Rolling 40's Vol.72 不思議の国のアリス

Rolling

※この記事には広告が含まれます

この夏は暇を見ては奥多摩の林道や、名もない山道を250ccのオフロードバイクでウロウロしている。当然、道交法的に入ってはいけないところや、私有地への侵入、自然のままの形を崩すようなことは絶対にせず、あくまで合法的にお邪魔させてもらうという気持ちを大事にしている。

text:大鶴義丹 [aheadアーカイブス vol.142 2014年9月号]
Chapter
Vol.72 不思議の国のアリス

Vol.72 不思議の国のアリス

こういう「林道遊び」を初めて覚えたのは'80年代バイクブームのときだった。他のバイク仲間たちが峠でのチキンレースに勤しんでいる中、私は林道や河原でのオフロードに没頭していた。今考えると随分と贅沢な遊びというか、高校生らしからぬ趣味趣向である。

当時の林道遊びの情報源は、当時としては画期的だった「バイク林道ツーリングマップ」という本だった。バイク屋で勧められたその本を手に入れ、そこに書かれている通りのルートを走り回った。

多くのバイクツボを押さえた素晴らしい本で、当時のオフロードバイク乗りにはバイブル的存在でもあった。その本との出会いがなければ、それほどまでに林道でのバイク遊びにハマり込むことはなかったであろう。

その本に導かれるかのように初めて訪れたのは、神奈川県の丹沢林道。今現在は宮ヶ瀬ダムができてしまい、ほとんどの林道はなくなったり走れなくなったりしてしまったが、当時は迷路のように幾つもの林道が丹沢周辺に広がっていた。

16歳の私はそれらの林道をたった一人で走っては冒険気分を満喫していた。迷った挙句に日が暮れ、燃料もなくなりかけたこともあったが、それら全ての出来事が巨大なアミューズメントパークのようであった。

その後林道や山遊びを通り越し、オフロードの草レースなどにも興じるようになった。一時期はかなり本気でのめり込んでいたものの、22歳くらいからは四輪の改造や草レースに興味は移り、いつの間にか林道や山にオフロードバイクで分け入ることもなくなった。

それから25年を経て、今年から復帰したオフロードバイクの「林道遊び」。

しかしその空白の25年間、バイク自体は変わらず乗り回していた。若いころには夢のまた夢であった大排気量のスーパーマシンや外車と、バイク高校生の夢を全て叶えるかのように、デカくて速いバイクを乗り倒してきた。

そんな私がここに来て再び250㏄の小さなオフロードバイクで、東京近郊の林道に分け入っているというのも不思議な話であるが、バイク道というのは奥に進めば進むほどキリがない。

自分が再びオフロードを走りたがっていると気が付いたのは、去年のことだった。伊豆の峠道にある休憩所でバイクと佇んでいると、その休憩所の脇にある林の小道からオフロードバイクがヒョッコリと顔を出した。

そんな場所からバイクが顔を出すとは思いもよらなかった私は思わず小さな声を上げてしまった。まるで「不思議の国のアリス」の、アリスと白ウサギとの出会いのシーンである。

不思議に思い恐る恐るその小道に歩いて入っていくと、その先には小さな入り口からは想像もできないような、雄大な海を臨むオフロードが続いていた。理屈ではなく、今すぐにその素晴らしい場所をバイクで走りたかった。ここを走らないでバイクの何を語れるだろう。

だが、少しするとその風景を見ながら体が震えた。どうにも悔しい話だ。自分が乗っているマシンは時速300キロ近くの速度が可能だと言われているというのに、逆立ちしてもここを走ることが出来ない。

仕方ないので徒歩で歩き回ってみたが、それではやはり満足がいかない。休憩所に戻り、自分の巨大なバイクを見ながら、オフロードに乗らなきゃダメだと全てを悟った。

バイクに乗る意味は人それぞれだが、自由な気持ちになれるという要素が大きいことに異論を唱える人はいないだろう。初めて乗った原チャリでさえ、アクセルをひねった瞬間にそれまでの人生には存在しなかった自由の感触に身体が震えたくらいだ。

その気持ちと温度を忘れられずに、30年以上もあらゆるバイクを乗り継ぎ、バイク欲の限りを満たしてきたつもりだった。だが、気が付かないうちに自分が自由ではなくなっていたと気が付いた。

高級バイクは転ばせられない。しかし転ばないことを延々と選び続けていることは、同時に多くの「選択」を無視していることなのだ。

非現実的なスピードや高級志向など何の意味もない。思いついた道を自由に迷うことなく「選択」できるということがバイクの大きな本質の一つだとあらためて気付いた。

先日、その伊豆の不思議の国へ続く道を、白ウサギを追ったアリスのようにオフロードバイクで入り込んでみた。林を抜け、晴れ渡った空の下、海を臨む細い草の中の道をゆっくりと走り続けた。海からの風の匂いが艶めかしかった。

辿り着いた場所でバイクを降りてエンジンを止めると、ある物質が体の中に染み込んでくるのを強く感じた。その物質の意味を知ったのも、確か丹沢の林道の行き止まりの山の中だった。

自分だけの不思議の国。そこにいけば、全ては何も変わってはいない。ただ「選択」する勇気と努力は必要とされる。

------------------------------------------
text:大鶴義丹/Gitan Ohtsuru
1968年生まれ。俳優・監督・作家。知る人ぞ知る“熱き”バイク乗りである。本人によるブログ「不思議の毎日」はameblo.jp/gitan1968
【お得情報あり】CarMe & CARPRIMEのLINEに登録する

商品詳細