埋もれちゃいけない名車たち vol.50 2代目チンクの後継車「FIAT 126」

アヘッド チンク

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〝自動車〟という大きな括りに文化はあるが、クルマ1車種ごとにも固有の文化が宿ることがある、と思う。メーカーが、あるいは開発に従事した人達がそのクルマに投影した世界観のようなものが個性を生み、その周辺に文化が形成されていくのだ。

text: 嶋田智之 [aheadアーカイブス vol.166 2016年9月号]
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vol.50 2代目チンクの後継車「FIAT 126」

vol.50 2代目チンクの後継車「FIAT 126」

けれど、それを変えてしまうのは簡単だが、継続させるのは難しい。その端的な例が、誰もが知っている2代目チンクエチェントことフィアット500と、その後継モデルとなったフィアット126の流れだろう。

1957年に発売開始されたチンクエチェントは、それまでクルマを買うことができなかったイタリアの普通の人々に、自由に移動できる悦び、ひとり(あるいはふたり)になれる安らぎ、家族が皆一緒に遠くまでいける楽しさ、たくさんの荷物を一度で運べる便利さ、といった数々の僥倖をもたらした立役者だった。

そのコロッとした独特のスタイリングもあって、愛玩動物みたいに愛された。そして今も、イタリアの庶民の暮らしを体現する生き証人として、世界中で愛され続けている。

けれど、その後継モデルとして1972年に発表された126は、一部の熱心なマニア以外からはすっかり忘れられつつあるような状況だ。

126の基本的なメカニズムはチンクエチェントからほぼ丸ごと受け継いだようなものだったが、車体は僅かに拡大されてその分室内も広がり、リアシートが可倒式になって荷物置き場が大きくなるなど使い勝手がよくなり、リアサスペンションが変更されて乗り心地と操縦安定性が向上するなど、イタリアの普通の人達がさらに快適に、安心してクルマを使えるよう心配りがなされていた。

が、スタイリングが当時のフィアットの方向性だった角形ヘッドランプを持つ直線基調の、没個性(チンクエチェントと較べれば、だが)なものになったことや、旧態依然としたメカニズムが全く魅力を生まなかったことなどがひとつの原因。

それに15年の時間が経過する内にイタリアの人々の生活レベルが少しずつ上がり、視線の先にあるのは自動車の最もベーシックなものではなく、もう少し上の方へと移行していたことが最も大きな原因。

126はチンクエチェントほどは売れなかったし、売れたクルマも古くなるに連れうち捨てられるようにして姿を消し、あまり数も残っていない。126は時代の流れに阻止されるかたちで、チンクエチェントがまとっていた文化を受け継ぐことができなかったのだ。

VWビートルに対するタイプ3、シトロエン2CVに対するディアーヌ、ミニに対するメトロなど、そういうクルマは他にもある。今になってみると、126の1970年代を体現しているようなルックスをはじめ、いずれもかなり魅力的に感じられるのだが、それも時代の流れか。

FIAT 126

フィアット126は、1972年にデビューを果たした2代目チンクエチェントの事実上の後継モデルである。空冷直列2気筒OHVの594cc(後に652cc、702cc)を車体後部に配置するRRレイアウトばかりかホイールベースやフロントサスペンションまでもチンクエチェントから踏襲。

それは価格を安価に抑えるためのものだったが、時代の流れとともに人々の視線はこのクラスのクルマよりも上に向かい、1980年に8年という当時のベーシックカーとしては短い期間でイタリアでの生産を終えた。ただしポーランドのFSM社によるノックダウン生産は、2000年まで続けられた。

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text:嶋田智之/Tomoyuki Shimada
1964年生まれ。エンスー系自動車雑誌『Tipo』の編集長を長年にわたって務め、総編集長として『ROSSO』のフルリニューアルを果たした後、独立。現在は自動車ライター&エディターとして活躍。
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