Rolling 40's Vol.68 尾崎豊時代の終焉

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若者のクルマ離れという言葉が叫ばれて久しいが、そんな現象は当たり前の結果である。この時代に若者がクルマ好きになる方が問題なくらいだ。
17歳になる友人の息子はクルマの免許にあまり興味を示さないらしい。今、一生懸命やっていることは陸上部での駅伝で、大学受験が終わってから暇があれば教習所に通うかもしれないと、あっさりした物言いだという。

text:大鶴義丹 [aheadアーカイブス vol.138 2014年5月号]
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Vol.68 尾崎豊時代の終焉

Vol.68 尾崎豊時代の終焉

クルマやバイクがいまだに大好きな友人はそんな息子に対して、クルマが欲しくないのかと聞くと、都心に暮らしているので今は特別に必要ないと答えたそうだ。もし休みなどに友達同士で遠出をするのならレンタカーが便利だと思うと言う。それに加え税金が二重にかかりガソリン代が高騰し過ぎているので、これからの世代はカーシェアリングという手法に慣れていく方が環境にも良いと。

ど真ん中の正論に友人は父として反論できずに「確かにそうだな…」と言うしかなかったそうだ。私たちの世代の男子は仮面ライダーやウルトラマンに始まり西部警察的アクションもの、さらには青春コミックと、乗り物に対して格別な愛情を持って関わることをやめられない世代だ。

バイクにしろクルマにしろ、まずは最新モデルの情報に始まり、買うためにはどうするか、苦労して買った後はどれだけ大切に磨いていくかという教義的流れがあった。

その後バブルが始まり、どんなクルマに乗っているかで人間の価値が決まるかのようなことを、平気で口にできる時代になった。

二十歳前後の私たちも、無理をしてでもローンを組んでクルマを買った。変な改造をしてクルマを台無しにしたりもした。本当に欲しかったのかは今となっては分からない。その金を使って留学でもすれば良かったと今なら思うが、あの当時は男子がクルマを持っていないということが許されない社会的雰囲気があった。

その流れはBМW3シリーズのことを六本木カローラなどと揶揄するような悪趣味な拝金主義を生み出すものの、バブル崩壊と供に梯子を外される。その結果何が残ったのかは、言うに及ばずだ。高級車を持つことだけで己を表現していたような連中は、逃げるように姿をくらました。当たり前である。普通の日本車に乗る奴なんてクズだとまで言っていた奴に限り、クルマも持てないような状況に追い込まれることが多かったからだ。

青春時代からバブル崩壊まで5年くらいであろうか。その間、私たちの価値観は大きく揺さぶられた。もう昔のように無理してローンを払って、身分不相応なクルマに乗る同年代の輩も少なくなった。徐々に結婚していき、子供が2人も出来ると不格好なファミリーカーに乗り始める。悪く言えば青春の落ち武者だ。

家庭に根を生やすことも大事だが、そういう仲間に対して一番失望するのは、あの時代から何もお土産を持ち帰っていないことだ。出来ることは家庭と言う名の煙幕攻撃のみ。

自分たちが通り過ぎてきたそんなワダチを含めて考えると、私たちの無駄な狂乱騒ぎは馬鹿だったが、昨今の堅実人生もそれがとん挫したときの反動は逆に大きいだろう。新入社員の離職率が上がり続けている現実がそれを物語っている。

確かに私たちの世代は、経済的にも日本が多様な価値観を持ち始めた瞬間を目の当たりにしては興奮した。結果、醜悪なモノも生み出したが、同時にそれは私たちの無二の財産であり、勢い任せの突破力も生み出した。私の娘も含め、彼らの世代からリアルな話を聞くと、私たちと何ら変わりない青春時代を過ごしている。

ただそこに私たち男子が血眼になって求め続けていた乗り物というキーワードがないだけなのである。代わりにあるのはネットを中心とした数々の情報ツールだ。だから私たちのようにテレビからの情報に全てを頼らない。

当然、都合良くテレビがアレ買えコレ買えと騒いでも、昔のようにはコントロールが効かない。私が通っていた高校は、男子は、球技で汗をかくかバイクに乗るかバンド活動、その三択のみの世界だった。

しかし実際に世の中に出れば、そんなことの他にも大きな世界に通じる価値観や活動ジャンルは山ほどあり、球技、バイク、ギターで人生を切り開くことの方がよっぽど狭き門だと気が付く。そんな情報は誰も教えてくれなかった。好きなことを一生懸命にやっていれば、自ずと道は開けるような気がしていた。

友人の息子は今は必至で駅伝をやっているが、陸上競技で食べていく気はないと言う。全国区でもなかなかの成績を残しているというのに、それを生業とする気など全くないそうだ。大学でも駅伝はやるつもりらしいが、それよりも教員免許を取るのが先決だと真顔で言うらしい。

プロセスやゴールの情報が最初から残酷なまでに開示さている今の時代では、彼らの堅実さは当然のことだろう。縛りの強い社会から自由になるためにバイクに乗ったし、さらなる自由を求めてクルマに乗ったのが私たちの理屈だとしたら。今は社会の縛りが無くなったと同時に、更なる熾烈な生存競争を強いられる時代だ。そんな彼らがどうしてクルマやバイクなどで遊んでいられよう。

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text:大鶴義丹/Gitan Ohtsuru
1968年生まれ。俳優・監督・作家。知る人ぞ知る“熱き”バイク乗りである。本人によるブログ「不思議の毎日」はameblo.jp/gitan1968
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