BD型ファミリアは日本のFF車の革命
それまでもFF車には「エンジンと駆動系をまとめることで、キャビンを最大限拡大できる」、あるいは「低速域の悪路走破性が後輪駆動より優れている」というメリットがありました。
そのためFFを好むメーカーは多く、スバルやホンダは1960年代から、また1970年代前半には日産(チェリー)、後半には三菱(ミラージュ)やスズキ(アルト)もFFを採用していったのです。
しかしそれらのFFの多くは、フロントを引っ張りリアはそれについてくるだけ、というものが多く、操縦性に難があったのです。
具体的には、カーブで強いアンダーステアからアクセルを戻すと急激にオーバーになるなどのクセが激しく、直進安定性には優れていたものの、自在に操るにはコツが必要な乗り物だったのです。
おかげで「FFとはアンダーステアがひどい乗り物」という先入観を、多くのクルマ好きに植え付けることになったのです。その問題に対して、リアサスペンションの最適化に挑んだのが、BD型ファミリアでした。
そのためFFを好むメーカーは多く、スバルやホンダは1960年代から、また1970年代前半には日産(チェリー)、後半には三菱(ミラージュ)やスズキ(アルト)もFFを採用していったのです。
しかしそれらのFFの多くは、フロントを引っ張りリアはそれについてくるだけ、というものが多く、操縦性に難があったのです。
具体的には、カーブで強いアンダーステアからアクセルを戻すと急激にオーバーになるなどのクセが激しく、直進安定性には優れていたものの、自在に操るにはコツが必要な乗り物だったのです。
おかげで「FFとはアンダーステアがひどい乗り物」という先入観を、多くのクルマ好きに植え付けることになったのです。その問題に対して、リアサスペンションの最適化に挑んだのが、BD型ファミリアでした。
SSサスペンションがFF車のクセを無くした
現在でこそFF車の操縦安定性において、リアサスペンションの重要性は理解されていますが、BD型ファミリア以前の国産車ではリアサスペンションの設計はないがしろにされていました。
多くはリジッド、あるいは独立懸架でも簡素で限界の低いトレーリングアーム式でした。これではコーナリングである程度までは踏ん張っても、限界が低いのでリアが急に流れ出してスピンに陥るリバースステアや、タックインを誘発してしまいます。
そこでBD型ファミリアでは、リアサスペンションに台形リンク式ストラットの『SSサスペンション』を採用しました。
SSサスペンションは、2本のラテラルリンクとトレーリングリンクで構成され、ラテラルリンクを並行ではなくタイヤ側で狭めるよう台形にレイアウトしています。
これにより、ブレーキングやコーナリング時には積極的にリアタイヤをトーゼロからわずかなトーインの間で変化させることでリアの安定性を高め、それまでのFFにつきものだった急激な姿勢変化を抑えるセルフスタビライジング機能を持たせたのが大きな特徴でした。
ブッシュ剛性の最適化も含めてリアの安定性を飛躍的に向上させたことにより、初めて「クセの無いFF」、特にコツもなく普通に運転できるFFを実現したのが、5代目のFFファミリアだったのです。
多くはリジッド、あるいは独立懸架でも簡素で限界の低いトレーリングアーム式でした。これではコーナリングである程度までは踏ん張っても、限界が低いのでリアが急に流れ出してスピンに陥るリバースステアや、タックインを誘発してしまいます。
そこでBD型ファミリアでは、リアサスペンションに台形リンク式ストラットの『SSサスペンション』を採用しました。
SSサスペンションは、2本のラテラルリンクとトレーリングリンクで構成され、ラテラルリンクを並行ではなくタイヤ側で狭めるよう台形にレイアウトしています。
これにより、ブレーキングやコーナリング時には積極的にリアタイヤをトーゼロからわずかなトーインの間で変化させることでリアの安定性を高め、それまでのFFにつきものだった急激な姿勢変化を抑えるセルフスタビライジング機能を持たせたのが大きな特徴でした。
ブッシュ剛性の最適化も含めてリアの安定性を飛躍的に向上させたことにより、初めて「クセの無いFF」、特にコツもなく普通に運転できるFFを実現したのが、5代目のFFファミリアだったのです。
マツダ ファミリアがFF車普及のキッカケとなった
SSサスペンションによる良好な操縦性が評価されたことで、FFのネガティブ面を抑えたファミリアは、FF車が本来持つ広いキャビンなどのメリットも当然評価されて、空前の大ヒットとなりました。
「赤いファミリア」にサーフボードを乗せてナンパする陸サーファーが増える現象もありましたが、現在に至るまでの”操縦性にこだわるマツダのイメージは、このBD型ファミリアで定着したと言えます。
その後は各社ともリアの安定性向上に向けて熱心に取り組み、サスペンション自体で横剛性を高めたビームアクスル式(ホンダのワンダーシビック)や、それをもっと簡素にしたトーションビーム式、独立懸架のままでしなやかな動きと安定性を両立させたダブルウイッシュボーン式などに発展していきました。
その先駆けとなったファミリアのフィロソフィーは、後継のアクセラでマルチリンク式に進化し、走りの良いコンパクトカーとして評価され続けています。
「赤いファミリア」にサーフボードを乗せてナンパする陸サーファーが増える現象もありましたが、現在に至るまでの”操縦性にこだわるマツダのイメージは、このBD型ファミリアで定着したと言えます。
その後は各社ともリアの安定性向上に向けて熱心に取り組み、サスペンション自体で横剛性を高めたビームアクスル式(ホンダのワンダーシビック)や、それをもっと簡素にしたトーションビーム式、独立懸架のままでしなやかな動きと安定性を両立させたダブルウイッシュボーン式などに発展していきました。
その先駆けとなったファミリアのフィロソフィーは、後継のアクセラでマルチリンク式に進化し、走りの良いコンパクトカーとして評価され続けています。