今じゃありえない!? カーナビのない時代、どうやって目的地まで辿り着いていたの?

道路地図

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カーナビゲーションやスマートフォンのナビ機能などが、スタート地点から目的地までを、最短時間で結ぶ道順を教えてくれる時代になりましたが、これらがなかった時代は、どうやって目的地まで辿り着いていたのでしょうか。今回は懐かしいカーナビの話から、カーナビの将来像まで、紹介していきます。

文・吉川賢一
Chapter
カーナビがなかった時代
世界初のカーナビの発明は?
量産を開始したカーナビはどんな姿だった?
今後のカーナビの姿は?

カーナビがなかった時代

カーナビがなかった時代、ドライブや仕事で目的地へ辿り着くには、紙製の地図が必需品でした。遠距離を移動する時は、広域地図で高速道路や幹線道路を調べ、近くになったら拡大地図を駆使する、という方法で移動していました。ですから、ドライブ好きなオーナーのクルマには、全国または地方のロードマップがかならずといってよいほど携行されていました。

紙製の地図は、本のように綴じたものは頻繁な使用で綴じている箇所からページが剥がれ落ちてしまうため、見開きしやすいように工夫された、スパイラルノート型のものが人気でした。さらに、当時は「抜け道マップ」と呼ばれる、民家の間を通るような道が赤矢印で示された地図も、隠れた人気アイテムでした。

そのほとんどは北が上になっていたのですが、初めて走る道や慣れない道では、自分が走っている方角がわからなくなり、太陽の位置を確認したり、方位磁石を使って方角を調べたものでした。ちなみに当時、カーコンパスというダッシュボードに付ける方位磁石が人気でした。

また、スムーズに目的地へ到着できるかは、助手席に座ったナビ役にもかかっていました。一方、1人で運転する場合は、走り出す前に大事な曲がり角のある交差点の名前をメモしたり、道や地名を一生懸命に暗記する努力をしたものでした。

世界初のカーナビの発明は?

カーナビは日本で生まれ、日本を中心に発展しました。

日本でカーナビが誕生した理由は、日本の道路事情が関係しています。日本は住所が入り組んでいて、番地に規則性がなく、欧米のように道路から住所が推測できるようにはなっているのは、京都などほんのひと握りです。さらに道路網も複雑で、都市部では渋滞がしばしば発生します。

時間や燃料、ドライバーの体力を消耗していると考えたホンダは、その助けになる技術を開発します。それが、1981年にホンダ アコードの2代目モデルに搭載された「ホンダ エレクトロ ジャイロケータ」でした。

当時の日本のトップ技術者の協力を得て完成したこのシステムは、本来は自動運転を目的として開発されたもので、ガスレートジャイロセンサーとタイヤ回転からの距離センサーによって、車の方向と移動を検出して表示し、目的地や途中のポイントまでの残りの距離を視覚化するもの。地図は、手動で差し替えるアナログ式でした。

ちなみに、ホンダ エレクトロ ジャイロケーターは、2017年3月、世界の電気・電子・通信といった分野における歴史的偉業を認定する賞であるIEEEマイルストーンに認定されました。

量産を開始したカーナビはどんな姿だった?

その後、1990年にパイオニアが市販モデルで初となるGPS式カーナビAVIC-1を発表、現在のGPSを使ったカーナビ普及の礎となりました。

GPS式カーナビは、GPS技術と自律航法の組み合わせで作られています。もともと、1960年代に軍事目的で開発されたGPSですが、民生用途の広がりとともに2000年代には精度も大きく向上。さらに、地図のデジタル化が進み、現在では大容量データを蓄積できるHDDナビが主流となっています。


今後のカーナビの姿は?

カーナビの使い方は、さらに進化しています。例えば、地震が起きた被災地で、交通情報の把握に使われていたり、盗難車の追跡調査や、営業車に取り付けて、いまどこにいるのかをモニターするなど、活用されています。

また、自動車をセンサーとして利用し、得られたデータを、交通管理や他の車の走行支援用にフィードバックするような、高度な情報機器としての活用が期待されています。

現在、スマートフォンでも、カーナビの役目を十分にはたすことが可能となっており、ナビゲーションシステムはクルマに搭載しておく機器である必要がなくなってきているとも考えられます。

カーナビを開発しているメーカーも今後の技術の行方を模索しており、ヘッドアップディスプレイとの連携や、自動運転の根幹技術になる等、カーナビゲーションの次なる進化が求められています。

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