Rolling 40's Vol.82 スーパーカー

Rolling

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スーパーカーを所有する集団の、ネット投稿も絡めた暴走族的な行為が問題化し、逮捕者が出るような事態になったとテレビやネットニュースで話題になっていた。

text:大鶴義丹 [aheadアーカイブス vol.152 2015年7月号]
Chapter
Vol.82 スーパーカー

Vol.82 スーパーカー

ネット投稿などでアピールするこの手の集団の存在は知っていたし、実際に現場で見たこともあるし、遠い知人のまたその先に似たようなグループに関わっている知り合いもいる。

私も「首都高速トライアル」という映画で銀幕デビューし、映画「キリン」を強引に映画化してしまったような身分なので、ことさら偉そうなことを言うつもりはない。

いつの時代も乗り物に関わるこういう「騒ぎ」はあるもので、バブル時代の最高速ブームや港湾地区でのゼロヨン大会、またはベイブリッジ下でのドリフト黎明期なども若き日の瞳で見ている。こういう言い方は良くないかもしれないが、当時の方が状況は何倍も酷かった。

千鳥町市川パーキングでは週末の夜ともなればチューニングカーが溢れ返り、あちこちで空吹かし大会。今は高級ホテルが立っている幕張海岸沿いや有明、神奈川では横浜の市場裏で、常軌を逸した公道ゼロヨン大会に集まる集団が行列を作っていた。大垂水峠でもバイク少年たちが何人も10代の若い命を散らしていった。

だが、今回のスーパーカーのトラブル映像を見ると、自分たちが体感してきた「公道の世界観」とは違うなあと隔世の感に包まれた。

一言で語ると、今の時代は「ネットと連動した光と音のエレクトリカルパレード」であり、私たちの時代のような「男臭い伝説秘話」ではない。どちらも果てしなく無意味で下らないことには変わりないが、ダラダラと長いストーリーを求めないのはネット社会の反映だろうか。

実際に本気で走っていた連中は長く走り続けるためにも無駄に目立たないことに徹していた。またそれが私たちからしても格好良く思えた。私自身も他人と関わるために走っていたのではなく、自己の確認のためだった。自分の中にある無意味な能力を知るためだった。

そんな私も50歳を手前に冷めてきたのか、公道というモノの意味を考えるようにはなった。公道はどこまで行っても税金で作った公道でしかなく、色々な人が自由気ままに走っている。

年寄りの高速逆走事故もあれば主婦のアクセルとブレーキの踏み間違いもあり、子供も好き勝手に飛び出すし、暴走自転車が人を殺す。酔っ払いが寝ているし、犬も猫もフラフラしている。

私は二輪も四輪も好きで好きでたまらないが故に、これから先の限られた時間、どれだけ乗り物というものと事故を切り離せるかが命題だと思っている。

公道でスピードキングを気取り、何かを確認したり追求しようとしても出口があるはずがない。下らない事故を起こしたらそこまで。もう乗り物と縁を切るしかないであろう。

ではサーキットに行けば良いかと言うと、サーキットというものは思ったより面白くない。そこにあるのはロマンではなく、学校の校庭のような果てしなく体育の世界である。それはそれで楽しいが、それだけじゃ満足できるはずもない。

それでは結局、安全運転以外はするなと言う免許更新の講習ビデオになってしまうが、人生には抜け道というモノがある。

当然、簡単ではないが、ある法則を守っているとかなり「死神」の魔手から距離を置けることも分っている。

「格好つけるな」

全てはこれに尽きる。16歳から、二輪四輪、水上雪上と馬鹿みたいに走ってきた47歳の最終結論である。

我々のようなタイプの人間が破滅的な事態に陥るときは、不思議なもので、必ず「虚栄」のエネルギーに関わっている。意識や運動において冷静な判断やコントロールが出来なくなるというような脳生理学的なものかもしれないが、格好つけようとしたときに限ってロクなことが起きない。

これを初めて経験したのは16歳。高校の校門の前で好きな子に目立とうとしてウィリーをして転んだときだった。運動神経絶好調の若き日、毎回100メートルくらいはウィリーを続けられたのに、その時は20メートルくらいで真後ろにひっくり返ってしまった。サーキットでも彼女を連れて行ったときに限ってイージーミスをすることがどれだけあったことか。

そんな私である。他人に走るなとは言わないし、言う権利もない。だが、走ることで他人様に格好つけようとするなとは声を大にして言いたい。

だから私は二輪では、かなりよく知った仲間と以外はツーリングをしないし、知らない人と走るときは一番後ろでオマメさんを演じる。

オフロードのコースに行くときも、自分より上手い人たちと行くようにしている。スピードが生み出す副産物である「虚栄」を徹底的に排除する。

面倒なことだが、30年間全開で走ってきて、あと何年それを続けられるかと考えると、多少面倒でも知恵を絞る必要があるということだ。

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text:大鶴義丹/Gitan Ohtsuru
1968年生まれ。俳優・監督・作家。知る人ぞ知る“熱き”バイク乗りである。本人によるブログ「不思議の毎日」はameblo.jp/gitan1968
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