私の永遠の1台 VOL.15 日産 7代目スカイライン(R31型)

アヘッド 日産 7代目スカイライン(R31型)

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いきなりだが、「お酒はぬるめの燗がいい」そうなれば、「肴はあぶったイカでいい」だったら、「女は無口なひとがいい」
八代亜紀はこう「舟歌」で絶唱する。ちなみに作詞はかの阿久 悠だ。ではクルマは? 「クルマはボロがいい」と喝破したのは徳大寺有恒さんだった。

text:舘内 端 [aheadアーカイブス vol.174 2017年6月号]
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VOL.15 日産 7代目スカイライン(R31型)

VOL.15 日産 7代目スカイライン(R31型)

▶︎1985年発売。当時のハイソカーブームの流れを受けて、高級スポーツサルーンという位置付けで4ドアハードトップセダンのみのラインアップで登場した。エンジンは新開発のRB20型(165馬力)を採用。ターボ搭載車は210馬力でファンを大いに期待させたが、実際にはスペックほどのパワー感もなくハイソカーとしてもいまひとつ。世界初の画期的な後輪操舵システムも大きな効果は見られず酷評された。


国産車で古くから今日まで同じ名前で生産が続くクルマは数少ない。その1台がスカイラインだ。プリンス自動車から日産へと母親は変わっても名前は不変だ。そして、GT-Rは多くの熱狂的な信者に長く支持され、スカイライン神話を創った。

しかし、走りのスカイラインの伝統は1985年に突然、変調をきたす。高級車路線のが登場したのだ。

都市工学スカイラインと呼ばれたそれは、ビルのように横も縦も四角で、おまけにダッシュボードが垂直に切り立っていて、まるで仏壇のようだった。カッコウは最悪だった。

しかも、直6、ツインカム、ターボのRB20DETがまったく用をなさず、パワーもなければ、レスポンスも最悪だった。そして、後輪もステアする4WSのハイキャスが「ハンドリングのスカイライン」の名前を汚していた。案の定、 事前試乗会の評判はひどく、評論家のほとんどが「史上最低のスカイライン」との評価を下していた。

そのダメ・スカイラインを発売と同時に買った。自動車評論家として購入したのは私ただ一人。業界は私の精神鑑定を要望した(ウソ)。

やはりボロだった。ATもひどく、シフトアップ時には背中をドンと叩かれるようなショックが来た。

7thの前はセリカXXだった。直6、ツインカムの1G-Gエンジンはぴったり7800rpmまで回り、5速MTはその性能を気持ち良く引き出した。街中だろうが高速だろうが、シフトダウンして必ず7800回転まで回すバカなオヤジに2人の息子は拍手で答えた。おかげで2人ともオヤジのように育ってしまった。ああ!

しかし、7thに代わると息子たちはクルマには見向きもしなくなり、妻は、真っ赤なXXと入れ替わりに駐車場に入ってきた7thに庭のごみをかき集めて振りかけた。

あるときは筑波サーキットの駐車場でトラックにドアをくの字に曲げられ、あるときは整備不良でパワステが壊れてハンドルがロックし、7thはオーナーの私を殺しそうになった。

しかし、家族に嫌われ、ドアをへこまされ、私を死の淵に連れて行くほどに、私は7thを愛するようになったのだった。小学校の教師だった母が、「出来の悪い子ほど可愛くて、卒業する時は泣いちゃうのよね」と言っていたことを思い出した。

徳さん。クルマはボロがいいよ。可愛いもの。

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text:舘内 端/Tadashi Tateuchi
1947年生まれ。自動車評論家、日本EVクラブ代表。東大宇宙航空研究所勤務の後、レーシングカーの設計に携わる。’94年には日本EVクラブを設立、日本における電気自動車の第一人者として知られている。現在は、テクノロジーと文化の両面からクルマを論じることができる評論家として活躍。
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