偉大なる失敗作「ホンダ 1300」の3つの欠点は挑戦への一過程
更新日:2024.09.09
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みなさんは、ホンダ 1300というクルマをご存知ですか?2輪から4輪車製造に踏み出し始めたホンダが、ファミリーカーとして開発したホンダ1300ですが、現在では”迷車”や”失敗作”などと揶揄されています。これは、どうしてなのでしょうか。また1300は、本当にホンダにとって失敗作だったのでしょうか?
ホンダ1300の欠点その1|本田宗一郎氏のこだわりから生まれた空冷エンジン
ホンダ 1300は、ホンダが1969年から1972年まで生産・販売していた小型乗用車です。
初の本格的小型車として開発されたホンダ 1300の特徴と言えば、やはり高性能空冷エンジンを搭載したことです。時代が空冷から水冷エンジンへと推移していく中、本田宗一郎は断固として空冷エンジンにこだわったといいます。
フロントに横置きされたオールアルミ製1.3Lリッター直列4気筒エンジンは、100psと115ps仕様の2タイプが用意され、100psは77シリーズ、115psモデルは99シリーズとされました。このエンジン出力は、当時では世界的にもかなりハイスペックなものでした。
しかし注目はエンジンの冷却方法にありました。冷却には、外気をフロントから取り込むことに加え、エンジンに空気の通路を設け、そこにファンで強制的に風を送り冷却するというDDAC(一体構造2重壁空冷方式)を採用していたのです。
また、オイル潤滑は、冷却に有利なドライサンプ方式を採用するなど、凝ったメカニズムが特徴でした。
ホンダ 1300は、当初セダンを発表し、その後クーペも追加され小型車ながら走りにもこだわったモデルとして世に登場しましたが、その売れ行きは絶不調!なんと、これだけ高性能であったのにも関わらず、世に受け入れられなかったのです。
なぜ、1300は売れなかったのでしょうか。そこには大きく3つの理由がありました。
初の本格的小型車として開発されたホンダ 1300の特徴と言えば、やはり高性能空冷エンジンを搭載したことです。時代が空冷から水冷エンジンへと推移していく中、本田宗一郎は断固として空冷エンジンにこだわったといいます。
フロントに横置きされたオールアルミ製1.3Lリッター直列4気筒エンジンは、100psと115ps仕様の2タイプが用意され、100psは77シリーズ、115psモデルは99シリーズとされました。このエンジン出力は、当時では世界的にもかなりハイスペックなものでした。
しかし注目はエンジンの冷却方法にありました。冷却には、外気をフロントから取り込むことに加え、エンジンに空気の通路を設け、そこにファンで強制的に風を送り冷却するというDDAC(一体構造2重壁空冷方式)を採用していたのです。
また、オイル潤滑は、冷却に有利なドライサンプ方式を採用するなど、凝ったメカニズムが特徴でした。
ホンダ 1300は、当初セダンを発表し、その後クーペも追加され小型車ながら走りにもこだわったモデルとして世に登場しましたが、その売れ行きは絶不調!なんと、これだけ高性能であったのにも関わらず、世に受け入れられなかったのです。
なぜ、1300は売れなかったのでしょうか。そこには大きく3つの理由がありました。
ホンダ1300の欠点その2|操作性の悪さや室内の狭さを招いた設計
①ハイスペック×空冷の両立の壁
まず最初にあげられる理由が、ハイスペックであることと空冷式エンジンを両立することが非常に難しかったことが挙げられます。
1300に搭載されたエンジンは、かなりの高出力・高回転型のため、発熱量が非常に大きいです。発熱量が多いと、どれだけ冷却を工夫しようともオーバーヒートの危険性は避けては通れません。渋滞時など、なかなか車が進まない時などはユーザーにとってかなりのストレスとなっていたのでしょう。
そのためマイナーチェンジでは、最高出力を落とすデチューンが施されました。
軽量・低コストがメリットの空冷エンジンでしたが、DDACの採用によって、重量が重く、構造も複雑化。さらに製造コストも高くなってしまいました。
1300に搭載されたエンジンは、かなりの高出力・高回転型のため、発熱量が非常に大きいです。発熱量が多いと、どれだけ冷却を工夫しようともオーバーヒートの危険性は避けては通れません。渋滞時など、なかなか車が進まない時などはユーザーにとってかなりのストレスとなっていたのでしょう。
そのためマイナーチェンジでは、最高出力を落とすデチューンが施されました。
軽量・低コストがメリットの空冷エンジンでしたが、DDACの採用によって、重量が重く、構造も複雑化。さらに製造コストも高くなってしまいました。
②重たいフロント。思い通りに動かないステアリング
1300のエンジンは、オールアルミ製です。しかし、空冷エンジンのデメリットである騒音を抑えるため、通常の設計よりも重量が重く、車両はフロントヘビーになってしまいました。
そのため思い通りのハンドリングができず、操作性が非常に悪いクルマというイメージがついてしまいました。
そのため思い通りのハンドリングができず、操作性が非常に悪いクルマというイメージがついてしまいました。
③主役はエンジン?FFのメリットを活かしきれないパッケージ
FFという駆動方式は、フロントにエンジン、ミッション、ドライブトレーンが集中するため、室内が広く取れるというメリットがあります。
ところが1300は、エンジンユニットが大きく、パッセンジャーの空間を狭めることになっていました。さらに空冷式のデメリットとしてヒーターの性能が低いなど、居住性について芳しくない評価を受けてしまいました。
ところが1300は、エンジンユニットが大きく、パッセンジャーの空間を狭めることになっていました。さらに空冷式のデメリットとしてヒーターの性能が低いなど、居住性について芳しくない評価を受けてしまいました。
ホンダ1300の欠点その3|オールアルミエンジンで部品取り車がない
ホンダとしては、ファミリーカー市場に進出した記念すべきモデルですが、部品不足もあり現存する1300は極端に少なくなっています。
理由は、オールアルミエンジンであったため、部品取り車がほとんど世に出回らなかったからです。1300が発売された60~70年代は、鉄くずですら十分なお金になるといった時代。そんな中、アルミは特に高価であったため、部品取り車となる前に解体され、金属として売られてしまったそうです。
また、ホイールのPCDも120と珍しく、装着できるホイールの種類も多くありませんでした。これらの理由により、ホンダ1300の売れ行きは伸び悩み、1972年には生産が終了してしまいます。
その後、ホンダは水冷エンジンへの道を進んでいくことになり、本田宗一郎氏がこだわり続けたハイスペック空冷エンジンへの夢は途絶えます。
このような背景があったために、1300は「ホンダの失敗作」と呼ばれていたのですね。しかし、1300の存在は本当に失敗だったのでしょうか。
結果はともなわなかったにせよ、水冷へと時代が進む中、空冷エンジンにこだわり信念を貫いたこと自体は、非常に前向きで挑戦的な姿勢です。
「チャレンジして失敗を怖れるよりも、なにもしないことを怖れろ」
そんな本田宗一郎氏のモノづくりの姿勢を体現した1300は、”意味のある失敗”であったのかもしれませんね。
理由は、オールアルミエンジンであったため、部品取り車がほとんど世に出回らなかったからです。1300が発売された60~70年代は、鉄くずですら十分なお金になるといった時代。そんな中、アルミは特に高価であったため、部品取り車となる前に解体され、金属として売られてしまったそうです。
また、ホイールのPCDも120と珍しく、装着できるホイールの種類も多くありませんでした。これらの理由により、ホンダ1300の売れ行きは伸び悩み、1972年には生産が終了してしまいます。
その後、ホンダは水冷エンジンへの道を進んでいくことになり、本田宗一郎氏がこだわり続けたハイスペック空冷エンジンへの夢は途絶えます。
このような背景があったために、1300は「ホンダの失敗作」と呼ばれていたのですね。しかし、1300の存在は本当に失敗だったのでしょうか。
結果はともなわなかったにせよ、水冷へと時代が進む中、空冷エンジンにこだわり信念を貫いたこと自体は、非常に前向きで挑戦的な姿勢です。
「チャレンジして失敗を怖れるよりも、なにもしないことを怖れろ」
そんな本田宗一郎氏のモノづくりの姿勢を体現した1300は、”意味のある失敗”であったのかもしれませんね。