日本の車検は高いし面倒!そこには車検制度の歴史が関係した!?

車検 ブレーキ

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車検というと、一般的な乗用車の場合、「新車初回3年」などユーザーが受ける身近な車検と、新規検査や改造車の構造等変更検査がある。日本の車検制度はいつから始まり、どんな変遷を経てきたのだろうか。

文・塚田 勝弘

塚田 勝弘|つかだ かつひろ

自動車雑誌、モノ系雑誌の新車担当編集者を約10年務めた後に独立し、フリーランスライターとしても10年が経過。自動車雑誌、ライフスタイル雑誌、Web媒体などで新車試乗記事やカーナビ、カーエレクトロニクスなどの記事を展開している。

塚田 勝弘
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車検制度の歴史は馬車から始まった!?
現在の車検制度は昭和26年の「道路運送車両法」からスタート

車検制度の歴史は馬車から始まった!?

明治に入って日本に自動車が上陸し、さらに国産車が生まれた後も車検制度はなく、大正に入っても馬車と人力車が混在していた。

そもそも自動車自体の数が圧倒的に少なく、車検制度の必要がなかったのかもしれない。明治後半から大正初期にかけて、徐々に都市部でクルマが見られるようになったそうだ。

明治後半になると、いわゆる乗り合いバスである乗合自動車路線の出願数が増え、各都道府県が取締規則などを独自に設け、さらに馬車にも車検制度の基になるような検査制度ができていた。

東京都では明治後半から「自動車取締規則」を設けて車体番号の明記が必要になっている。大正に入ると、当時の内務省が「自動車取締令」を出している。

「自動車ノ最高速度ハ一時閒十六哩トス」という記載があるほか、原動機や制動機などに関する規定が見られる。さらに昭和8年、同省が「自動車取締令」の一部を改正し、小型車の規格を制定しています。

当時のディメンションは全長2,800mm×全幅1,200mm×全高1,800mm以下と定められた。エンジンは4サイクルが750cc以下、2サイクルが500cc以下で、出力 4.5kW 以下と、クルマを大きさと、エンジン出力で規制する規格を制定している。

現在の車検制度は昭和26年の「道路運送車両法」からスタート

戦後になると、昭和26年に「道路運送車両法」が施行され、現在に至るまでボディサイズや排気量などの規定が変わり(とくに軽自動車)、車検の期間も変遷してきた。なお、自家用乗用車の車検が2年になったのは昭和48年。

歴史・変遷を見ていくとキリがないのだが、たとえば軽自動車規格のボディサイズの拡大は、衝突安全性能を確保するため。また、新車は初回3年など、車検期間が変わってきたのは、経年による劣化が緩やかだからという理由がある。

日本の車検制度は厳格すぎるという声もあるが、道路運送車両法による安全、あるいは排気音など周辺環境への配慮による規制に拠っている。

たとえば、排気音であれば、近接排気騒音値として定められている。なぜ、排気騒音に対する規制があるのかといえば、警察・国土交通省・環境省などにこうした苦情が入ることもあるようだ。実際に環境省は、接排気騒音防止のポスターを公募している。

また、最低地上高であればエアロパーツなどを除く、マフラー・フォグランプ・ウインカーなどの重要部品は地上から90mm以上の高さにある必要がある。これは接触で壊れたりするのを防ぐためで、安全が根拠である。
日本の車検制度は厳格過ぎる、お金が掛かり過ぎるなどの声や問題点があるのは確か。未だに昭和26年の「道路運送車両法」による車検制度から細かな変更は何度もされているものの、真の意味での抜本的な改正は実質的にされていない。

アメリカからの外圧もあり、平成7年に24ヶ月点検の点検項目が102項目から60項目にまで減ったものの、まだ厳しいという声もある。

しかし、日本のクルマは壊れにくく、故障による大事故が少ないのは、確かな車検制度があるから、ともいえるのではないだろうか。

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