シフトパターンの「★」マークってなに?
更新日:2024.09.09
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いまを遡ること35年、デートカーとして一世を風靡したホンダ プレリュード(2代目)のシフトパターンには「★」マークがあった。「スターレンジ」と称された、ホンダ独自のATポジションは、初代シビックの2速ATから採用されたもので、一時期ホンダATの象徴ともいえるものだった。果たして、スターレンジの狙いとは。そして、その意思は現代にどのような影響を残しているのだろうか。
文・山本晋也
文・山本晋也
初代シビックなど昔のホンダ車に「★」があった
ユーザーからすると「★(スターレンジ)」は前進時の標準的なシフトポジションであり、多くのATにおける「D」ポジションと同じ意味を持っていた。
しかし、ホンダのオートマチックトランスミッションは、この時点で非常に独創的なメカニズムとなっていた。
しかし、ホンダのオートマチックトランスミッションは、この時点で非常に独創的なメカニズムとなっていた。
ショックのないスムースな変速を実現していた
ホンダの四輪車として初めてATを搭載したのは、1968年にN360(軽自動車)に追加設定された3速ATだった。このATはホンダオートマチックの原点といえる。継手装置には粘性によってトルクを伝達するトルクコンバーターを採用していたし、変速機構については遊星歯車ではなく、ギアセットを向かい合わせる平行軸式という長らくホンダのATとして主流となる構造を与えられていたのだ。
構造的には独特でも、ドライブフィーリングとしては通常の3速ATと同様のはずで、それなりにシフトショックもあるはずだが、その開発において非常にスムースな変速を実現したことがあったという。それはトルクコンバーターのスリップにより変速効果を生み出していたことに起因していたという。
ある意味では瓢箪から駒、そうした偶然を活かしてドラスティックに進化したのが、冒頭で記した初代シビック用の『ホンダマチック』であった。
N360では3速ATだったがシビックでは2速ATへと、一見すると退化していた。そしてシフトポジションのDの位置に「★」が置かれた。Dではなく★としたのは、通常のATとは制御の考え方が異なっていたからである。スターレンジで変速を担うのはトルクコンバーターだった。そのスリップを積極的に制御することにより意図して変速装置として利用した。つまり「無段変速」のはしりである。
トルクコンバーターを変速装置とした利用することで日常的には変速ショックのない走りが味わえるというのが、「スターレンジ」に込められた思いだ。下り坂でのエンジンブレーキ用に「L」ポジションも用意されていたが、基本的にはスターレンジだけですべての走行シーンをカバーするというものだった。
構造的には独特でも、ドライブフィーリングとしては通常の3速ATと同様のはずで、それなりにシフトショックもあるはずだが、その開発において非常にスムースな変速を実現したことがあったという。それはトルクコンバーターのスリップにより変速効果を生み出していたことに起因していたという。
ある意味では瓢箪から駒、そうした偶然を活かしてドラスティックに進化したのが、冒頭で記した初代シビック用の『ホンダマチック』であった。
N360では3速ATだったがシビックでは2速ATへと、一見すると退化していた。そしてシフトポジションのDの位置に「★」が置かれた。Dではなく★としたのは、通常のATとは制御の考え方が異なっていたからである。スターレンジで変速を担うのはトルクコンバーターだった。そのスリップを積極的に制御することにより意図して変速装置として利用した。つまり「無段変速」のはしりである。
トルクコンバーターを変速装置とした利用することで日常的には変速ショックのない走りが味わえるというのが、「スターレンジ」に込められた思いだ。下り坂でのエンジンブレーキ用に「L」ポジションも用意されていたが、基本的にはスターレンジだけですべての走行シーンをカバーするというものだった。
伝達効率のネガから消えたが、CVTが受け継ぐ
もっとも、現代のオートマが伝達効率を上げるため積極的にトルクコンバーターをロックアップ(直結固定)していることを考えると、そのスリップを利用した変速機構というのは効率が悪いという欠点を持つことになる。
前述した2代目プレリュードではロックアップ機構を持つ4速ATとなり、Dレンジを用意するなど徐々に独自性を失っていた。結果として1990年代にはスターレンジを持つホンダマチックは消えてしまった。
しかし、ホンダマチックで目指したシフトショックのないスムースな加速を諦めたわけではなかった。金属ベルトを使ったCVTの開発にホンダが積極的だったのは、スターレンジで目指した理想の走りを追い続けたからに他ならない。
前述した2代目プレリュードではロックアップ機構を持つ4速ATとなり、Dレンジを用意するなど徐々に独自性を失っていた。結果として1990年代にはスターレンジを持つホンダマチックは消えてしまった。
しかし、ホンダマチックで目指したシフトショックのないスムースな加速を諦めたわけではなかった。金属ベルトを使ったCVTの開発にホンダが積極的だったのは、スターレンジで目指した理想の走りを追い続けたからに他ならない。
山本晋也
自動車メディア業界に足を踏みいれて四半世紀。いくつかの自動車雑誌で編集長を務めた後フリーランスへ転身。近年は自動車コミュニケータ、自動車コラムニストとして活動している。ジェンダーフリーを意識した切り口で自動車が持つメカニカルな魅力を伝えることを模索中。