松本 葉の自動車を書く人々 第4回 佐野洋子

松本 葉の自動車を書く人々 第4回 佐野洋子

アヘッド 松本 葉の自動車を書く人々

■Yoko Sano
1938年北京生まれ。武蔵野美術大学卒業。絵本、小説、エッセイの各分野で活躍。2003年紫綬褒章受章。絵本に『100万回生きたねこ』(講談社)、『おじさんのかさ』(講談社)、エッセイ集に『神も仏もありませぬ』(筑摩書房、小林秀雄賞)、『シズコさん』(新潮社)、『北京のこども』(小学館)ほか多数。2010年永眠。享年72。


見えないクルマが書き物全体に鮮やかな色を与えたり、書き手の想いを伝えたりする。私はこういう読み物に出会うと、猛然と好奇心を掻き立てられる。書き手はどんなクルマに乗っているのであろうか。クルマで何処に行くのだろう。何を想うのであろうか。彼の、彼女の人生を拾い出すように、文章のなかにクルマの〈カケラ〉を探す。

彼の、彼女の、と記したが、エッセイに限ってはどういうわけか私の場合、"匂い"という括りで言うなら女性の書き手にそれを感じ取ることが多い。男性はクルマを直接的に描くような気がする。

自動車に強い思い入れのあった、故・景山民夫氏の珠玉のエッセイ集『普通の生活』のなかに離婚調停を終えて家庭裁判所から出て行くシーンがある。がジャガーに乗る、別れた奥さんは新車のゴルフで走り去る。著者はスズキ・アルトの中からそれを見送る。これだけで書き手の心象風景が溢れるが、それは車名が生み出すものではないか。視覚には強く訴えるが、そこに匂いはない。

男性はクルマを取り上げるとき、直球を投げる。ステアリングを握るのが誰であれ、女性の場合は此処ではない何処かに連れ出すものとして現れることが多いように思う。

そういえば『中央フリーウェイ』のなかでユーミンは『黄昏がフロント・グラスを染めて広がる』車内で、『進む道はまるで滑走路』と歌い、『夜空に続く』と結んでいる。

無題

私にとってパラパラと本を揺すっただけでふわーっとクルマの匂いがたちのぼる書き物、それが佐野洋子氏(1938-2010)の記したエッセイである。

ミリオンセラーとなった 『100万回生きたねこ』『わたしのぼうし』などで知られる佐野さんは絵本作家であると同時に、優れたエッセイスト。『神も仏もありませぬ』【筑摩書房】では小林秀雄賞を受賞している。

この本について、河出書房が刊行した『佐野洋子 追悼総特集』のなかで「文体はくだけているようでいて、その実折り目正しい。無駄話のように見えて無駄がない。明るい基調に、かすかに悲傷のトーンがまじる。タダモノではないと思った。少なくとも女流作家の、いわゆるエッセイではない」、こう記したのは関川夏央氏。彼女と交流のあった関川さんはこの原稿の最初の部分で、佐野さん自身が記さなかったことを断言している。

『佐野洋子は車が好きで、運転が好きだ』

前述の通り、彼女が記した多くのエッセイには自動車のいい匂いが漂うが、クルマを全体のテーマに据えた作品は少ない。私が知る限り、買ったばかりのユーノスを描いた『馬鹿みてえ』【ふつうがえらい 新潮文庫】と、『お歯黒ヒルマンと国産車』【がんばりません 新潮文庫】のふたつ。

どちらも、クルマの書き物としては異色の面白さだが、もうひとつ、ジャガーの話がある。『役にたたない日々』【朝日新聞出版】のなかでは『2008年冬』に、『死ぬ気まんまん』【光文社】では表題のエッセイに登場する。

深刻な病に侵され、その病が再発した告知を受けた佐野さんはその足で車屋に行き、ジャガーを買う。国粋主義者を自認する彼女はそれまで外国車に意地でも乗らなかったが、もうすぐ死ぬ、というジョーカーを手に入れたことで自己を解放するのである。

自動車ジャーナリストの間でかつて、ジャガーは〈上がりのクルマ〉と称された。ジャガーのよさに触れたら他のクルマにはもう乗れない、だから若い時分に持たない方がいい。最後まで取っておきなさい。そんな意味で言われたことだったが、自らの意志で彼女は〝あがる〟ときに〝あがりのクルマ〟を選ぶ。ジャガーのよさを知っていたのだ。

『私は右翼の国粋主義者でも、イングリッシュグリーンのジャガーが一番美しいとずっと表面には出さずに思っていた』

ここに、佐野さんのクルマに対する審美眼が見て取れる。

一方でクルマを下駄のように扱うことは彼女自身、しばしば語っていること。ジャガーについても『一週間たったらジャガーはボコボコになっていた』と記されているが、『お歯黒ヒルマンと国産車』のなかにはこんな記述が見られる。

『車なんか走ればいいもんだ、ピカピカになんかする必要はないと断固考えた』

後半にはこんなくだりも現れる。

『たまに車を洗うと、私は照れて恥しいのだった。ホテルの駐車場に車を並べるとさすがに私は車にも「くず」というものがあれば人間にもくずが居るかも知れないと哲学的になった。私はそれでも外側の修理清掃は行わなかった』

グッド・センスを発揮してクルマを選び、選んだクルマを道具として見切る。グダグダ、御託を並べない。彼女のクルマとの付き合い方は本道を行く、そんな気がする。

アヘッド 佐野洋子

著作を読む限り、佐野さんはマツダ・ユーノス以外ではホンダ・シビックを所有したことがわかる。もう1台、『座席二つなれどスポーツカーにあらず』と表現したホンダの自動車を新車で持ったようで、これを私はCR-Xと考えた。

「いや、あれはホンダ・シティ(商用車)のことだと思います。座席2つはリアシートがなかったから」、こう教えてくれたのは佐野さんのひとり息子、広瀬 弦氏。

健太や子孫という呼び名でエッセイのなかにしばしば弦さんらしき人物が登場する。初期のものから時代を追って読んで行くと、誕生から反抗期から青年時代をへて大人の男になっていく過程が読めるが、青年期に入った頃から彼の横にもしばしばクルマが寄り添う。ついでに言えば弦さんらしき人物は自動車雑誌を愛読した形跡もある。

久しぶりに訪ねた息子のアパートの部屋での記述。

『マンガのかわりに、四つも五つも車の雑誌が山になって置いてある』【そうはいかない 小学館】 

 このフレーズを読んだとき、私はどきっとした。愚息の部屋に初めて自動車雑誌を見つけた日のことを思い出したからだった。男の子から男になりつつあると思った、という話はさておき。

この日、弦さんは待ち合わせ場所に、黒のトライアンフ2000で現れた。がっしりとした彼の体つきにとてもよく似合っている。

「スバル360からスタートして、いすゞベレットを2台、ホンダ・シビック、シティ、CR-X、マツダ・ユーノス、スバル・インプレッサ、それからジャガーだったと思う」

これが弦さんが記憶している佐野洋子自動車遍歴。聞いて驚いた。すべて名車ばかり。何よりスタイリングに高い評価を得たクルマばかりだ。

「かっこいいクルマが好きだったと思います」

好きだったばかりでなく、佐野さんはかっこいいクルマを知っていたのだろう。

彼女のエッセイからたちのぼるクルマの匂いが〝いい匂い〟であるのは、ぼこぼこにして乗っても、汚いまま走っても、枯葉にうずまろうとカラスの糞にまみれようと、ぼこぼこの、糞をくっつけた自動車が、エポック・メーキングな名車ばかりだったからではないか。

どんなに悪態をついても品性と知性、教養が拭いきれないのが佐野洋子の書き物。趣味のよさ、高いセンスが溢れでる。それらは彼女が〝意識的に〟無意識に扱おうとしたもののように感じられるが、佐野さんがパーカーだとすれば品性も知性も教養もグッド・センスもパーカーに縫い付けられたフードのように密着している。前からは見えない(見せない)が、後ろにはいつもフードがくっついている。

私は彼女の書き物を読むたび、それが料理でもヒトでも本のことでも何よりクルマについてでも、彼女の溢れでる教養や知識に表彰状を差し上げたいと思ってしまう。しかし、表彰状みたいなもんを一番、嫌うのが佐野洋子。こういうもんを信用しないのが彼女だ。

彼女にとって教養も知性も品性もそれを見せることは恥ずかしいことなのだ。おそらく車名を並べることも、クルマが好きだとか運転が好きだとか言うことも彼女にとっては恥ずかしいことだったのではないかと思う。

アヘッド 佐野洋子

私が佐野文学と出会ったのはここ10年ほど。遅咲き。彼女が亡くなってからの方が長い時間が流れた。読むたびに心打つ箇所も笑う場所も泣くシーンもときどきで異なる。言語自体は動かないけれど、流れる時間のなかにいる読み手のなかで、意味は変貌を遂げて行く。

いや、ちょっと待って。一文だけ、何度読んでもいつも笑う箇所がある。「昼下がりの情事」というオードリー・ヘップバーンの映画を見たときの描写だ。

『時々観客が爆笑した。私ものけぞって笑った。そして気がつくと隣の知らない小父さんが私のひざをたたいて笑っていた』

知らない小父さんが佐野さんのひざをばしばし叩くシーンが想えてこちらが爆笑する。佐野さんがスクリーンに向かってお腹をよじりながら、叩かれた痛みにむっとした顔で横の小父さんの顔をのぞき見る様子が浮かんでさらに笑う。

そのあとに続くのはこんな一文。

『私はそのことのためにあの映画が忘れられない』

私はこのシーンのために『いろんな人と一緒に映画を観た』【がんばりません 新潮文庫】が忘れられない。佐野さんはどうしてクルマを求め、運転が好きだったのだろう。よくこんなことを考える。

『それが不幸の時代だとしても、私が不幸であったわけではない』と記す彼女は北京で生まれた。戦後の混乱期を親兄弟を失いながら生き抜いた佐野さんにとって、〈マイカー〉は、高度成長期を自動車の原点とする私とも、バブル期に育った世代とも、デカダンスに生きるオレと言う愚息とも異なったものであったはず。

佐野さんのエッセイを読んでいるとそこからたちのぼるクルマの匂いの〝素〟をいつの間にか探してしまう。

『私は三輪車にのっかる時必ず、リュックサックをしょってのった。何故かわからないが、車がついているものは旅行とか、ピクニックとかのイメージがあったのかもしれない』

これは『三輪車が死んだ』【ふつうがえらい】のなかに出てくる一文。彼女がもっとも愛した、早世した兄が駈る三輪車の思い出話だが、私は此処に彼女の乗り物に対する根を見るような気がする。佐野洋子にとって、車輪がついているものは自分を何処かに連れて行ってくれるものではなかったか。

三輪車の後ろに載る佐野洋子は2歳になったかどうかだが、同じ本に収められた『五分の旅』の彼女は自らクルマのステアリングを握る。子育ての最中のことで、何処で仕事をしていても彼女は保育園のお迎え時間めざしてクルマをぶっ飛ばした。

遅刻は1分も許されない追い詰められた気持ちを抱えながら中央高速を走る彼女の前に広々とした空が現れるところがあるという。彼女は毎日、その先に自分の知らない土地が広がっていると感じる。

『ほとんどあと五分で私は高速を下りるのだが、その五分、私は旅をしていた。毎日、五分。/決して行くわけでもないのに、高速道路の遠い果てが毎日私を呼んでくれた。あれはとても素敵な旅だった』

大陸生まれの佐野洋子をもっとも理解したひとりと思われる関川夏央氏は前述の追悼文のなかで佐野文学を〈故郷喪失者文学〉と位置付け〈傑作〉と記している。

『豪放かつ緻密な物語のはしばしに、ある種の「よるべなさ」がうかがえる。それは、彼女に接して感得したものでもある。(中略)彼女にとって日本は、いくらなじもうが「旅先」であった。その感覚は生涯拭われなかったのだろうと思う』

大陸生まれの佐野洋子は祖国に自分の居場所を見つけられなかった。寄る辺を探した彼女はだから、此処ではない何処かに運んでくれる自動車を愛したのであろうか。クルマに想いを託したのだろう。 弦さんによれば佐野さんは自動車を〈書く〉ことに意欲的だったのだと言う。

「自動車雑誌にいっぺん書いてみたい、そんなことを言ってました」

自動車雑誌に掲載された、クルマと四つに組んだ、佐野洋子の原稿を読んでみたかった。無念でたまらない。

こう言うと、でも、笑うんだろうな。「自動車と四つに組むなんてわたしはしないわよ」

佐野洋子の声が聞こえる。

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text:松本 葉/Yo Matsumoto
自動車雑誌『NAVI』の編集者、カーグラフィックTVのキャスターを経て1990年、トリノに渡り、その後2000年より南仏在住。自動車雑誌を中心に執筆を続ける。著書に『愛しのティーナ』(新潮社)、『踊るイタリア語 喋るイタリア人』(NHK出版)、『どこにいたってフツウの生活』(二玄社)ほか、『フェラーリエンサイクロペディア』(二玄社)など翻訳を行う。

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