初代フェアレディZが今でも愛される理由!
更新日:2024.09.09
※この記事には広告が含まれます
今回は1969年に登場し、世界における日本車のイメージを刷新させた、初代フェアレディZに迫ります。「もっとも売れているスポーツカ-」と称されているフェアレディZですが、その第1号は、どのようなモデルなのでしょうか?
初代フェアレディZは1960年に登場
フェアレディは、高性能かつ安価なスポーツカーを目指し、ダットサン フェアレディの後継モデルとして1960年に登場。約10年間オープンスポーツカーとして活躍してきました。
ちなみにフェアレディという車名は、ミュージカル『マイ・フェア・レディ』に由来します。
初代フェアレディZは、東名高速道路が全通し、日産のサファリラリークラス優勝を題材した石原裕次郎氏主演の映画『栄光への5,000キロ』が大ヒットを記録した1969年に登場しました。
この年には、スバルのff-1やホンダの1300がデビュー。テレビでは、サザエさんや水戸黄門が始まりました。
ちなみにフェアレディという車名は、ミュージカル『マイ・フェア・レディ』に由来します。
初代フェアレディZは、東名高速道路が全通し、日産のサファリラリークラス優勝を題材した石原裕次郎氏主演の映画『栄光への5,000キロ』が大ヒットを記録した1969年に登場しました。
この年には、スバルのff-1やホンダの1300がデビュー。テレビでは、サザエさんや水戸黄門が始まりました。
ボディは、全長4,115mm×全幅1,630mm×全高1,290mm。小柄で、今日のコンパクトカーと同じ程度のサイズに、ロングノーズショートデッキの、これぞスポーツカー!というようなデザインでした。
初代フェアレディZは内装も秀逸なインテリア・デザイン
低いアイポイントで操作するコックピットは、ドライバーの眼前に2つ、センターコンソールに3つのメーターを配置。エクステリアに負けないくらい上質です。
初代フェアレディZのグレード・価格は?
グレードは、L20型エンジンを搭載したZと、その上級モデルとなるZ-L、DOHCのS20型エンジンを搭載したZ432の3種類が設定されており、いずれも2リッターの直列6気筒です。
最上級モデルのZ432のS20型は、スカイラインGT-Rと同じものでした。最高出力160ps、最高速度210km/h、0-400m15.8秒というパワフルなエンジンです。
スカイラインGT-Rよりも車両重量が80kg軽いため、より軽快な走りを愉しむことができるでしょう。
当時の東京地区の店頭売り渡しの値段は、Zが93万円、Z-Lが108万円、Z432が185万円という価格でした。
最上級モデルのZ432のS20型は、スカイラインGT-Rと同じものでした。最高出力160ps、最高速度210km/h、0-400m15.8秒というパワフルなエンジンです。
スカイラインGT-Rよりも車両重量が80kg軽いため、より軽快な走りを愉しむことができるでしょう。
当時の東京地区の店頭売り渡しの値段は、Zが93万円、Z-Lが108万円、Z432が185万円という価格でした。
フェアレディZを育てたのは北米日産の社長「ミスターK」こと片山豊氏
このフェアレディZの育て親と言われているのは、当時の北米日産の社長、片山豊氏。ミスターKというあだ名で親しまれていますよね。
フェアレディZは北米にも輸出され、総生産台数は約55万台を記録する大ヒットモデルに。「世界一売れたスポーツカー」とも呼ばれ、日本車に対する世界の評価をも変えました。
要因は、価格が欧州製スポーツカーの3分の1だったこと。結果、4か月分のバックオーダーを抱えることもあったそうです。
日本を代表する名車のひとつ、フェアレディZの初代はこのように世界に衝撃を与えてきました。
フェアレディZの「Z」は”未知数”を意味し、その人気は衰えることなく、性能も進化し続けています。今後もさらに未知なる領域まで挑戦し続けてほしいですね!
フェアレディZは北米にも輸出され、総生産台数は約55万台を記録する大ヒットモデルに。「世界一売れたスポーツカー」とも呼ばれ、日本車に対する世界の評価をも変えました。
要因は、価格が欧州製スポーツカーの3分の1だったこと。結果、4か月分のバックオーダーを抱えることもあったそうです。
日本を代表する名車のひとつ、フェアレディZの初代はこのように世界に衝撃を与えてきました。
フェアレディZの「Z」は”未知数”を意味し、その人気は衰えることなく、性能も進化し続けています。今後もさらに未知なる領域まで挑戦し続けてほしいですね!