F1ジャーナリスト世良耕太の知られざるF1 vol.59 二人のホンダ愛

vol.59 二人のホンダ愛

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▶︎アロンソと同様にバトンも、強かった頃のマクラーレン・ホンダを覚えており、「僕が子供の頃はマクラーレン・ホンダの時代だった」と振り返る。だから、「マクラーレン・ホンダは特別」で、「その一員になれることに興奮している」とコメント。アロンソは’07年もマクラーレンに在籍したことがある。当時は「いかにもイギリスのチームだったが、いまはインターナショナル」と説明した。「いかにもイギリス」とは閉鎖的で、「インターナショナル」とはオープンでリラックスしていることだと補足した。


'08年末でホンダは撤退したが、バトンはブラウンGPと名を変えたチームに残留。ホンダが泣く泣く手放したシャシーにメルセデス・ベンツ製エンジンを積んだマシンで'09年シーズンを戦い、チャンピオンを獲得した。この点についてバトンは次のように説明している。

「確かに、ホンダでチャンピオンを獲ることはできなかった。覚えておかなければいけないのは、ホンダは'08年の間に'09年に向けた開発を行っていたということだ。'09年にチャンピオンを獲ることができたのは、ホンダのハードワークのおかげだと思っている。彼らの努力があったからこそ、勝つことができたんだ」

ただし、それで満足しているわけではない。

「ホンダとはやり残したことがある」
そう、バトンは言う。チーム名に「ホンダ」の名前が入ったチームでチャンピオンを獲ることが、バトンのモチベーションにつながっている。

モチベーションならアロンソも負けていない。'10年から5シーズン在籍したフェラーリとはあと2年契約期間が残っていたのだが、それを解消してマクラーレン・ホンダへの移籍を決めたのだから。

「フェラーリにいつづけることはできた。でも、3度目のチャンピオンになるには、ホンダしかないと思った。彼らのプロジェクトを知り、施設を見て、技術のレベルを確認した。その結果、ホンダのロゴが入ったTシャツを着たいと思った」

そう語るアロンソにとって、ホンダの一員になることは「家族の夢だった」という。

「僕はセナ・プロスト時代に育った。マクラーレン・ホンダがF1を支配していたのを覚えている。3歳の頃、父が僕に用意してくれた最初のゴーカートは、マクラーレン・ホンダのレプリカだった。なぜ、ホンダのカムバックに合わせてマクラーレンに移籍したのかって?それは私の父の夢だったし、家族の夢でもあり、僕自身の夢だったからだ。セナと同じ3回目のチャンピオンになるのに、完璧な巡り合わせだと思う」

ホンダは「The Power of Dreams」のスローガンを掲げて企業活動を行っている。「夢があるから失敗を恐れず、夢の実現へとチャレンジする」姿勢を表している。アロンソは、自分の生き方がまさにそのとおりだ、と話した。

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text:世良耕太/Kota Sera
F1ジャーナリスト/ライター&エディター。出版社勤務後、独立。F1やWEC(世界耐久選手権)を中心としたモータースポーツ、および量産車の技術面を中心に取材・編集・執筆活動を行う。近編著に『F1機械工学大全』『モータースポーツのテクノロジー2016-2017』(ともに三栄書房)、『図解自動車エンジンの技術』(ナツメ社)など。http://serakota.blog.so-net.ne.jp/

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