お蔵入りした国産スーパーカー特集|市販されなかった幻の名車たち

童夢零

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スーパーカーは開発コストも量産体制も桁違いで、メーカーにとって大きな挑戦となります。にもかかわらず、市販直前で計画が頓挫し“お蔵入り”となった国産スーパーカーも少なくありません。
その背景には、経済情勢の悪化(バブル崩壊やリーマンショックなど)による開発予算の縮小や、法規制・homologation(型式認定)の壁、さらに市場ニーズとのギャップなど様々な要因があります。

また、技術的に先進的すぎたりコストが高騰しすぎたりした場合、発売目前でも中止の判断が下されることがあります。
こうした要因が重なり、結果として「市販されなかったスーパーカー」「幻の国産車」が生まれてきたのです。

CARPRIME編集部

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Chapter
市販されなかった国産スーパーカー7選|幻のモデルを年代順に紹介
日産 MID4|四輪駆動&四輪操舵を備えた未発売スーパーカー
日産 R390 GT1|ル・マン生まれの公道未販売ロードカー
童夢-零|型式認可の壁に阻まれた国産スーパーカー
ジオット・キャスピタ|F1水平対向12気筒を積む幻の和製スーパーカー
【動画】童夢「零」「ジオット・キャスピタ」
オートバックス ガライヤ|予約受注もむなしく消えたライトウェイトスーパーカー
ヤマハ OX99-11|V12公道F1が経済不況で頓挫
ホンダ HSV-010|NSX後継計画が消えたV10スーパーカー
幻のスーパーカーを一望|主要スペック比較表
まとめ|幻の国産スーパーカーが遺した技術とロマン

市販されなかった国産スーパーカー7選|幻のモデルを年代順に紹介

日産 MID4|四輪駆動&四輪操舵を備えた未発売スーパーカー

日産「MID4(ミッド・フォー)」は、日本初の本格ミッドシップ4WDスーパーカーとして1985年に登場しました。
1985年のフランクフルトモーターショーで初公開された初代MID4は、3.0L V6エンジン(VG30DE型, 230ps)を車体中央に横置き搭載し、四輪駆動(4WD)と四輪操舵(4WS)を組み合わせる先進メカニズムを持っていました。
1987年の東京モーターショーでは改良版「MID4-II」も発表され、エンジンをツインターボ化(VG30DETT型、 330ps)し縦置きに変更するなど性能向上が図られました。

しかし、MID4は市販されることはありませんでした。当時の日産はこの車を高速実験車・技術開発の一環として位置づけており、市販には踏み切らなかったとされています。ファンの期待に反して量産は実現しませんでしたが、その4WDシステムや4WS(HICAS)など多くの技術は後の1989年発売のフェアレディZ (Z32)やスカイラインGT-R (R32)などに受け継がれました。

もしMID4が発売されていれば、NSXに先駆けた“和製スーパーカー”として日本のスポーツカー史を変えていたかもしれません。

日産 R390 GT1|ル・マン生まれの公道未販売ロードカー

「日産 R390 GT1」は、もともとル・マン24時間レース参戦用に開発されたレーシングカーです。
1997年のル・マン参戦時、GT1クラスの規定で「最低1台の市販ロードカーの生産」が義務づけられていたため、日産は公道走行可能なロードカーを1台だけ製作・登録しました。

この車は英国トム・ウォーキンショー・レーシング(TWR)の協力のもと開発され、TWRが持つレーシングカー開発のノウハウ、特に過去のスポーツプロトタイプカーなどで培われたカーボンモノコックシャシーの設計技術などが活かされたと言われており、その上に空力性能を追求したボディがデザインされました。エンジンは3.5L V8ツインターボのVRH35L型(約550ps)を搭載し、0-100km/h加速3.3秒・最高速354km/hを誇る当時世界トップクラスの性能でした。

しかし、R390ロードカーは一般販売されることはなく、レース homologation のための存在に留まりました。実際にこのロードカーはイギリスで登録されただけで、「販売されていたら価格は1億円は下らない」と噂されたものの一般ユーザーには渡りませんでした。

現在、この貴重な車両は日産座間のヘリテージコレクションに保管されており、幻の国産スーパーカーとして伝説となっています。

童夢-零|型式認可の壁に阻まれた国産スーパーカー

「童夢-零(どうむ・ゼロ)」は、1970年代に日本のレーシングコンストラクター童夢が開発したスーパーカーです。
1978年のジュネーブモーターショーで華々しくデビューし、全高わずか980mmの極めて低いくさび型ボディに日産製L28型直列6気筒エンジンをミッドシップ搭載するなど、まさに当時憧れのスーパーカーそのものでした。

童夢-零は市販を目指して開発されましたが、当時の日本の型式認可が下りず販売に至りませんでした。安全基準や資金面の壁に阻まれ、改良型の「P-2」も含めて量産は断念。公道を走ることは叶いませんでしたが、その後もイベント展示などで注目を集め、日本製スーパーカーの夢の象徴となっています。

ジオット・キャスピタ|F1水平対向12気筒を積む幻の和製スーパーカー

1988年、下着メーカーのワコールが出資し、童夢が開発を担当した「ジオット・キャスピタ」が誕生しました。
スバルとイタリアのモトーリ・モデルニが共同開発した水平対向12気筒エンジン(3.5L)をミッドシップに搭載し、「公道を走るF1」を目指したスーパーカーです。

1989年の東京モーターショーで話題をさらいましたが、バブル崩壊による資金難から計画は凍結。試作車2台のみを残して販売計画は幻に終わりました。

【動画】童夢「零」「ジオット・キャスピタ」

オートバックス ガライヤ|予約受注もむなしく消えたライトウェイトスーパーカー

カー用品チェーン大手オートバックスが独自開発した「ガライヤ」は、2001年の東京モーターショーで発表されました。
日産製2.0L直4エンジン(SR20VE、 約200ps)をミッドシップに積み、650万円で予約受け付けを開始しましたが、開発難航やコスト問題などから2005年に販売中止が発表。予約者には対応がなされたものの、市販化されないままプロジェクト終了となりました。
レース専用車「ARTAガライヤ」はSUPER GTで活躍し名を残しましたが、一般販売は幻に終わっています。

ヤマハ OX99-11|V12公道F1が経済不況で頓挫

ヤマハ発動機が1992年にプロトタイプを発表したスーパースポーツカー「OX99-11」は、F1用V12エンジン(OX99、 3.5L)を公道用にデチューンして搭載。価格100万ドルで1994年発売を目指しましたが、世界的不況で計画は中止。
試作車数台が作られただけで市販は実現せず、幻のヤマハスーパーカーとして今も語り継がれています。

ホンダ HSV-010|NSX後継計画が消えたV10スーパーカー

初代NSX後継として開発された「HSV-010」は、5.0L V10エンジンを搭載しアキュラブランドでの発売が計画されていました。

しかしリーマンショックによる景気悪化で市販計画は白紙撤回。
開発車両はSUPER GTのGT500マシンとして転用され、レースでは大活躍したものの、公道向けモデルが販売されることはありませんでした。

幻のスーパーカーを一望|主要スペック比較表

車名 エンジン/
排気量
最高出力目安 予定販売価格(当時) 計画中止年
(目安)
日産 MID4 / MID4-II VG30DE 3.0L V6(II:VG30DETT 3.0L V6ツインターボ) 230ps(DIN)
(II:330ps)
未公表(高額になったと予想) 1988年頃
日産 R390
GT1 ロードカー
VRH35L 3.5L V8ツインターボ 約550ps 非売品(市場価値1億円以上と推定) 1998年
童夢-零 日産 L28 2.8L 直6 約145ps  未公表(目標価格は数百万円との説あり) 1979年
ジオット・
キャスピタ
スバル1235 3.5L 水平対向12気筒(後にジャッドV10も検討) 約585ps
(スバル1235エンジン搭載時)
未公表(1億円級になるとの説あり) 1993年頃
オートバックス ガライヤ SR20VE 2.0L 直4 約200ps  650万円(予約受付価格) 2005年
ヤマハ 
OX99-11
OX99 3.5L V12 (F1エンジンデチューン) 約400ps 100万ドル(当時約1.2~1.3億円と報道) 1994年頃
ホンダ 
HSV-010
5.0L V10 (詳細型式非公表) 未公表(GTマシンは約500ps以上) 未公表 2009年

まとめ|幻の国産スーパーカーが遺した技術とロマン

発売直前でお蔵入りとなった国産スーパーカーはいずれも画期的なコンセプトや技術を備え、「もし市販されていたら…」と語られる伝説のモデルばかりです。
経済状況や規制の壁に阻まれたこれらの幻のスーパーカーたちは、直接市場に登場することはありませんでしたが、それぞれ日本の自動車技術やブランドイメージに大きな足跡を残しました。

もしこれらが市販されていた世界線では、日本のスーパーカー文化は現在とは違った広がりを見せていたかもしれません。それでも、挑戦した事実と遺産は色褪せることなく、日本車ファンの心を刺激し続けています。幻ゆえに人々の記憶に強く刻まれ、今なおイベント展示やメディアで注目を浴びるものもあります。

幻の国産スポーツカーたちの物語は、夢を見ることの大切さと、自動車開発のロマンを我々に教えてくれると言えるでしょう。
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