松本 葉の自動車を書く人々 第7回 渡辺慎太郎
更新日:2024.09.09
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私は雑誌に育てられた。仕事のことばかりではない。文字通り、雑誌と共に大きくなった。これは直線距離で50㎞以上ある道のりを小学校から電車で通ったため。鞄の中にはいつも雑誌があった。
text:松本葉 photo:菊池貴之 [aheadアーカイブス vol.177 2017年8月号]
text:松本葉 photo:菊池貴之 [aheadアーカイブス vol.177 2017年8月号]
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- 第7回 渡辺慎太郎
第7回 渡辺慎太郎
インターネットもスマホもない、60年代終わりから70年代のことで、満員電車の中では誰もが何かしら読んでいた。さもなければ熟睡。朝、大人は皆、新聞を脇に挟んで電車に乗った。大まかに分けるとサラリーマンにはスポーツ新聞を手にするヒトと日本経済新聞を読むヒトがいた。
新聞を細かく折りたたんで片手で読むやり方が〈知恵〉としてテレビで紹介されたのもあの頃。それほど電車は混んでいた。
朝、立っているときは週刊誌の中吊り広告を読み、運よく座れれば眠りこけたが、帰りの電車で手にしたのは雑誌。セブンティーンや明星ではない。週刊ポスト、週刊現代、週刊文春、週刊新潮、週刊朝日、サンデー毎日を小学校の終わりから読んだ。
これが雑誌の原点。ここから勢いがついて、女性誌はもちろん、あらゆる雑誌を読むようになる。
週刊誌の内容はほとんど理解出来なかったが、それでも文字をつらつら追っていた。今も鮮明に覚えているのは、雑誌にはそれぞれに〈色〉があると思ったこと。今となっては当然だが、当時は、月曜日に出る週刊ポストと翌日に出る週刊現代が違うことが不思議に思われた。
1冊のなかに流れる音楽がどのページを開いても同じであることも感じ取ったひとつだった。
同じ音楽を生むものが、タイトル、見出しの付け方、語尾の使い方も含め、文体やちょっとした言い回しにあると知ったのは自分が雑誌に関わるようになってから。同じ空気を吸うヒトが集まることで雑誌は出来る。編集長の色が雑誌に出ると雑誌ががぜん面白くなり、編集長の個性が同時に味を引き締めることを知ったのもこの頃である。
多くの同業者は幼い頃からクルマが好きで、自動車雑誌をバイブルにして育ったが、私がこれらを読むようになったのは自分が自動車雑誌の編集部に入ってから。えげつなくて恥ずかしいが、最初はタダだから読み始めた。
バーターと呼ばれる交換制度があって、編集部には他の出版社が発行する自動車雑誌が溢れていたのである。
編集部を辞して欧州に移り住むようになってからも読み続けているのは、雑誌育ちのためもあるが、自動車を文字で読むことが、結局好きだからだと思う。寄稿者特権で原稿を寄せた雑誌からは献本を受けているが、幸福なことに今は電子書籍というものがある。
多くの自動車雑誌が電子化されているから、日本にいなくても発売と同時に手に入れることが出来る。ウレシイ。今では趣味となった自動車雑誌を読むことを続けている。
日本の自動車雑誌の老舗と呼ばれるのは『モータマガジン』と『CAR GRAPHIC』(以下CG)、前者は'55年、後者は'62年に創刊された。両誌の共通項は、この連載の1回目に取り上げた自動車ジャーナリストの草分け、小林彰太郎氏の存在。
違いはモーターマガジン時代の彼は寄稿者だったが、CGは彼が立ち上げ、独自のスタイルを築いたこと。
この雑誌は「自動車雑誌の暮らしの手帖」と称されるが、小林さんは創刊時代から署名原稿というスタイルを取った。批判にも賞賛にも責任を持つことを目指したためと察するが、ミソは外部のフリーのジャーナリストではなく編集スタッフによる執筆が主流である点。
これがCGの伝統だが、強みであり同時に難しさでもあると想像する。老舗を引き継ぐ社長には伝統の遵守と改革というテーマがいつも目の前にぶら下げられている。CGも同じで小林さんの匂い、つまりCGらしさを私も探すが、同時に今を求めてページをめくる。
現在のCGを率いるのは渡辺慎太郎氏。ル・ボランからCGに移り、一時期、フリーを経て2013年、小林さんから数えて7代目の編集長に就任した。1966年生まれ。「自動車を書く人々」がもっとも混み合っている唯一の世代の全天候型といえる。
全天候型と思うのは、彼は編集長であり編集者であり上記の通り、CG専属の自動車の書き手であるから。いや、これだけではない。自動車を書くことに強いこだわりを持ち、そのこだわりを具現化するかのような面白い原稿を記すからである。
ちなみに彼を渡辺さんと呼ぶヒトは少ない。自動車業界でシンタロー、もしくはシンタローさん、時にシンちゃんと呼ばれている。シンちゃんはクレヨンしんちゃんを思い出す。合わない。貧相な発想かも知れないが、シンタローさんだと浴衣を着た若旦那を想い浮かべてしまう。
彼は私が寄稿するCGのコラムの担当編集者、それでシンタローと呼んでいる。前述の、書くことへの自身のこだわりは書かせることへのこだわりでもある。私にとっては数少ない盟友と思える担当編集者、それが彼だ。
企画意図の大枠や大筋を決め、外堀を固めるのが編集者の仕事だが、それは時に書き手にとっては絵に描いた餅、言うのは易し、マス目を埋める作業と乖離することがある。
的確な言葉が浮かなばいこともあれば、書かずに行間を読み取ってもらうことで幻の1行を作った方がいいこともある。そういうひとつひとつの悩みを共に考え、丁寧に対応していくのが慎太郎だが、それはやっぱり彼自身が〈自動車を書く人〉だからだと思う。
新聞を細かく折りたたんで片手で読むやり方が〈知恵〉としてテレビで紹介されたのもあの頃。それほど電車は混んでいた。
朝、立っているときは週刊誌の中吊り広告を読み、運よく座れれば眠りこけたが、帰りの電車で手にしたのは雑誌。セブンティーンや明星ではない。週刊ポスト、週刊現代、週刊文春、週刊新潮、週刊朝日、サンデー毎日を小学校の終わりから読んだ。
これが雑誌の原点。ここから勢いがついて、女性誌はもちろん、あらゆる雑誌を読むようになる。
週刊誌の内容はほとんど理解出来なかったが、それでも文字をつらつら追っていた。今も鮮明に覚えているのは、雑誌にはそれぞれに〈色〉があると思ったこと。今となっては当然だが、当時は、月曜日に出る週刊ポストと翌日に出る週刊現代が違うことが不思議に思われた。
1冊のなかに流れる音楽がどのページを開いても同じであることも感じ取ったひとつだった。
同じ音楽を生むものが、タイトル、見出しの付け方、語尾の使い方も含め、文体やちょっとした言い回しにあると知ったのは自分が雑誌に関わるようになってから。同じ空気を吸うヒトが集まることで雑誌は出来る。編集長の色が雑誌に出ると雑誌ががぜん面白くなり、編集長の個性が同時に味を引き締めることを知ったのもこの頃である。
多くの同業者は幼い頃からクルマが好きで、自動車雑誌をバイブルにして育ったが、私がこれらを読むようになったのは自分が自動車雑誌の編集部に入ってから。えげつなくて恥ずかしいが、最初はタダだから読み始めた。
バーターと呼ばれる交換制度があって、編集部には他の出版社が発行する自動車雑誌が溢れていたのである。
編集部を辞して欧州に移り住むようになってからも読み続けているのは、雑誌育ちのためもあるが、自動車を文字で読むことが、結局好きだからだと思う。寄稿者特権で原稿を寄せた雑誌からは献本を受けているが、幸福なことに今は電子書籍というものがある。
多くの自動車雑誌が電子化されているから、日本にいなくても発売と同時に手に入れることが出来る。ウレシイ。今では趣味となった自動車雑誌を読むことを続けている。
日本の自動車雑誌の老舗と呼ばれるのは『モータマガジン』と『CAR GRAPHIC』(以下CG)、前者は'55年、後者は'62年に創刊された。両誌の共通項は、この連載の1回目に取り上げた自動車ジャーナリストの草分け、小林彰太郎氏の存在。
違いはモーターマガジン時代の彼は寄稿者だったが、CGは彼が立ち上げ、独自のスタイルを築いたこと。
この雑誌は「自動車雑誌の暮らしの手帖」と称されるが、小林さんは創刊時代から署名原稿というスタイルを取った。批判にも賞賛にも責任を持つことを目指したためと察するが、ミソは外部のフリーのジャーナリストではなく編集スタッフによる執筆が主流である点。
これがCGの伝統だが、強みであり同時に難しさでもあると想像する。老舗を引き継ぐ社長には伝統の遵守と改革というテーマがいつも目の前にぶら下げられている。CGも同じで小林さんの匂い、つまりCGらしさを私も探すが、同時に今を求めてページをめくる。
現在のCGを率いるのは渡辺慎太郎氏。ル・ボランからCGに移り、一時期、フリーを経て2013年、小林さんから数えて7代目の編集長に就任した。1966年生まれ。「自動車を書く人々」がもっとも混み合っている唯一の世代の全天候型といえる。
全天候型と思うのは、彼は編集長であり編集者であり上記の通り、CG専属の自動車の書き手であるから。いや、これだけではない。自動車を書くことに強いこだわりを持ち、そのこだわりを具現化するかのような面白い原稿を記すからである。
ちなみに彼を渡辺さんと呼ぶヒトは少ない。自動車業界でシンタロー、もしくはシンタローさん、時にシンちゃんと呼ばれている。シンちゃんはクレヨンしんちゃんを思い出す。合わない。貧相な発想かも知れないが、シンタローさんだと浴衣を着た若旦那を想い浮かべてしまう。
彼は私が寄稿するCGのコラムの担当編集者、それでシンタローと呼んでいる。前述の、書くことへの自身のこだわりは書かせることへのこだわりでもある。私にとっては数少ない盟友と思える担当編集者、それが彼だ。
企画意図の大枠や大筋を決め、外堀を固めるのが編集者の仕事だが、それは時に書き手にとっては絵に描いた餅、言うのは易し、マス目を埋める作業と乖離することがある。
的確な言葉が浮かなばいこともあれば、書かずに行間を読み取ってもらうことで幻の1行を作った方がいいこともある。そういうひとつひとつの悩みを共に考え、丁寧に対応していくのが慎太郎だが、それはやっぱり彼自身が〈自動車を書く人〉だからだと思う。
Shintaro Watanabe
1966年東京生まれ。米国の大学を卒業後、1989年に『ルボラン』の編集者として自動車メディアの世界へ。1998年に『CAR GRAPHIC』に移籍するが2003年に離職し、フリーの編集者/執筆者として活動。2013年に編集長として『CAR GRAPHIC』に復帰した。
1966年東京生まれ。米国の大学を卒業後、1989年に『ルボラン』の編集者として自動車メディアの世界へ。1998年に『CAR GRAPHIC』に移籍するが2003年に離職し、フリーの編集者/執筆者として活動。2013年に編集長として『CAR GRAPHIC』に復帰した。
「クルマを好きになったのは今の仕事に就いてから。後発。生まれ持ってのエンスージアストの書き手には太刀打ち出来ないから」、こういう言い方で自分の書くことへのこだわりを本人は表現する。
彼は経験も自動車の知識も膨大、メルセデス博士の異名を取るからこの言葉を真に受けることは難しい。 しかし、彼が自動車を書くことに、他のヒトとは異なるアプローチを意識的に試みようとしていることは確か。それは老舗の土台や柱を変えずに内装だけ時代に合わせてリフォームしたい、そんな狙いもあると思う。
「アンダーステアという言葉を使わずにアンダーステアを表現したい」、これが彼の目指す自動車を書くということ、立ち位置である。私はこのフレーズを聞いたとき、深い感銘を受けた。
絵画は色や光を、彫刻はカタチを、音楽は旋律を言語の姿を持たないコトバとして発し、見る者聞く者に読み解かれることを待っている。自動車のアンダーステアという挙動もコトバ。自分の言葉でクルマが発するコトバを読み取りたいと彼は言いたかったのだと思う。
クルマを 読み取ること、いや、感じ取るのは彼の場合「自分」。
「矢のように走る」「脱兎のごとく」「モダーン」はじめ小林彰太郎氏時代から受け継がれる伝統の言い回しに加えて、「たたらを踏む」「人馬一体感」「ラクシュリー」などCGには独特の言い方がある。
書き手自身を表現するのは筆者、エディター、最大の私的表現は「私」「僕」止まりだが、慎太郎は「自分」と記す。彼が記す「自分」は、日頃、彼が話し言葉で使う「俺」に限りなく近い「自分」のように感じられる。
俺に限りなく近い自分は、不特定多数に向ける匿名の書き手ではなく、渡辺慎太郎というひとりの人間。彼は無名の発信者であろうとしない。それは、自動車の発するコトバは受け取る人間によってその解釈はさまざまであり、誰がどんなふうに伝えるか、そこに意味があると考えているから。
それで自分らしさにこだわるのだろう。彼の原稿は署名を見ずとも一目でそれとわかるものだ。自動車を書き手のフィルターを素通りする情報だけで捉えたとき、自動車雑誌の役目は終わることを肝に命じている、そんな印象を受ける。
一方、たとえばポルシェを書くとき、彼は無機質な発信者となる。自分という俺は影を潜め淡々とポルシェに語らせる。ペラペラ喋らず寡黙というポルシェの体質に寄り添うのである。
こういうことが出来るのは自動車をよく知り、書く技量を持っているからだが、書くという作業に落とし込むときは、戦略的とも感じられる細かなこだわりも見え隠れする。
たとえば語尾に、敬体(ですます)を常体(〜だ/〜である)に混ぜる手法を取るが、〈詰め〉を〈抜く〉効果は高い。ハイスピードの興奮を冷まし、ドラマチックな表現が多くなりがちな〈自動車を書くこと〉に水を差す。
私が彼の原稿の中でもっとも好きなのはしかし、音の表現である。「クルマを伝えるなかで難しいのはメカニズムではなくて音と匂い」と彼は言う。音という自動車の重要なファクターは轟音とか低音、金属音、くぐもった音、スポーツカーのサウンド、幾つもの表現が可能だが、音そのものを文字に置き換えることに彼は心を砕く。
『(中略)。ギブリは「ファン!」と乾いたエクゾーストノートをそこそこの音量で響かせた後、今度は「ボボボ」とやや湿った音に変わってアイドリング状態に入る。スロットルレスポンスがよくて3ℓV6ツインターボは本当に軽々と高回転まで回るから、空ぶかしをすると右足の動きに合わせて「ファンファン」と応えてくれる。』(CG2015年11月号より一部抜粋)
カギかっこに入った「ファン!」と「ファンファン」、私はこの表記を見たとき、音に付けられた〝!〟の効果以上に、カタカナの〝フ〟という、自動車のサウンドを表するそれとして意外な感じを受ける文字に驚いた。
ファンファン。書き手に取ってはこう聞こえたから記したことに過ぎなくても、読み手の目に飛び込む瞬間、別の感じを引き込むことがある、それを教えられた。
ホンホンだったらこれもまた異なる感じを受けていたと思う。それでももしこういう音でなかったら、彼は記さなかったのではないか。〈自動車を書く人〉は〝フ〟の文字や〝ファン〟の組み合わせが、紙の上に踊る効果を感じ取ったのだと思う。
ネットの無料情報の発信によって自動車雑誌は難しい時代を迎えている。難しいのは自動車自身でもある。それでも私は〈書き物としての自動車〉は残り続けて欲しいと思う。
冷蔵庫を写真におさめたいと思う人はあまり見掛けないが、かっこいい自動車を見たら撮りたいと思う人はたくさんいるはず。掃除機の音に胸をときめかす人に会ったことはないが、自動車が奏でるサウンドはしばしば人の心を打つ。
自動車のことを読みたいと思うのは、その魅力に触れたいから。そういう魅力を伝え続けたいと奮闘するのが老舗を継いだ7代目渡辺慎太郎だ。
継続は文化。自動車大国であるニホンに継続する自動車雑誌がなかったら情けない。それで私は今年創刊55周年を迎えた老舗自動車雑誌と編集長にエールを送る。
頑張れ、編集長!
頑張れ、自動車雑誌!
彼は経験も自動車の知識も膨大、メルセデス博士の異名を取るからこの言葉を真に受けることは難しい。 しかし、彼が自動車を書くことに、他のヒトとは異なるアプローチを意識的に試みようとしていることは確か。それは老舗の土台や柱を変えずに内装だけ時代に合わせてリフォームしたい、そんな狙いもあると思う。
「アンダーステアという言葉を使わずにアンダーステアを表現したい」、これが彼の目指す自動車を書くということ、立ち位置である。私はこのフレーズを聞いたとき、深い感銘を受けた。
絵画は色や光を、彫刻はカタチを、音楽は旋律を言語の姿を持たないコトバとして発し、見る者聞く者に読み解かれることを待っている。自動車のアンダーステアという挙動もコトバ。自分の言葉でクルマが発するコトバを読み取りたいと彼は言いたかったのだと思う。
クルマを 読み取ること、いや、感じ取るのは彼の場合「自分」。
「矢のように走る」「脱兎のごとく」「モダーン」はじめ小林彰太郎氏時代から受け継がれる伝統の言い回しに加えて、「たたらを踏む」「人馬一体感」「ラクシュリー」などCGには独特の言い方がある。
書き手自身を表現するのは筆者、エディター、最大の私的表現は「私」「僕」止まりだが、慎太郎は「自分」と記す。彼が記す「自分」は、日頃、彼が話し言葉で使う「俺」に限りなく近い「自分」のように感じられる。
俺に限りなく近い自分は、不特定多数に向ける匿名の書き手ではなく、渡辺慎太郎というひとりの人間。彼は無名の発信者であろうとしない。それは、自動車の発するコトバは受け取る人間によってその解釈はさまざまであり、誰がどんなふうに伝えるか、そこに意味があると考えているから。
それで自分らしさにこだわるのだろう。彼の原稿は署名を見ずとも一目でそれとわかるものだ。自動車を書き手のフィルターを素通りする情報だけで捉えたとき、自動車雑誌の役目は終わることを肝に命じている、そんな印象を受ける。
一方、たとえばポルシェを書くとき、彼は無機質な発信者となる。自分という俺は影を潜め淡々とポルシェに語らせる。ペラペラ喋らず寡黙というポルシェの体質に寄り添うのである。
こういうことが出来るのは自動車をよく知り、書く技量を持っているからだが、書くという作業に落とし込むときは、戦略的とも感じられる細かなこだわりも見え隠れする。
たとえば語尾に、敬体(ですます)を常体(〜だ/〜である)に混ぜる手法を取るが、〈詰め〉を〈抜く〉効果は高い。ハイスピードの興奮を冷まし、ドラマチックな表現が多くなりがちな〈自動車を書くこと〉に水を差す。
私が彼の原稿の中でもっとも好きなのはしかし、音の表現である。「クルマを伝えるなかで難しいのはメカニズムではなくて音と匂い」と彼は言う。音という自動車の重要なファクターは轟音とか低音、金属音、くぐもった音、スポーツカーのサウンド、幾つもの表現が可能だが、音そのものを文字に置き換えることに彼は心を砕く。
『(中略)。ギブリは「ファン!」と乾いたエクゾーストノートをそこそこの音量で響かせた後、今度は「ボボボ」とやや湿った音に変わってアイドリング状態に入る。スロットルレスポンスがよくて3ℓV6ツインターボは本当に軽々と高回転まで回るから、空ぶかしをすると右足の動きに合わせて「ファンファン」と応えてくれる。』(CG2015年11月号より一部抜粋)
カギかっこに入った「ファン!」と「ファンファン」、私はこの表記を見たとき、音に付けられた〝!〟の効果以上に、カタカナの〝フ〟という、自動車のサウンドを表するそれとして意外な感じを受ける文字に驚いた。
ファンファン。書き手に取ってはこう聞こえたから記したことに過ぎなくても、読み手の目に飛び込む瞬間、別の感じを引き込むことがある、それを教えられた。
ホンホンだったらこれもまた異なる感じを受けていたと思う。それでももしこういう音でなかったら、彼は記さなかったのではないか。〈自動車を書く人〉は〝フ〟の文字や〝ファン〟の組み合わせが、紙の上に踊る効果を感じ取ったのだと思う。
ネットの無料情報の発信によって自動車雑誌は難しい時代を迎えている。難しいのは自動車自身でもある。それでも私は〈書き物としての自動車〉は残り続けて欲しいと思う。
冷蔵庫を写真におさめたいと思う人はあまり見掛けないが、かっこいい自動車を見たら撮りたいと思う人はたくさんいるはず。掃除機の音に胸をときめかす人に会ったことはないが、自動車が奏でるサウンドはしばしば人の心を打つ。
自動車のことを読みたいと思うのは、その魅力に触れたいから。そういう魅力を伝え続けたいと奮闘するのが老舗を継いだ7代目渡辺慎太郎だ。
継続は文化。自動車大国であるニホンに継続する自動車雑誌がなかったら情けない。それで私は今年創刊55周年を迎えた老舗自動車雑誌と編集長にエールを送る。
頑張れ、編集長!
頑張れ、自動車雑誌!
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text:松本 葉/Yo Matsumoto
自動車雑誌『NAVI』の編集者、カーグラフィックTVのキャスターを経て1990年、トリノに渡り、その後2000年より南仏在住。自動車雑誌を中心に執筆を続ける。著書に『愛しのティーナ』(新潮社)、『踊るイタリア語 喋るイタリア人』(NHK出版)、『どこにいたってフツウの生活』(二玄社)ほか、『フェラーリエンサイクロペディア』(二玄社)など翻訳を行う。
text:松本 葉/Yo Matsumoto
自動車雑誌『NAVI』の編集者、カーグラフィックTVのキャスターを経て1990年、トリノに渡り、その後2000年より南仏在住。自動車雑誌を中心に執筆を続ける。著書に『愛しのティーナ』(新潮社)、『踊るイタリア語 喋るイタリア人』(NHK出版)、『どこにいたってフツウの生活』(二玄社)ほか、『フェラーリエンサイクロペディア』(二玄社)など翻訳を行う。