Rolling 40's Vol.74 単独アタック

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昔から自ら好きになった「遊び」は、他人と一緒ではなくひとりで追求することが多い。サークル的な活動に頼らないというやつだ。それは一人っ子ということもあり、他人に頼らずに趣味性を追求するという手法だったのかもしれない。

text:大鶴義丹 [aheadアーカイブス vol.144 2014年11月号]
Chapter
Vol.74 単独アタック

Vol.74 単独アタック

「バイク」

この道楽は若い時に覚えて今現在でも続けているものだ。その分野で専門的な仲間やサークル的な存在には関わっているものの、結局一人で遊んでしまうことが多い。

受験勉強でも同じだったが、予備校だけ行けば成績が上がる訳ではない。予備校で覚えた受験テクニックをいかに自宅での勉強に活かせるかだった。

つまり物事が上達するときには、必ず「ひとり」の時間が必要なのである。私はダメなサッカー部員だったが、上手い奴は必ず部活動が終わった後に一人の練習時間を大事にしていた。私はみんなでワイワイやるサッカーが好きだったので、いつまでたっても上手くならなかった。

ただ、16歳になって始めたオフロードバイクだけは違った。近くに練習できる河原があるという好条件に恵まれ、とにかく時間があればひとりで河原に練習しに行った。

ちゃんとした先生はいなかった。ネットやユーチューブもないので、本屋で「モトクロス入門」という本を立ち読みしては暗記した。

見よう見まねで覚え始め、ジャンプに失敗して転んでは、その痛みに悶絶して天を仰ぐ。汗だくのヘルメットを脱いで、誰もいない河原を見回し、何のためにこんなことをしているのだろうかとひとり笑い出した。

中学校でやったサッカーはあまり上手くならなかったが、オフロードバイクだけはどうしても上手くなりたかった。

しかしそんなことを繰り返していると、若い運動神経なので、何となく様になってくるものだから不思議である。だが所詮は本屋の立ち読みで覚えたテクニックの域であり、河原にやってくる本格的な連中のレベルからすると話にならなかった。

それが大きく変わるのは、あるきっかけから出入りし始めたオフロードバイク屋との御縁だった。そこで元プロレーサーだった店長が手ほどきをするオフロードスクールがあった。

値段が高いことで関わらずにいたが、彼の熱心な勧めに、勢いで受講してみた。すると自分ひとりではどうしても分からなかった「コツ」が一気に理解でき、走り方のレベルが大きく進化した。本当にドンと世界が変わった。

またそういう集団に混じると自分がどのレベルにいるかということがハッキリ分かり、練習の方向性が見えることに大きな意味があった。当時からオフロードスクールは存在した。当時の自分は、お小遣いさえあれば最初からそちらに入ればよかったとも思ったが、それは間違っていると今なら分かる。

自分ひとりで悩んでは考え、それが壁ぶにつかるまでやったから、次のステップに向かうための有料スクールの意味があったのだと思う。

最近は何でも「商売」にする世の中だ。球技は当然ながら、昔なら頭をかしげるような趣味の世界でも有料スクールがたくさんある。親もそういう場所にすぐに子供を入れる。確かに便利だし上達も早いだろう。同じ趣味の仲間も出来るかもしれない。

だが何であれ、何かを上手くなるには絶対に「単独」なことが大事だ。その時間をどれだけ過ごすかが、その先に進むかどうかの分かれ道だと思う。

実際に私もバイクにまつわることをビギナーに対して教えたことが何度かある。最近ではオフロードに復帰した流れで何人かとオフロードバイクにおける「いろは」で関わったこともある。

だが、本当に上手くなっていく人はなかなかいない。それは簡単なことで、結局みんなで何か楽しくワイワイやりたいだけなのだ。まさに中学時代のサッカー部における私そのものだ。先輩の指導を受けてもその場だけで、自宅に帰ってから近所の公園で夜中までサッカーボールを蹴ることはない。

私はたまたまバイクに関してだけは、ひとりでも朝から晩まで走り回る「良い部員」だった。

埼玉県某所に、オフロードバイク好きの間では聖地と言われている林道エリアがある。山間を走る40キロ近い林道で、山奥ゆえにマシントラブルや転倒などをすると、ちょっとした遭難騒ぎなることでも有名な場所である(もちろん本格的な冬登山とは違うので、バイクが動かなくなっても半日も歩けば県道のバス停までは行ける)。

東京のオフロードバイクマニアが最も恐れる「魔境林道」 そこに私は先日「単独アタック」を敢行した。

秋の平日で天気もあまり良くなく、当然オフロードバイクやジムニー野郎に出会うこともない時期である。失敗は絶対に許されない。考えられる準備とマシンメンテナンスをしたのち、走り出した。

実際、噂以上に山深い中を突き進む山岳林道で、途中でトラブルに見舞われたらどれだけ大変な顛末が待っているかは想像に難くない。結果的には軽い転倒はあったものの、単独アタックは成功した。

こういうことが嫌いなひともいるのは知っている。場合によってはそれで友達や家族に迷惑をかけてしまうこともあるだろう。だがやめるつもりはない。ひとりでもやるか、仲間とじゃなければやらないか、それが物事への「深度」の分かれ道だろう。

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text:大鶴義丹/Gitan Ohtsuru
1968年生まれ。俳優・監督・作家。知る人ぞ知る“熱き”バイク乗りである。本人によるブログ「不思議の毎日」はameblo.jp/gitan1968
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