おしゃべりなクルマたち Vol.52 同伴免許という制度

Vol.52 同伴免許という制度

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これは普通免許を所有する者が横に乗れば、保険会社への通達をすませたクルマのみ、合法的に運転できるもので、本免許取得の際に座学、実技ともに大幅に受講時間が免除されることもあって人気が高い。今回、息子がめざすのはこの同伴免許というわけだ。

フランスでは12歳と14歳で道交法の基礎を学校の授業で学び、この基礎習得を確認するペーパーテストを受ける。儀礼的なものと侮れないのはこのテストに合格しないと次なるステップである原付用の免許取得試験にチャレンジできないことで、実にうまく出来ていると感心する。

我が家の場合は子供に原付免許はとらせなかった。学校がこのあたりでももっとも事故の多い峠の上にあり私がひるんだためだった。同じ理由で禁止された友達が多かったこともあって息子からさしたる文句は出なかったが、かわりに同伴免許は懇願されていた。運転はすればするほど上手くなるから、これは私も大賛成、学費援助を申し出た。

近所のアウト・エコールに入学した息子は学校の秋休みに集中的に座学を受け、クリスマス休暇に20時間の実技を終えて来年から運転する予定、ひとりこう決めている。これほど真剣に〝学校〟に通う彼を見るのは初めてのことで、それほど運転したいのね、私が言うと息子が返す。

「当たり前だろ。自分で運転できれば俺は自由だぜい」。公共交通の発達したニホンで育った私にとって大人の証、自由の象徴はひとり暮らしだったが、ほとんどのヨーロッパの地方都市がそうであるように、公共交通に乏しい場所で育った息子にとって大人の証は自分で移動できる自由を獲得することなのだ。

ヨーロッパとニホンのティーンエイジャーを較べるとヨーロッパの方が考え方や振舞いは早熟にもかかわらず、誰と何処に出掛けるか、この手の自由度はニホンより低く、親の介入度が非常に高い(加えて親に従順)ことを私は長く不思議に感じていた。

今回、思ったのは成熟度の高さも自由度の低さもどちらも移動の自由を持たぬことに大きく関わりがあるのではないか、ということ。移動の自由を持たぬ彼らは大人に頼らざるを得ない。それが未熟であることの自覚を生み、成熟を求める一方で、好むと好まざるとに関わらず親の介入を認めさせる。

自分で動けぬうちは大人とは呼べない、社会にそんな風が吹いている。そういう意味では同伴免許から本免許に移行する2年は親が子を社会に送り出す準備期間なのかも知れない。

この2年は最後と思って母の教えに従順に耳を傾け、安全な運転を覚えるように。私が言うと彼が答えた。「オカーサン、あなたこそ、この2年は口にバンドエイドを貼って黙ることを覚えてください」。

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text:松本 葉/Yo Matsumoto
自動車雑誌『NAVI』の編集者、カーグラフィックTVのキャスターを経て1990年、トリノに渡り、その後2000年より南仏在住。自動車雑誌を中心に執筆を続ける。著書に『愛しのティーナ』(新潮社)、『踊るイタリア語 喋るイタリア人』(NHK出版)、『どこにいたってフツウの生活』(二玄社)ほか、『フェラーリエンサイクロペディア』(二玄社)など翻訳を行う。

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