Rolling 40's vol.65 大人始動

Rolling

※この記事には広告が含まれます

数年前、ある会社を立ち上げた友人が、会社の経営が軌道に乗るまではバイクに乗らないと、長いこと大事にしていたバイクを売り払った。随分と長く一緒に乗ってきた仲間なので、彼の行動は乗り続けていている側の私にはジワリと腹に響いた。

text:大鶴義丹 [aheadアーカイブス vol.135 2014年2月号]
Chapter
vol.65 大人始動

vol.65 大人始動

自分はバイクに乗り続けていて良いのか、乗り続ける意味を見失っているのではないかと自問自答し、揚句の果てには自分も降りる時期が来たのかもしれないなどと弱気になる。

だが結局私は降りはしなかった。自分はまだその時期じゃない。

自分の親ほどの年齢のバイク乗りの大先輩がバイクを降りるときに立ち会ったことがある。身体的なトラブルからの避けられない引退だった。乗らないバイクを磨いている彼の背中を見ながら、いつかは同じようなときが自分にも来るのだろうと思った。

その背中を誰かに見られながら、乗り続けた古いバイクを見つめているのだろう。そのときに私が何を思うかは、これからの自分の乗り方次第だ。

たまに他人様から、いい歳してバイクに乗るお小遣いがあって良いですねと、斜め上から余計なことを言われる。

しかしバイクに乗り続けるか否かはお金の問題ではない。バイクというものは、無理に使おうと思えば新車のベンツくらい費用がかかる遊びだが、反対に十万円台でも十分に興奮できるものだ。主役はスピードに晒される己の肉体であり機械は脇役でしかない。そこがクルマとは絶対的に違う。

だからバイク乗りはマシンの高い安いにあまり気持ちの軸を置かない。ちゃんと乗っているか否かということの方が大事なのだ。そういう点でも、クルマに乗り込むということとバイクに跨るということは別次元の行動形式なのだろう。

そんなことを考えながら、真冬でも少し晴れるとバイクでふらりと遠くに乗り出してしまう。高速道路ではワゴン車の家族連れから「寒くないのかしら」と笑われているのだろう。

凍死する訳ではないので、バイクを乗ることにおいて寒い寒くないはあまり関係ない。彼らは絶対に理解できないだろうが、バイクは気持ちが良いから乗っているのではない。バイクに乗らない自分が許せないから乗っているのだ。または反対に、バイクに乗っている自分に安心できるから乗るとも言えるだろう。

そんな世迷い加減だから、正月の4日も伊豆と箱根にバイク仲間と出掛けてしまった。待ち合わせたのは某サービスエリア。珍しいくらいの快晴とはいえ正月の空気は冷凍庫だ。

しかしサービスエリアに着いて驚いたのは、ビックリするくらいのバイク乗りの数だった。あまりの数に、普通の方たちは何かバイクに関するイベントでもあるのかと遠巻きに冷たい視線を送っていたくらいである。

ヘルメットを脱ぐと同年代のオッサンばかりなのは今となっては見慣れた光景だが、自分と同じようなヤカラがこんなにいるという現実に、妙に安心感を得た。

私たちはそのまま伊豆に向かい寿司を食べた後、半分凍っているような伊豆スカイラインを抜け、大観山のカフェで富士山を見ながらくだらないバイク談義を2時間以上も続けた。

ハッキリ言って駅前のマクドナルドで恋愛話を延々と続ける女子高生と何ら変わりないが、そんな気持ちになれるのも、その日一日バイクに跨り続けたからだろう。

お正月が開け、いつの間にか正月ボケも消え去り仕事も寒空の下に通常営業。そんな大寒の日に、前記した数年前にバイクを売り払った友人から電話がきた。

電話の向こうの友人は興奮した様子で今バイクを買ったと言った。私を驚かそうと黙っていたらしく、そのバイクは現在世界最速と評されるモンスターマシンだった。

そんなバイクを乗りこなせないのは互いに分かっていることだが、そういう「無駄遣い」をしてくれる友人を私はすごく頼もしく感じた。またそれは友人の会社が上手くいっているということでもあり、すべての意味で私には朗報だった。

近々そのバイクを見せてもらうことを約束した後電話を切り、バイク乗りの復活にひとり静かに拍手を送った。

やはり自分がバイクを降りなかったことは間違ってはいなかった。

こんな年齢だ。それぞれ互いに大事な仕事を山のように抱えているので、昔のように年がら年中バイクでつるんでいる訳にはいかない。家族もいるので、意味もなく一晩中走り回って明け方に帰路に着くようなことも出来ない。

でも今年はそんな友人と一度くらいは泊りがけのツーリングをするだろう。新しいモンスターバイクの驚愕の加速も見ることにもなるだろう。そして宿では飲んでしゃべって、最後に大いびき。

たった一度のそんな日があるかないか、これが私たちの年代にとってどれだけ大きなことかが最近分かりだした。それを出来る人生とできない人生の間に、どれだけ心の豊かさの違いがあるのか。それを知り始めたからこそ、そういう友人やバイクを大事にしたいと改めて感じた。

ここまでくると、バイクに乗るのが上手いとかは全く関係ない。今現在、バイクに乗っているか否かだけだ。

---------------------------------------
text:大鶴義丹/Gitan Ohtsuru
1968年生まれ。俳優・監督・作家。知る人ぞ知る“熱き”バイク乗りである。本人によるブログ「不思議の毎日」はameblo.jp/gitan1968
【お得情報あり】CarMe & CARPRIMEのLINEに登録する

商品詳細