世界のホンダを創り上げた本田宗一郎氏。彼が引退するに至った理由とは?

今回は、本田技研工業の創業者・本田宗一郎氏のとあるエピソードをご紹介します。

1948年に会社を設立し、翌年から藤澤武夫氏と共に二人三脚でホンダを世界的メーカーへと成長させた本田宗一郎氏。1973年に引退を宣言しますが、何が原因で世代交代へと至ったのでしょうか?

そこには本田社長の人並みならぬクルマづくりへの熱い想いが隠れていました。

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空冷エンジンにこだわり続けた本田宗一郎氏
空冷エンジンを搭載したN360が、ホンダを二輪車メーカーから量産四輪メーカーへと押し上げた
しかし、時代は空冷より水冷…ホンダ1300の失敗がそれを証明する。
「あなたは社長なのか?技術者なのか?」副社長の藤澤氏が本田宗一郎氏を説得

空冷エンジンにこだわり続けた本田宗一郎氏

本田技研工業の創業者である、本田宗一郎氏。

本田技研工業を発展させ多くの業績を残した同氏ですが、彼は異常な程に空冷エンジンにこだわりを見せました。

「世界に通用するエンジンは空冷でなければならない。」と主張し続けた本田社長は、若手の技術者達が水冷エンジンを推奨しても断固として空冷エンジンに固執。

なぜ、本田宗一郎氏はこんなにも空冷エンジンにこだわったのでしょうか?

空冷エンジンを搭載したN360が、ホンダを二輪車メーカーから量産四輪メーカーへと押し上げた

ホンダと言えば、元々は二輪メーカー。

1962年頃からホンダは四輪市場へと参入しT360やS360等を開発していきますが、ホンダを量産メーカーへと押し上げたのは1967年に発売したN360でした。

そのN360が搭載していたエンジンが、二輪車の開発で培った空冷エンジンだったわけです。
水冷エンジンと比べ、造りがシンプルで低コストな空冷エンジンは、本田宗一郎氏にとって理想のクルマづくりには欠かせない存在でした。

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しかし、時代は空冷より水冷…ホンダ1300の失敗がそれを証明する。