埋もれちゃいけない名車たち VOL.2 蠍座の男が造ったクルマ「AUTOBIANCHI AII2 ABARTH」

アヘッド vol.2 蠍座の男が造ったクルマ UTOBIANCHI AII2 ABARTH

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今やアバルトは日本でも結構知られた存在で、小さいけど速くて楽しいクルマを生み出すイタリアン・ブランドとして認知されている。が、本国ではフェラーリを興したエンツォ・フェラーリと同様にリスペクトされてるにも関わらず、わが国では創始者であるカルロ・アバルトについて語られることはあまりない。

text:嶋田智之 [aheadアーカイブス vol.118 2012年9月号]
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VOL.2 蠍座の男が造ったクルマ「AUTOBIANCHI AII2 ABARTH」

VOL.2 蠍座の男が造ったクルマ「AUTOBIANCHI AII2 ABARTH」

1908年にウイーンに生まれた彼は、自らチューンナップを加えたモーターサイクルやサイドカーでレースを走って好成績を収め、国際的な名声を得ていたが、第2次大戦の勃発と同時にイタリアへと移住。

エンジニアとしての優れた才覚を活かしてスポーツカーメーカーのチシタリアで技術者として活躍するが、会社の倒産を機に1949年に起業、『アバルト&C』として、フィアットを中心とするチューニングパーツのメーカーとして活動を開始した。アバルトのパーツをつけたクルマは目に見えて速くなり、評判が評判を呼んでパーツ類は売れた。

その資金を利用して、アバルトはフィアットのコンポーネンツを巧みに使ったオリジナルのスポーツカーやフィアットにチューンナップを加えたコンプリートカーを開発し、レースの世界にも打って出る。そして1950年から'60年までの10年間だけ見ても計7500近くの勝利を得るという、凄まじい活躍を収めたのだった。

アバルトのエンブレムにある蠍は、実はカルロ・アバルトが蠍座生まれであることに由来するものだけど、小さい身体でチクッとやって巨大な相手を倒す蠍のイメージは、そのままアバルトの戦い方であり勝ち方だった。1971年に浅からぬ関係にあったフィアットの傘下に収まり、カルロ自身も1979年に病に倒れて他界してしまうが、数年前、彼と一緒に仕事をしていた人達に会うためにイタリアを走り回ったとき、誰もが似たようなことをクチにしたのには驚かされた。

──彼には確かに才能もあったけれど、アバルトのクルマが速かったのは、それだけが理由じゃない。彼は毎日それこそ24時間、ずっとクルマを速くすることばかり考えてた人だったんだ。その情熱だよ。情熱がクルマを速くしたんだ。

往時のアバルトを色濃く残し、カルロ直系といえるスタッフ達が作り上げた最後のクルマは何かといえば、おそらくこの1973年登場のアウトビアンキA112アバルトだろう。

日本の軽自動車程度の車体に当初は982㏄58馬力、後に1050㏄70馬力のOHVエンジンを搭載した激辛系ホットハッチで、車体の軽さをも武器にして、2クラス以上も上のクルマ達をガンガン追い回せるパフォーマンスを発揮した。どこをどう走ってもモータースポーツをしてる気分になれる、今でも走らせて最高に楽しい1台である。

カルロ・アバルトの情熱や思想は、現代に復活したアバルトにも確実に反映されている。大切なのは〝バッジ〟じゃないことを、彼らは知っている。ファンとしては、それが何より嬉しい。

AUTOBIANCHI AII2 ABARTH

A112は、後にランチアに統合される今はなきアウトビアンキが1969年に発表した小型大衆車。そのシリーズに1973年に追加されたA112アバルトは、フィアットの傘下に収まった後、アバルトのスタッフ達が総力を上げて開発したモデル。

プロトタイプの段階では982ccから108馬力を発揮し、軽自動車並の車体をあの時代にして200km/hオーバーで走らせる強烈なパフォーマンスだった。生産車は当初は58馬力、1975〜1985年の後期型は70馬力と“充分”を超えるもので、後期型では170km/hの最高速をも可能にしていた。

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text:嶋田智之/Tomoyuki Shimada
1964年生まれ。エンスー系自動車雑誌『Tipo』の編集長を長年にわたって務め、総編集長として『ROSSO』のフルリニューアルを果たした後、独立。現在は自動車ライター&エディターとして活躍。
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