Rolling 40's Vol.66 赤道での再会

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今アフリカのウガンダにいる。それも首都カンパラから600キロほど北西の、ケニアとの国境境近くの辺境地にいる。観光ではなく、某ドキュメンタリー番組の撮影だ。

text:大鶴義丹 [aheadアーカイブス vol.136 2014年3月号]
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Vol.66 赤道での再会

Vol.66 赤道での再会

いちおう外国人向けのホテルや小さな銀行や商店があるような、ギリギリ町と呼べるような場所だが、当然(?) の如く電気は来ていない。

ホテルや商店は夜の一定時間だけ自家発電機を回すのだが、1時間に一度はエンストして停電になるようなレベルだ。水道も決まった時間しか水が出ず、あらかじめバケツに溜めておく必要がある。

赤道直下なので寒い訳がなく、電気がないということはエアコンもなし。南国と言ってもハワイ気分とはいかない。

しかし人間は強い。日本であれば無尽蔵に使えるようなモノがないと最初は苛立つが、最後には無い物は仕方がないと諦める。シャワーやネットがなくても、飯が食えていビールがあれば大した問題ではない。

ウガンダは鉄道網が良くないので、この場所には首都カンパラから自動車で二日半の時間をかけて辿り着いた。何故そんなに時間が掛かるかというと、600キロの道のりのうち半分は舗装路なのだが、後半の300キロは乾いた赤土のサバンナのような道が続くのだ。

その手のエリアを写真やテレビなどで見たことがある方も多いと思うが、実際に走ると大きな石がゴロゴロしていて、突然大きな穴が空いていたり巨大な轍が待ち構えていたりする。

見た目には大自然を満喫という感じだが、現実は人間にもクルマにもハードな道路事情である。当然スピードは路面状況が良いところでも50キロも出せれば御の字だ。揺れで搭乗者も首を傷めたりする。

そんな場所にいると、四輪駆動車の本当の在り方とありがたみがとことん理解できる。私自身も都内で四輪駆動車を所有した経験があるが、その走破性を試したのは数回程度。走行距離6万キロで売却した。

クルマのポテンシャルとしては、広い車内と乗用車より高いアイポイントくらいしか味わっていない。しかしウガンダような国では、四輪駆動車の本当の設計意図や実力をまざまざと感じることになる。

今回の旅路においても何度も落し穴のような溝を越えたり、川を渡ったりしている。重ねて言うが、オフロードパークでの遊びではない。トラブルが起きればレスキューに丸一日炎天下で待たされるようなエリアでの話である。

またブッシュを走ればアフリカ特有のでかいトゲのある草木ですり傷だらけになり、車内外からエンジンルームまで、全てが赤土のダストまみれになる。河川敷での四駆遊びとは何から何まで、求められるレベルも意味も違う。

今回のそんな冒険の友は、『ISUZU ビックホーン Handling by LOTUS』。日本から輸入された15年選手である。このHandling by LOTUSシリーズ、懐かしいと涙する方もいるのではないだろうか。

ウガンダはイギリス植民地の歴史があるため、日本同様に左側通行である。それ故に走っているクルマのほとんどが日本からの中古車なのである。トラックやワゴン車などは、車体に日本企業名のペイントやステッカーが残っているものも珍しくない。今回の旅の友であるビックホーンにも、どこぞやの神社の交通安全祈願ステッカーが貼ってあった。

所有者であるコーディネート会社の方によると、ウガンダのような道路事情では、四輪駆動車の能力や耐久性が如実に分かるらしい。中古で輸入される形だけの四輪駆動車は数ヵ月でガタガタになる。だがこのクルマは、世界的評価の高いランクルと同等以上だという。

ISUZU自体が乗用車の世界から撤退して久しいというのに、そのクルマ作りが本物だというのだから皮肉なものである。皆さんはISUZU自動車の世界観を覚えているだろうか。昭和組ならば117クーペ、ジェミニやピアッツアに憧れた経験があるはずだ。

ISUZUの乗用車開発からの時代的経緯や理由をあらためて云々するつもりはないが、同社が本当に良いもの作りをしていたのは、私が今いる環境でのISUZU車の評判や活躍を知れば言わずもがな、である。

ヘビーデューティが基本のトラック作りがベースにある故に、質実剛健そのものなのだろう。その技術で作られた車体を、今現在新車で乗ることが出来ないのは残念な限りだ。

もし仮に同社が乗用車から撤退していなかったとしたら、独特の哲学が生み出す最新乗用車はどんなモノになっていただろうか。御家芸のディーゼルを進化させたり、不思議ちゃんなデザインをさらに昇華させたりと在り方は幾らでもあるはずだ。それを妄想だけで済まさなければならないのが残念で仕方がない。

すっかり忘れかけていたISUZUという「響き」。灼熱の赤道直下での再会に、懐かしいと同時に失ったモノの大きさを知ることになった。ピアッツァNEROは無理かもしれないが、ディーゼルの技術を活かして四輪自動車部門だけでも復活とはならないのだろうか。

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text:大鶴義丹/Gitan Ohtsuru
1968年生まれ。俳優・監督・作家。知る人ぞ知る“熱き”バイク乗りである。本人によるブログ「不思議の毎日」はameblo.jp/gitan1968
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