発表のタイミングが悪かった?お蔵入り国産スーパーカー7選

HSV-010

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スーパースポーツと呼べる車両が少ない日本ですが、かつてはさまざまなスーパーカーが開発されました。世界各地のモーターショーで華々しくデビューしたそれらのなかには、公道を走った車もあれば、価格も決まって市販寸前までこぎつけた車もありました。しかし、バブル崩壊やリーマンショックといった経済情勢の余波を受けるなどの理由で、こちらに紹介するクルマはすべてお蔵入りとなってしまったのです。
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(2017年9月13日)
Chapter
①日産「MID4」
②日産「R390 GT1」
③童夢「零」
④童夢「ジオット キャスピタ」
⑤オートバックス「ガライヤ」
⑥YAMAHA「OX99-11」
⑦ホンダ「HSV-010」

①日産「MID4」

モータースポーツへの参戦や高速実験車としての役割も担って、開発された日産のスーパーカーがMID4です。

デビューは、1985年のフランクフルトモーターショー。リトラクタブルヘッドライトを採用したボディに、3.0LのVG30DE型V型6気筒DOHCエンジン(230ps/28.5kgm)をミドに横置きで搭載。駆動系には、4WD(四輪駆動)と4WS(四輪操舵)を組合わせていました。

その2年後、1987年の第27回東京モーターショーで、発展型のMID4-IIが発表されます。

洗練されたスタイルに、インタークーラーツインターボ化(VG30DETT型)されたV6エンジンは縦置きに搭載。最高出力/最大トルクはそれぞれ330ps/39.0kgmにまで向上しました。

市販はかないませんでしたが、高級スポーツカーとしての技術は、インフィニティQ45やシーマ、スカイラインGT-R、フェアレディZなどに受け継がれています。

②日産「R390 GT1」

日産自動車が、1997年のル・マン24時間レースに投入した車がR390 GT1です。

この時代のル・マン24時間レースは、GT1規定で覇権が争われていたことから、最低1台の市販モデルを生産する必要があり、ロードゴーイングモデルが1台だけ産み落とされました。

イギリスのTWR(トム・ウォーキンショー・レーシング)の協力を得て開発されたR390のベースとなったのは、ひと世代前のジャガー XJR-15でした。

とはいえ、空力性能の向上を図るためフロントカウルやサイドスカートの形状、リアカウルは新しく作り変えられています。ヘッドライトはZ32用を流用し、エンジンはV型8気筒3.5LツインターボのVRH35Lを搭載しています。

その最高出力は550ps、1トン強の車両重量ながら、0-100km/k加速は3.3秒、最高速は354 km/hを実現しました。現在でも日本車最速レベルの車です。

③童夢「零」

歴史、実績ともに日本を代表するレーシングチーム童夢が手掛けた零(ZERO)は1978年のジュネーブショーで発表。伝説のレーシングコンストラクター林みのる氏(現童夢相談役)、レーシングカーデザイナー由良拓也氏など当時のレース車両開発における国内トップの技術者たちを集めて開発された車でした。

全長3,980mm×全幅1,770mm×全高980mmと比較的コンパクトなボディに、日産のL28型エンジンをミドに搭載。全高1,000mmを切る平べったいボディは、スーパーカーそのもの。市販を目標としていましたが、当時の日本では認可が下りず、零の発展形であるP-2を含め市販にはいたりませんでした。

④童夢「ジオット キャスピタ」

富士重工製の3.5L水平対向12気筒エンジンを搭載したジオット キャスピタは、「零」を開発した童夢によって設計されました。ちなみに依頼主は服飾メーカーワコールの関連会社で、バブル時代の1988年に開発がスタートしました。

カーボンモノコックの流麗で美しいボディに、水平対向12気筒エンジンをミドシップするという、まさにスーパーカーの王道ともいえるスタイルでしたが、結局は市販にいたりませんでした。

【動画】童夢「零」「ジオット・キャスピタ」

⑤オートバックス「ガライヤ」

カー用品量販店オートバックスが開発、製造したオリジナルスポーツカーで、実際に650万円という価格で予約受付も開始されていました。

日産プリメーラやブルーバードに搭載されていた、2.0L SR20VEエンジンをミドに搭載した2座のライトウェイトスポーツカーです。

ドア形状はスーパーカーのお約束?ともいえるガルウィングドアを採用し、内外装色やホイール、足回りはオーダーメイドにも対応していました。

約60台のオーダーがあったようですが一般ユーザーの手に渡ることはなく、2005年に販売中止となりました。

⑥YAMAHA「OX99-11」

F1への参戦から得た技術を活かして作られたスーパースポーツが、ヤマハ OX99-11(オーエックス99-11)です。

ヤマハ発動機が1991年に発表したスポーツカーで、市販を目指して開発が行われてきました。搭載されたエンジンは、1990年に発表されたF1マシン向けOX99を公道用にデチューンしたもの。

ちなみに当時OX99は、ブラバム BT60(1991年)とジョーダン 192(1992年)に供給されたエンジンです。

OX99はOX88(ザクススピード 891)に続く軽量でコンパクトなエンジンで、70度V型12気筒、5バルブ、3,498ccで最高出力は600馬力以上を発揮しました。

その性能は最高速350km/h以上、0-100km/h3.2秒という驚異的な数値を発揮。諸事情により実現にはいたりませんでしたが、まさに公道を走るF1マシンと言えるものでした。

1992年5月に、生産、販売を行う予定だったロンドンで発表会が行われ、「1994年にデリバリー開始」とアナウンスされました。販売価格は100万ドル(1億3,000万円)でした。

⑦ホンダ「HSV-010」

NSX後継車として、アキュラブランドで2010年の発売を予定して開発がスタート。2007年1月の北米国際オートショー(デトロイトショー)にて次世代スポーツカーのデザインコンセプト、Acura Advanced Sports Car Conceptとして発表されました。

V型10気筒エンジンのバンク角は90度、最高出力は405kW(550ps)を発生。市販にはいたりませんでしたが、そのコンセプトは新型NSXに引き継がれています。

ここで紹介した車両は、すべて市販にはいたらず幻となったものばかり。もしも何台かが発売されていれば、日本の自動車文化は変わっていたかもしれませんね。
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