日本の"機械遺産"に認定されたスバル 360「てんとう虫」とはどんな車?

スバル360

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今回は、当時の画期的なアイデアとともにスバル360が、機械遺産に認定された背景を探っていきます。

2016年に機械遺産として認定されたスバル 360。機械遺産というのは、歴史に残る機械技術関連遺産を大切に保存し、文化的遺産として次世代に伝えることを目的に日本機械学会が認定したもので、主に産業革命以降の工業化がなされた時代の機械が対象になっています。スバル360がなぜ、機械遺産に認定されたのでしょうか?
Chapter
スバル 360とは?
スバル360に投入された数々の斬新なアイデア
スバル360の後継車は短命で終了
スバル360には家族がいた
スバル360の中古車価格は?

スバル 360とは?

スバル 360は、現在のスバル(当時、富士重工業)が製造していた軽自動車で、1958年から1970年まで約39万2,000台が生産されました。

量産型の軽自動車では初の大人4人の乗車を可能とし、当時としてはすぐれた走行性能を有していました。またコンパクトなボディーでありながら実用性も考慮されたクルマで、画期的なアイデアが多く取り入れられていました。

そして日本最初の大衆車とされ、同時にマイカーという言葉を誕生させたクルマでもあります。フォルクスワーゲンの大衆車、タイプ1が「ビートル(かぶと虫)」と呼ばれているのに対し、このスバル360は「てんとう虫」の名で親しまれています。

当時の自動車は、安くても100万円ほどで、月給数千円の庶民にはとても手の届くものはありませんでしたが、スバル360は数々の難題を乗り越え、42.5万円と破格を実現しました。

スバル360に投入された数々の斬新なアイデア

スバル 360のエンジンは当時の軽自動車基準に準じた356ccで、徹底的な軽量化を図るため、モノコック構造を採用。フロアパネル以外は0.6mmという薄さの鋼板が使われました。

それによる強度不足は、曲面を多用した卵型にすることで補っています。かわいいフォルムが、デザイン性ではなく設計上の都合だったというのは意外な点です。また、ボディー強度に影響のない部分はアルミ材が使用されました。

ルーフ部分には当時の新素材であったGFRP(ガラス繊維強化プラスチック)を使用。これが的中し、ボディーの軽量化だけでなく、車体の重心を下げるとともに車内に響くエンジンを車外に逃がすという、いくつもの利点を生み出しました。

また、スプリングをトーションバータイプにすることで室内空間を広くとる工夫をしたり、エンジンレイアウトをRR(リアエンジン・リアドライブ)とすることで重量増を抑制(プロペラシャフト分軽量にできる)、さらにガラスは重量がかさむことから、ボディーは開口部を狭くする工夫も施されていました。

しかし問題点もありました。当時は軽自動車用のタイヤというものが日本では作られていなかったのです。スバルは10インチのタイヤの開発をブリヂストンに依頼し、市販化にこぎつけました。

こういった数々の斬新なアイデアにより、スバル 360は歴史に名を残す自動車として評価されることとなりました。
【スバル 360のスペック】

エンジン:空冷2ストローク直列2気筒(EK-31型)
排気量:356cc
駆動方式:RR(リアエンジン・リアドライブ)
最高出力:16PS/4500rpm 
最大トルク:3.0kgm/3000rpm
全長:2,990mm
全幅:1,300mm
全高:1,330mm
車両重量:385kg

(1958年5月発売当時のスペック)

スバル360の後継車は短命で終了

スバル360がまだ現役として頑張っていた1969年にスバル R-2というモデルが誕生しました。水冷2気筒エンジン(EK-33型)、RR採用とスバル360のコンセプトを継承し、スバル360より広い室内スペースやトランクルームの新設など新しい時代のミニセダンとして注目され、1ヶ月2万6千台もの注文が入ったのです。

しかし、偉大な先代モデルを前に、2世のひ弱さを露呈し、他社との競争という荒波の中で、その勢いは衰えていき、1973年にスバル レックスに道を譲るようにしてカタログから消えてしまいました。

スバル360には家族がいた

スバル360をベースに作られたクルマがあります。そのクルマとは、1961年にデビューしたスバル サンバーです。

スバル 初代サンバーは、乗用車のスバル360をベースにしているだけに乗り心地や走行安定性に優れていました。それだけでなくエンジンの上に運転席があるキャオーバー型を採用し、当時の軽4輪トラックの中では最も低床で、広い荷台を有していました。

さらに、RR、4輪独立懸架を採用することによりサンバー(SAMBAR=インド原産の鹿)という名前の通り、出足や加速性能、登坂性能なども他の追随を許さず、“農道のポルシェ”と評されるほど軽トラとしての一時代を築きました。

スバル 初代サンバーには最初からトラックタイプとバンタイプがあり、いずれも1966年に2代目、1973年には3代目にフルモデルチェンジされますが、この時にスバル360の空冷エンジン(EK-31型)から水冷エンジン(EK-34型)に変更され、スバル360の家族から巣立っていきました。

スバル サンバー、スバル サンバーバンはこれ以降1999年の6代目までは自社生産が続き、2012年にはスバルの軽自動車生産中止とともにダイハツ ハイゼットをOEMで販売(7代目)することになり、2020年7月現在トラックはスバル 8代目サンバー、バンはスバル 7代目サンバーバンとして継続販売されています。

スバル360の中古車価格は?

スバル360は製造中止から50年。さすがに中古車市場にはクルマの台数は少なくなりました。それでも中古車市場に出ているものは、それなりに程度はいいようで、そのほとんどが修復歴なしとなっています。

 価格は大手中古車情報サイトでは70万円から210万円とかなりの高低幅があり、210万のクルマは1968年式で走行距離4.1万kmとウソのようにピカピカです。

スバル360は、発売開始から約60年、製造中止からも50年たっています。これからどんどん少なくなっていくであろうスバル360の中古車、今後値が下がることはないかもしれません。なんともこの小さくて、愛らしいクルマに興味ある方はもうこのあたりが最後のチャンスかもしれませんね。
軽自動車でありながら、当時としては画期的な技術が数多く投入されたスバル 360。それまでのクルマ作りの概念を覆す、新しい試みと設計は、その後の日本のクルマ作りにも影響があったことでしょう。

スバル 360は、日本の自動車界で語り継がれていくべき偉大な機械遺産なのです。
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