埋もれちゃいけない名車たち vol.38 国際ラリーで大活躍した ランエボの先輩「三菱・ランサー1600GSR」

アヘッド 三菱・ランサー1600GSR

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23年にもわたってラリー・ファンや走り屋を熱狂させてきた三菱ランサー・エボリューションが、ついに生産終了。ファイナル・エディションが1000台限定で、メルセデスのCクラスにさえ手が届く価格で発売されたが、やはりマニアは熱かった。速攻で完売、である。

text:嶋田智之 [aheadアーカイブス vol.154 2015年9月号]
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vol.38 国際ラリーで大活躍した ランエボの先輩「三菱・ランサー1600GSR」

vol.38 国際ラリーで大活躍した ランエボの先輩「三菱・ランサー1600GSR」

これでもう泣いても地団駄を踏んでも、新車でランエボを買うことはできない。追加生産もなければ、次のランエボの開発を進める計画も聞こえてこない。ラリーイング・ランサーの歴史にも、ひとたびの幕が引かれたわけだ。

ランサー・エボリューション=ランエボは、ラリーを戦うために生まれてきた。1992年に登場した最初のランエボ、通称〝ランエボⅠ〟は、世界ラリー選手権への出場資格を得るために2500台限定で販売され、3日で完売したためさらに2500台が追加された。

その後はラリー・フィールドでの活躍とともに進化を続け、〝ランエボⅩ〟まで発展した。世界ラリー選手権では1996年から1999年にトミ・マキネンがドライバーズ・チャンピオンを4年続けて獲得、そして1998年にはマニファクチャラーズ・チャンピオンを獲得するなど、大活躍を収めている。

が、〝世界〟で活躍を見せたラリーイング・ランサーは、ランエボが最初ではない。初代ランサーも、なかなかのものだったのだ。1973年に発売された初代ランサーは、あまり似たモノのない個性的なスタイリングを持つ2ドアと4ドアのセダンで、半年遅れでスポーツ・グレードの〝1600GSR〟がラインアップに追加された。

クロスフローの半球型燃焼室を持つ1.6リッターSOHCの直列4気筒エンジンの圧縮比を9.5対1まで高め、ツイン・キャブレターを装着し、110ps/14.2kgmまで高めていた。ちなみに車重は825kg。最高速度は確か175㎞/hだったはずだ。

現代の水準で見ればスポーツ・グレードとしてはいかにもアンダーパワーであるが、当時の日本車としてはそこそこのもの。海外にはもっとハイ・スペックなライバル達がたくさん存在したが、ランサーGSRはオーストラリアのサザンクロス・ラリーで1973年から1976年まで4連覇、1974年のサファリ・ラリーで優勝、1976年のサファリでは1位から3位を独占、という目覚ましい結果を残したのだ。

もちろんマシンは競技用にチューンナップを受けていたが、クルマとしての素性がよくなければいくらチューンを加えても勝てるマシンにはならない。ラリーでの勝利は、ファミリーカーとしてランサーに乗るお父さん達の心を大いに躍らせたのだった。

ランエボなき後、オーナーがそんなふうな気持ちになれそうなクルマは、三菱のラインアップには存在しない。……頑張れ、三菱!

三菱・ランサー1600GSR

初代三菱ランサーは、1973年に発売が開始された小型セダン。デビュー当初はファミリーユースを意識したちょっと個性的なセダンといった印象だったが、およそ半年後にスポーツ・グレードが追加された。それが1600GSRである。

それまでのコルト・ギャランに代わるラリーのためのベース車両としても位置づけられていた。当時の1.6リッター・クラスには他にDOHCエンジンを積む車種も存在したが、SOHCながら匹敵する動力性能を発揮していた。国際ラリーでの目覚ましい活躍が、後に“ランエボ”での栄光へと結びついていく。

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text:嶋田智之/Tomoyuki Shimada
1964年生まれ。エンスー系自動車雑誌『Tipo』の編集長を長年にわたって務め、総編集長として『ROSSO』のフルリニューアルを果たした後、独立。現在は自動車ライター&エディターとして活躍。

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