ナンバープレートはどう進化してきたか

日本の公道を走行するすべての登録車両に装着が義務付けられているナンバープレート。自動車事故や交通違反、犯罪などで加害者、被害者、被疑者を特定できるといった効果があります。そんな日本のナンバープレートの歴史を振り返ってみましょう。

Chapter
ナンバープレートとは?
日本のナンバープレートの歴史
現在のナンバープレート

ナンバープレートとは?

ナンバープレート

ナンバープレートの正式な呼び名は、小型自動車や普通自動車、大型特殊車両は「自動車登録番号標」、軽自動車や排気量250ccを超える2輪車が「車両番号標」、原動機付自転車やトラクターなど小型特殊自動車は「課税標識」となっています。いずれも機能や表示内容はほぼ同じですが、緑の枠があったり、大きさが違っていたりなどしています。

ナンバープレートが付けられた車両は、正規の検査を受けて保安基準に適合していることになります。

このナンバープレートは、これまでどのように変化してきたのでしょうか?

日本のナンバープレートの歴史

ナンバープレート

※画像はイメージです

明治から道路交通法施行まで

日本の自動車にナンバープレート装着が義務付けられたのは、1907年(明治40年)のこと。当時、自動車を所有できたのはごく一部の富裕層だけでした。公道においては、自動車通行のための信号や交通標識などの設備はなく、交通安全といった意識も希薄だったことから、自動車事故が多発するようになり、ナンバープレート装着が義務付けられたのです。

初期のナンバープレートは、4桁の数字のみといたってシンプルなものでした。しかし自動車の保有台数の増加により4桁の数字だけでは足りなくなり、東京都以外では数字の前に府県名の頭文字をアルファベット表記することになります。ただし、アルファベットがわかりづらいということで漢字に変更されます。数字は、府県により4桁と3桁があったようです。

また大正時代にはすでに自家用車(黒地に白文字)と営業車(白地に黒文字)で、ナンバープレートの色が変えられました。そのプレートによる識別は、1933年(昭和8年)ごろに、普通自動車、特殊自動車、小型自動車の違いとなり、自家用車と営業車の違いはなくなります。また、4桁の数字は千のくらいのあとに「.(コンマ)」が付けられました。

1945年(昭和20年)になると、ふたたび普通自動車の営業車と自家用車の色が変更され、自家用車は白地に黒文字、営業車は黒地に白文字に。1947年(昭和22年)には、封印が始まります。このころから、1951年(昭和26年)に道路運送車両法が施行されるまでは、府県名を表す漢字一文字と数字の表示で、東京都で登録した車両には「東京都自動車鑑札」との表記も見られます。

東京都のナンバーに地名表記がない時代

1951年(昭和26年)の道路運送車両法が施行されると、地方では都道府県名を表す漢字1文字に数字(分類番号とナンバーが「-」とハイフンで分割されたもの)になります。東京は以前と変わらず地名表記はなく数字のみです。このころのプレートには、数字が4桁よりも多いものが存在し、欧米のそれによく似た横長でした。

1955年(昭和30年)には、ナンバープレートにひらがなが導入され、現在の形に近い2段表示となります。上に地名と車種別分類番号(東京都では地名は省略)で、下に小さなひらがな1文字と4桁の数字でした。

ついに東京都のナンバープレートに地名が!

1961年(昭和36年)、東京でも地名が表示され始めます。品川、足立、練馬、多摩のそれぞれの頭文字をとった「品、足、練、多」の4つで、いずれも車両登録事務所(陸運事務所)の所在地です。翌1962年(昭和37年)には、数字の間のハイフン表示が復活し、「xx-xx」の形式で表示されます。

その後1967年(昭和42年)には車種別分類番号が2桁に、1997年(平成9年)には3桁となります。

現在のナンバープレート

ナンバープレート

現在のナンバープレートでは希望ナンバーや図柄入りナンバープレート(2015年6月〜)が登場し、地名も陸運局登録事務所の所在地の他に市区町村名を表示できるご当地ナンバーも登場しました。

今後のナンバープレートは、どんな変化を遂げてゆくのでしょうか?楽しみですね。