アルシオーネ、レパード Jフェリー...バブル期が生んだ、人気はイマイチだったけど入魂の逸品車!

アルシオーネSVX

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お金が潤沢にある時代というのは、さまざまなチャレンジを自動車業界にも許しました。そのなかには、マニアックすぎて突き抜けた価値観があまり理解されなかった例もありました。巨額投資に対して残した成果や実りの少なさから、それらは”バブルの徒花”と呼ばれるように…。しかし、掛けられたコストや手間はそれなりのものがありましたから、クルマとしての見どころは沢山あります。今回は、こうしたちょっとマニアック銘柄に注目してみます。
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3ローターはV12級の迫力も、ほぼ手組みの生産体制
まさに異色の高級サルーン。「美しい妻」と一緒に・・・
ジウジアーロデザインの長距離ツーリングクーペ

3ローターはV12級の迫力も、ほぼ手組みの生産体制

1990年に発売されたユーノスコスモの狙いは、欧米のお金持ち層が好むような、贅沢なプライベートクーペであり、メルセデス・ベンツSLやSEC,
ジャガーXJ-Sなどをターゲットとして作られた贅沢な仕立ての2ドア車でした。

マツダはもともとヨーロッパでの動向や嗜好に非常に敏感で、その空気や文化を日本に持ち込むということをこのころからやっていましたから、ユーノスコスモでは南仏のコートダジュールを走る姿もサマになるようなコンセプトになっていました。

ちなみにユーノスコスモは、実際にはヨーロッパどころかアメリカにも輸出されない国内専用車でしたが、ジャーナリスト向け試乗会はわざわざ南仏まで車両を運んで行われるという豪華さ。当地でこのクルマを走らせていると、現地の人からよく声をかけられたのだとか。

注目は、なんといってもエンジンに、3ローターターボ(20B)が採用されたこと。3ローターは爆発間隔が12気筒エンジンに近く、スムーズさやパワーフィールはフェラーリV12に匹敵するとの評価も。また、非常に複雑な形状のエキセントリックシャフトをもつため、エンジンはほぼ手作業での生産だったとも言われています。

その反面、燃費は市街地で2km/L。さらに冷却性に難のあるロータリーエンジンの、とくにキャビン寄りの部分に熱が溜る傾向があり、維持管理にもかなりの手間と苦労が必要とされるなど、さまざまな意味でタイトルホルダーな3ローターエンジンなのでした。

まさに異色の高級サルーン。「美しい妻」と一緒に・・・

日産 レパード Jフェリー。型式はセドグロと同じY32を持ちながら、その性格はまったく異なる「異色のサルーン」として登場しました。Jフェリーとはフランス語の祝日からつくられた造語なのだとか。

レパード Jフェリーは、もともと北米で展開していたインフィニティブランド向けの中級サルーンとして企画されたものでした。しかし、当時の日産はとにかくチャレンジングな姿勢でクルマ作りをしていましたから、この異色のサルーンも躊躇うことなく国内に投入することを決断します。

そのデザインを特徴づけている尻下がりのエレガントというか、独特の柔らかいラインを提案してきたのはアメリカのデザイン拠点NDI。それまでの日本車のデザインコンセプトとその常識からはややかけ離れたもので、これが当時の日本人にはちょっと難解すぎて受け入れられなかったわけです。

内装には上品なベロアと高級本革、オーストリアのシュミットフェルトバッハ製のものと、さらに80万円というオプションでイタリアのポルトローナ・フラウ製表皮を用いた高級仕様までをラインナップ。インテリアカラーも黒、グレー、ベージュに、フラウ専用のタンなど、各種取り揃えられてそれぞれがかなりの自由度をもって選択できたというところも特徴です。

しかし、イメージカラーのティーグリーンという車体色と、ポルトローナ・フラウの組み合わせは当初設定がなくて、筆者の知人はラインを止めさせてまでティーグリーン+フラウを作らせていました。バブル期らしいエピソードですね。

またこのクルマ、走りに関してもじつはかなりの成熟度を持っていて、それはセドグロと同じY32のシャシーを用いたものとは思えないほどの完成度。

具体的にはこのクルマが求めた乗り味とは、ジャガーのそれで、フラットでしなやか、スムーズで静か、いわゆる猫足といわれる滑らかなことこのうえない走りを実現していました。筆者はこのJフェリーに乗ったあとにジャガーに乗る、という順番で体験をするのですが、ジャガーに乗って驚きました。「これはJフェリーそのものだ」と。本当は逆なんですけどね。

4.1リッターV8エンジンは、ショートストロークで軽快なサウンドを奏で、足回りはジャガーそのものの猫足。このクルマの乗り味は、国産乗用車のものとしては出色の出来だったと言えます。

いま見るとユニークで上品、さらに乗り味も高級。でも当時500万円クラスのクルマとして、そうしたクラスの購買層には受け入れられませんでした。

このクルマもまたひと月に2桁台数程度にしか伸びなかった販売台数というありさまだったため、やはり開発コストから割り出す採算ラインはなんと1台1,600万円とも言われました。

ジウジアーロデザインの長距離ツーリングクーペ

スバルは前作のアルシオーネから、四輪駆動の長距離ツーリングカーというのを想定していて、それは独自の水平対向エンジンに、地道に開発を重ねたAWDを組み合わせた、どのような天候コンディションにも強い全天候型のドライバーズカーというコンセプトを持っていました。

そしてその考え方は、アルシオーネSVXに引き継がれることとなります。SVXは、独自のメカニズムを持ち、エンジンは新開発の3.3L 水平対向6気筒。そして当然トルクスプリット型のフルタイム4WDという組み合わせです。まさにスバルの旗艦となる1台。噂によると、当時のスバルではこのクルマに運転手をつけて役員車として使用していたのだとか。

デザインは、イタリアのジョルジェット・ジウジアーロの手による未来的なガラスエリアを特徴としたもので、広い視界、明るいインテリアを特徴としたスリークな印象の、それでいて大人4名が十全に居住することのできるスペースを合わせ持つという、ジウジアーロならではの実用性と美しさを両立したものとなっていました。

インテリアデザインもジウジアーロのスケッチをそのまま生産化するというもので、非常に機能的、かつ美しい造形を両立したクオリティの高いものとなっていました。

当時、いすゞ ピアッツァはモデルチェンジを行い、従来のジウジアーロデザインから社内デザインに変更され不評を買っているところでした。初代いすゞ ピアッツァとは、やはりジウジアーロのデザインを忠実に生産化したクルマで、美しさと実用性の高さの高いバランスが玄人受けしていたものでした。その点このアルシオーネSVXも同じで、やはりというか一般受けというより玄人受けのするクルマで、生産台数は全世界合計で3万台弱、国内向けは6千台程度に留まるまさにレア車となっていくのです。

とはいえ、スバルはこのクルマを非常に丁寧に、マメに手入れをしてブラッシュアップを図り、インテリアの素材やカラーの入れ替え、限定車の投入、トランスミッションの入れ替え( 同じ4段ATでも前期と後期で別物)などなど、売れる台数に対してよくぞここまでというくらいのしつこさでこのクルマを磨き上げていました。

それだけ彼らの思い入れも強かったのでしょう。しかし残念ながら、平成8年に生産を終えることになりました。

バブル景気だったからこそ、身を乗り出すように自動車開発に没頭していた日本の自動車メーカーとエンジニアたちの仕事ぶりが、こうしたクルマたちからも見て取れるような気がしますよね。

エンジニアとして突き詰めて理想的なクルマを追求するという姿勢、スタンス、気概のようなものが散りばめられているような、そんなこの3台も結局バブル崩壊や、あまりに細かすぎて伝わりにくい魅力が理解されずにモデルライフを終えていくことになります。

現代の自動車開発では考えられない"突き詰めた"クルマ作り。もう一度見てみたいものです。

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