おしゃべりなクルマたち Vol.54 ちんたらだらだらの正当性

アヘッド vol.54 ちんたらだらだらの正当性

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免許所持者が横に乗れば運転可能の『同伴免許』を取得しようと、16歳の息子が教習所に登録したのは昨年の秋休みのことだった。当初の私の計算では今頃は筆記試験を終え、教習車を乗り回しているはずだったが、とんでもない、いまだ講習すら終わらぬ状態。

text:松本葉 イラスト:武政諒 [aheadアーカイブス vol.123 2013年2月号]
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Vol.54 ちんたらだらだらの正当性

Vol.54 ちんたらだらだらの正当性

道路交通法の講習は15時間の受講が義務づけられている。習得に自信が持てなければ続けることも出来るが、とりあえず15時間の受講を終えた段階で筆記試験の受験資格が与えられる。お芝居の上演よろしく講習は土日をのぞく毎日、朝昼晩3回あるから、休みの間に集中的に通えば3週間程度で規定の時間を消化できる計算になる。

それで年明けにはステアリングを握るものと思ったわけだが、スタートしてみれば豚児はのんびりと週に2回ほど、出掛けるだけではないか。もっと精を出して通うように、檄を飛ばすと彼が答えた。「週2回以上、来るなって言われてるんだよ」。

整体やマッサージに通うわけではないのだ。教習所のような目的のはっきりしたものはさっさと済ませた方がよい。ちんたらちんたら、だらだらはいかん。

第一、教習所にしたところでさっと学び、さっと取得して出て行ってくれた方が効率がよい、つまり利益が上がるであろうと他人の商売の心配までしながら、私は未提出の書類を届けることを口実に教習所に出向き、談判した。でも軽くあしらわれた。「そんなに急がなくてもいいでしょう。16歳なんだ。急ぐ用事もないだろうから」。

うーん。急ぐ用事はないが、急いで済ませることが出来ることは急いで済ませた方がよいのではないか。いや、だらだらすることがよくないのだ。教習所とてだらだらせよと言っているわけではないが、さっさと出来ることをゆっくりするのは私には抵抗がある。

もちろん、こういうやり方、考え方がヨーロッパ人に理解できないことは承知しているつもりだが、頭ではわかっていても、ココロがついていかないのである。うーん。

そういえば以前、舅が台所で豆を鞘から出しているところに出くわしたことがある。袋から鞘を取り出し、開いて豆をつまみ、それを鍋に入れ、空の鞘はゴミ袋に捨てる、そんな作業の最中だった。舅は右利きだったから豆は右手で取り出したが、それを入れる鍋は左側に置かれ、左手でおさえた鞘を捨てるゴミ袋が右の足元に置かれていた。

世間話をしながら、私は無意識のうちに鍋を右に置き換え、ゴミ袋をテーブルの上にあげて左側に置いた。鞘の袋を中心に据える。それまで交差していた手がこれですっきり動くようになった。ひとり喜んでいたら、舅が突然、怒鳴った。「豆剥きに効率を持ち込むな」。そしてこう続けた。

「時間を短縮して効率を上げることにも、効率を上げて時間を短縮することにも、いいことはひとつもない。そんなことをしたら他に何かしなきゃ、ならんだろう」。

今回の話を舅にしたらなんと言われるだろう。進まぬ教習所通いを眺めながら、考えさせられる毎日だ。

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text : 松本 葉/Yo Matsumoto
自動車雑誌『NAVI』の編集者、カーグラフィックTVのキャスターを経て1990年、トリノに渡り、その後2000年より南仏在住。自動車雑誌を中心に執筆を続ける。著書に『愛しのティーナ』(新潮社)、『踊るイタリア語 喋るイタリア人』(NHK出版)、『どこにいたってフツウの生活』(二玄社)ほか、『フェラーリエンサイクロペディア』(二玄社)など翻訳を行う。
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