Rolling 40's Vol.61 愛とミニバンと名古屋メシ

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私のプライベート造語なのだが、「ファミリー」と「コンシャス」をくっつけて「ファミリシャス」と言うモノがある。「家庭的で素晴らしい」ということを茶化した御当地スラングなのだが、実際、そういう要素がクルマの買い替えに与える影響は大きい。

text:大鶴義丹 [aheadアーカイブス vol.131 2013年10月号]
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Vol.61 愛とミニバンと名古屋メシ

Vol.61 愛とミニバンと名古屋メシ

45歳という私くらいの年齢になると、男子は確実に生活スタイルが分かれてくる。経済的な差異は論じても大して意味がないのであえて割愛するが、同レベルの社会生活を送っている仲間同士でも、大きく人生のチャンネル選びが変わってくる。

まず現時点で結婚しているかいないか。次に子供がいるかいないか、結婚経験があるかどうか。

これらの分かれ道の先にクルマ選びの違いがある。その中でも大きな分かれ道はミニバンという存在だ。私はミニバンとは不思議な存在だと思うときがある。そこに詰まっているのは家族や愛だけではないのだ。

私などは「都内在住・子供ナシ中年夫婦」としての典型的なスタイルで暮らしているので、ミニバンとは縁遠い。だが、そんな私でもたまにミニバンが欲しくなるときがある。

生活にかかわる人間が自分を含めて二人しかいないのに、わざわざ友達専用無料タクシーになりたいとでもいうのか。しかしそれが分かっていても欲しくなるのだから摩訶不思議だ。その魅力とは何なのだろう。

良い悪いは抜きにして、現在のミニバンは日本独自のガラパゴス的乗り物である。ミニバンというジャンルは元々はアメリカが発祥で、幅2m以上のドでかいものが祖先である。

大家族が余裕で乗れ、快適に移動できるというだけでなく、アメリカ的な子供の送迎、大量の買い物など、公共交通などが日本のように細かく整備されていない大陸的な地域性から生まれたものだ。

しかしその巨大なサイズのまま輸入したのでは、マニアックな用途以外では日本では大き過ぎ、世田谷や下町などの細い裏道に入り込んだらひと騒動。そこで’90年代に本家アメリカをダウンサイジングしたのが、現在の和製ミニバンなのだ。

そして日本メーカーはここに新たな遺伝子を組み込む。本来は実用車としての用途でしかなかったミニバンに、御家芸である高級ハイソカー的要素を組み込んだ。

アルファード、エルグランド、がその代表的な車種で、実際これらには新車価格が500万円以上もするグレードがある。実用車ではなく、完全にトップクラス高級車と言って良いだろう。

そしてこれら高級ミニバンの不思議なところは、バブルが弾けてから現在までほとんど勢いをなくさず売れ続け、リセールバリューもナンバーワンということだ。

しかし、このガラパゴス的進化の理由は簡単で、日本の駐車場事情の制約だ。それ相応の収入があるとしても2台以上のクルマを持つことは稀であり、多くの要素を一台に集約する必要がある。

一台のクルマに「家庭のニーズ」「お父さんの見栄」という二つの相反する要素を強引に混ぜて煮詰めたのが、今の和製高級ミニバンなのである。

そこで「ファミリシャス」という造語の話に戻るが、高級ミニバンを買うお父さんというのは、家庭を意識している素晴らしい父でもあるが、同時に何かを忘れられない夢見人でもあるのだ。

全てを家庭に投げ出すことが出来ないからこそ、ミニバンのホイールを変えたりエアロバーツを付けたり、革シートのオプションを付けたりする。元祖ハイソカーである「ソアラ」「マークⅡ」「セド・グロ」の思い出を、記念碑のように隠し持つということかもしれない。

では私のような生活スタイルでもたまに高級ミニバンが欲しくなる。どうしてなのか。

「五目野菜カレーラーメン」

私見だが、その手のメニューを注文する奴は食通ではないと思う。スープと麺とカレーが理論的に最適な状況で組み合わさる訳はなく、味や歯ごたえが絶対に混乱するのは分かり切ったことだ。そういうカオスをあえて意図的に作り出す「名古屋メシ的世界観」というものもあるが、私は断固として認めない。

しかしそんな偏狭者の私でも、たまにそんなメニューに強く惹かれることがある。それは決まって仕事の移動中などの忙しい時間だ。

「何だかカレーも食べたいし、ラーメンも食べたいし、最近野菜も不足しているな」

そんな心理状態に限って、その手のメニューに強く惹かれてしまうのだ。つまり、仕事にも遊びにも疲れているときに、どうしてか欲しくなるミニバン

まさにこれが高級ミニバンの構成要素だと思う。仕事が忙しくて週末しか時間がない男子。子供たちを野球やバーベキューに連れて行かなくてはならないし、お盆の里帰り、奥さんの買い物の積み下ろし、しかし、昔乗っていたフルエアロの深リムアルミで決めたソアラの日々は忘れられない。

だが果たしてそれで良いのだろうか、愛に溢れたファミリシャスな男子たちよ。

そして私たち夫婦はまだ2ドアで行こう。普段は二人だけなのだから、ドアも2つで良い。簡単な結論だ。

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text:大鶴義丹/Gitan Ohtsuru
1968年生まれ。俳優・監督・作家。知る人ぞ知る“熱き”バイク乗りである。本人によるブログ「不思議の毎日」はameblo.jp/gitan1968
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