インプレッサとランエボ…世界で勝つために造られた両車の決定的な違いとは?

ランエボ4

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スバル インプレッサと三菱 ランサーエボリューション。この2台は、長年しのぎを削ってきたライバルでした。サイズ、排気量、値段など、共通項がたくさんあるのは周知の事実ですが、その両車にはいったいどんな違いがあるのでしょうか。
Chapter
スポーツ4WD、その元祖は?
なぜ小さくできなかったのか?
ついに本腰を入れたスバル
ランエボはスポーティグレードの進化版
両車の違いは、基本設計にあった
過剰品質とチューニング

スポーツ4WD、その元祖は?

※写真はランチア デルタ HFインテグラーレ

そもそもインプレッサ、ランエボとも誕生した理由は、WRC(世界ラリー選手権)に出場するにあたり、戦闘力の高いマシンを追求したことでした。

曲がりくねったラリーコースを、身軽に駆け抜けられる小ささ、軽さ、コーナーの脱出速度と最高速を兼ね備えたハイパワーなエンジン、トラクションを無駄なく路面に伝える4WDが求められたのです。

まず1982年にアウディ クワトロが生まれました。同じグループBの時代、イタリアのランチアは、さらなる武器として「小さな車体」にターボ+スーパーチャージャーを備えたハイパワーエンジンを搭載し、4WD方式を採用したデルタS4を投入します。

しかし過激すぎたグループBマシンによる事故が相次ぎ、WRCは1987年から市販車をベースにするグループAで争われることなります。

このグループAで活躍したのは、ゴルフのライバルとして定着していたコンパクトカー、ランチア デルタに同社の高級セダン、テーマ用のターボエンジンと独自の4WDシステムを搭載したデルタ HF(インテグラーレ)でした。

その頃、国産のWRCカーは、トヨタ セリカ GT-FOUR、三菱 ギャラン VR-4、スバル レガシィRSなどのミドルクラスモデルであり、それぞれに善戦したものの、ランチアの牙城を崩すことは叶いませんでした。

なぜ小さくできなかったのか?

国産のWRCカーがミドルクラスだった理由はいくつかありますが、概ね価格と技術の問題に集約していいでしょう。

ハイパワーエンジンと4WDを搭載するとなると、相応の価格になってしまいます。事実、1989年に発売されたランチア デルタ HFインテグラーレ16Vの日本での新車価格は520万円もしたのです。

ところが、当時の日本のクルマ事情は「300万円ならミドルクラス。150万円ならコンパクトカー」といったように、価格とサイズが比例している必要がありました。

そのため、セリカもギャランもレガシィも、ラリーに勝つためには大きすぎるとわかっていながら、ベース車両をミドルクラスにせざるを得ない、小さなボディで作ることが難しい時代だったわけです。当時のラリーファンは、ランチア デルタの快進撃を歯痒い思いで見ていたものです。

ついに本腰を入れたスバル

※写真はスバル インプレッサ WRX

初代レガシィが思わぬヒットとなったスバルは、レオーネの後継車種となるコンパクトカーの開発が急務でした。そんななか、1992年に登場するのがインプレッサです。

もちろん、これはただのコンパクトとして作られたのではなく”WRCに打って出る”ことを強く意識して作られたものでした。

レガシィのプラットフォームをそのまま縮小、また低重心シンメトリカル4WDにEJ20型ターボエンジンという動力システムもそのまま引き継いだトップグレードがWRXで、1993年のシーズン途中からWRCに投入されました。

インプレッサ WRXは、濃紺の車体にスピードラインのゴールドのホイールを履き、1995年に初の世界チャンピオンを獲得します。

ランエボはスポーティグレードの進化版

三菱には、もともとラリーを視野に入れたランサーEXターボという後輪駆動の小型車がありました。ランタボの愛称で親しまれた2代目ランサーには、輸出仕様(おもにヨーロッパ向け)として、2.0Lの4G63型エンジンを搭載した2000EXターボが存在し、1982年にはWRC1000湖ラリーで3位入賞を果たしています。

その一方で、日本では、1.8LのG62型積んだ1800ターボが発売。国内ラリーなどで活躍しました。

その後、1988年デビューの3代目ランサーに、1.6Lターボにフルタイム4WDを搭載したモデルをラインナップ。しかし、あくまでもスポーティモデルという位置づけで、本格的なモータースポーツに供するためのものとは言えませんでした。

ちなみに当時のWRCには、ランサーよりも大きなボディを持ったギャラン VR-4が投入されていました。

そこで三菱は、1991年にデビューしたギャランよりもコンパクトなボディの4代目ランサーに、白羽の矢を立てることになります。

ベースとなったのは、すでにラインナップにあったGSR。1.8Lターボ+フルタイム4WDのGSRに、ギャランVR-4で使っていた4G63型エンジンを換装し、ランサーエボリューションを誕生させます。デビューは1992年。奇しくも、スバルがインプレッサを発表した同じ年でした。

両車の違いは、基本設計にあった

サイズ、価格、スペック…これらを見ただけでは、あまり違いを感じないかもしれません。しかし両者の決定的な違いは、足まわりやボディの設計に対する考え方にはっきりと出ています。

インプレッサは、もともとラリーに出ることを考えて作られたクルマ。ですからベースモデルの設計品質も、WRX基準だったりします。これは富士重工というメーカーの考え方で、どちらかというとヘビーユースを軸にして設計し、安いモデルはそのあとに作るといったようなプライオリティとしていました。スバリストは、そういうところがたまらないと思う人が多いのです。

対して三菱は、まず十分なコスト計算のもとに過不足ない小型乗用車を設計し、それを基本として補強をしたり大幅にチューニングを施すことで、ランサーエボリューションというクルマを作り上げました。これもまたチューニング好き、スペックマニアにとっては堪えられない魅力となっていくというわけです。

過剰品質とチューニング

そのため、インプレッサの普通モデルは、過剰品質と言われた時期があります。基礎部分をWRXと作り分けをしなかった、それはスバルの良心かも知れませんし、そこまでやる手間やコストがかけられなかったのかもしれません。そして、インプレッサの通常モデルは、収益率にあまり寄与しなかったのかもしれませんね。

その点ランサーは、通常モデルはおとなしいクルマとしてまったく別のクルマであり、エボはメーカーチューンドカーの極みのような存在とも言えます。

ただ速くてスポーティというだけでなく、両者にはこうした誕生の経緯の違いや、メーカーの考え方の違いが見えてきます。いまだにこの2台が気になっている方は、そのあたりも参考にしていただくとクルマ選びが面白くなるかもしれません。

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