松本 葉の自動車を書く人々 第5回 斎藤浩之
更新日:2024.09.09
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私はこれまでふたりの怪人と出会ったことがある。どちらも仕事を通して知り合った。ひとりはサカモトさん。80年代後半、勤務していた自動車雑誌に寄稿した作家に紹介された。作家はのっけから「怪人を紹介したい」と言い、彼に何か書いてもらうと面白いとこう続けた。
text:松本葉 [aheadアーカイブス vol.174 2017年6月号]
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松本 葉の自動車を書く人々 第5回 斎藤浩之
■Hiroyuki Saito
1962年、奈良県に生まれる。宮城県育ち。就職を機に上京。以来、所沢ICにほど近いという理由で、清瀬市に住み続ける。多数の自動車雑誌を経て現在は『ENGINE』(新潮社)の副編集長を務める。知る人ぞ知る自動車業界の“怪人”である。
「でも怪人だから、キミに彼の話がわかるかどうか。それとね、見た目も怪人」
サカモトさんは背丈が2メートルくらいある恰幅のいい体格、初対面でその体つきに圧倒されたが、加えて大きな声で笑い、大きな声で喋り、大きな口でむしゃむしゃ食する。彼の話は宇宙に飛び、どことかの僻地に向かい、そうかと思うと太陽系の話になって、突然〝たまプラーザの生態学〟に行き着く。
気づくと新車を語っているが、それがいつの間にか銀河系を走っているのである。彼は物凄い量の知識と想像力を持った人、デッカい体はその膨大な知識と果てしない想像力で出来ているようだった。いや、膨れ上がっているようだった。
サカモトさんを『怪人と呼ばれた男』とするなら、今回、紹介する斎藤浩之氏は私が『怪人と呼ぶ男』である。
*
現在、自動車雑誌『ENGINE』(新潮社)の副編集長を務める斎藤氏は自動車ジャーナリズムの世界では超のつく有名人。シソというのが彼のあだ名。音楽家であり自動車エンスージアストとしても知られる松任谷正隆氏が彼に会ったとき、「キミ、顔が始祖鳥に似ているね」、こう言って始まったことと聞く。
後輩は尊敬を込めてシソさんと呼ぶ。先輩は愛情を込めてシソ坊と呼ぶ。30年前、同じ出版社で同期として知り合った私は親しみを込めてシソと呼んでいる。だから今日は彼のことをシソと記そうと思う。
シソの最初の就職先は自動車雑誌『CAR GRAPHIC』(当時は二玄社、現在はカーグラフィック社)、その後、同じ出版社が刊行した『NAVI』に移り、ここから本人いわく〝ワープロを抱えた渡り鳥〟生活が始まった。
現在、『ENGINE』で連載中の『本誌サイトーの「クルマなくして我が人生なし!」』の第1回【2016年6月号】によれば『CAR GRAPHIC』と『NAVI』で計7年にわたって『この世界で生きていくためのあれやこれやを学ばせてもらった』のち、シソは『カーマガジン』に移り、『オート・エクスプレス』の立ち上げにかかわり、その後はフリーとして『カーマガジン』『スクーデリア』『くるまにあ』『Car EX』で仕事をした。
それから再び『カーマガジン』に戻り、『オートカー・ジャパン』の立ち上げに参加、この雑誌の継続の目処が立ったところで現在の『ENGINE』へ。
『クルマを走らせて、その間じゅうそのクルマのことを考え続けて、クルマ拭いてホイール磨いて、写真を撮ってもらったら、走って帰って。帰ったら帰ったで、ページ構成にウンウン唸って時間が過ぎて、気づいてみればもう〆切。あれもこれも終わってないぞぉ〜、とあたふたあたふた。もうカチカチ山である。やってることが30年前と何も変わっていない……』
こうして暮らしてきたシソの30年はしかし、私のそれとは全く違う。彼は30年の間に星の数ほどのクルマに乗り、1台1台の乗車時間は果てしなく長く、乗った時間に得た印象を噛みしめるようにクルマと向き合って来た。自動車を書いて来たのである。
『書いた原稿が褒め過ぎだったとか、ちょっと厳し過ぎたかと反省することはあるけれど、その判断を翻したくなるようなことは滅多にない。努めて正直に振り返ってみても、この30年で1台か2台あるだけだ』 ここまでの<自動車を書く人>になった。
仕事柄、私の回りには自動車を書く人がたくさんいる。しかし、私の知る書く人はみな、ご飯を食べ、休息を取り、バカンスに出掛け、友達とだべったり飲んだりする。しかし、シソにはそういうクルマ以外の時間が感じられない。
私のイメージではシソはクルマの中でパンを齧ってそれを食事として、ついでに車内で着替える。眠りながら自動車の夢を見て、休みの日はサービスエリアでそこに停まるクルマを観察する。これを持って休暇とする。
幼い頃は虫を追い掛けることが好きだったそうだが、今はオーディオが趣味。シソはオーディオの分野でも深い知識を持つ、知る人ぞ知るオーディオ・マニアなのだ。愛妻家でありよき父親。
成人したふたりの子供をとてもかわいがっている。それでも−。シソを創造した神様が彼に許したクルマ以外への愛情はこの3つしかなくて、食も健康も着飾る楽しみも忘れ去られている、そう思うのである。
シソの肉体年齢は実年齢プラス20年だそうで、年々、細くなっていく印象。昔の工務店のおじさんが帳簿をつける時に羽織るようなジャンパー(ピレリからもらった上等と後から聞いたが)を着て、2本の細い足を絡ませるようによろけながら前のめりに歩く。
風が吹く日には飛んで行くのではないかと案ずるし、雨が降る日には雨水と一緒に流れて行ってしまうのではないかと心配する。しかし。
シソはクルマの話を始めると豹変する。突然、エネルギッシュになって暴走するのである。シソの暴走を止められる人はこの世にいない。
「ねえ、プリウスってどう思う?」 最初にひとこと、こちらから振ればその後の質問は必要ない。シソ自身が聞き手の気持ちを汲んで自ら質問を発し、それに自ら答えるから。
車線変更のごとく、話題修正も自由自在、スピードも状況によって変化するし、こちらがわからないと察すると緊急回避、ブレーキング。終わりの時間が迫ってくるとターボがかかり、落とし所も見事だ。手放しパーキングでぴたっ。シソ・ワールドではすでに自動運転が実用化されている。
彼の話は走行中のエンジン音のごとく切れることがなく、時にクルマが喋っているような錯覚を起こす。クルマ怪人シソの登場である。
それではここでシソのライブをお送りする。
*
どうしてこれだけ自動車雑誌を渡り歩いたかって、それはね、声を掛けてもらったからですよ。なんで声が掛かったかっていえば、そりゃ、クルマバカだからでしょう。クルマバカっていうのは物心着いてからクルマのことを考えなかった日は1日もない、それがクルマバカだよ。
僕はオーディオも虫も好きなんだけど、そうね、虫を追いかけたりするときだけ、クルマのこと忘れてる。でも大人になると虫、追いかけないでしょう、ってことはずっとクルマのこと、考えてるってことになる。いやあ、いーひひひひひひひひひひひひ。驚く?
僕はフリーランスにもなりましたよ。でも結局、原稿、書くだけじゃなくてページ全体、見るのが好きなんだと思うのよ。だから編集の仕事が向いてる。
自動車雑誌は売れてないよ。それはウェブがただで見られるからね。日本の自動車雑誌が売れたのは日本の国策みたいに家庭を持った奴はクルマを持たないとみたいな、国全体が熱病にかかってどんどん大きなクルマに買い換えて行く、そういう時代には(自動車雑誌は)参考になるから売れたわけよ。でも今はそういう人いないから。
日本では自動車雑誌は読み物じゃなかった。読み物として定着するには後20〜30年かかるんじゃないかな。ほら、アメリカだと自動車の原稿でも文学賞とかあるでしょう、日本では読み物としての自動車が求められてない。それはさっ、結局、クルマに乗ってること自体を楽しめるヒトがいないってこと。
自動車雑誌の話はこれくらいでいいね。次はさ、やっぱり僕の評価軸とかも書いておいた方がいいね。ここまでの話、ちゃんと録音、出来てる?
僕の評価軸は自分の経験だけ。数えきれないほどのクルマに乗ったこと。それで出来上がっている。このクルマは正しい方向に進化しているかということも考えてるよ。でも最終的にそのクルマ1台を評価して結論を出す時には、やっぱり、乗って感じたこと、自分が思ったことだけが軸になる。
そのクルマがどういう人たちに向けて企画されていて、その企画通りの構成要素に沿ったものになっているかどうか。1台の統一感があって、その統一感というのはスポーティなものなのか、穏便なのか。それぞれのベストはどうか。
メモは取らない。今はタイヤのサイズだけ書くね。なぜって、メモを取るとそれに囚われちゃって、メモしたことを全部、書かなくちゃって思うようになって文章が長くなって、おまけに何を言いたいのか、わからなくなるし、外堀ばかり埋めて核心に迫れなくなるから。このクルマの核心は何なんだ、というところに迫ることが出来たら、勝ちなわけですよ。
絶対、しないことは海外の雑誌の記事を鵜呑みにすること。ほら、特に試乗、彼らの方が早く試乗するから、あれは読まないようにしてる。引きずられるといけないでしょ、そういうのはダメね。
僕の乗り方も言っといた方がいいな。細かなことだけどね、詳細知りたいっていう読者の方、いるかも知れないから書いた方がいいと思うんだよね。と言ってもね、詳細はないです。
僕は〝試乗の儀式〟とかまったくないんです。自動車のタイプによって靴を履き替えるっていう方、いらっしゃるでしょ。僕はそういうこと、ないね。なぜかって僕は靴を基本的に1足しか、持ってないからね。いーひひひひひひ。
必ず走る箱根のカーブもないね。車種によって道は変えるのよ。スポーツカーだったらやっぱり山道走るしね。山まで行けない時は首都高速、走る。これは書かない方がいいね。めちゃくちゃな運転するイメージになるでしょう。それはよくないよ。僕はそういうことはしないわけだから。後は自分の知らないことは書かない。絶対、書かない。知らないんだから書けないでしょう。
僕はクルマバカだけど、でもさ、『CAR GRAPHIC』に入ったときは驚いたよ。スタッフが『おはようございます』って編集部に入ってから『お疲れ様でした』って帰るまでずっとクルマの話をしてるんだよ。クルマに追い掛けられる夢を見たくらい。
『ENGINE』もそうだろうって思うでしょう。違うよ。エンジン編集部はずっと病気の話をしてる。血圧が高いとか老眼だとか耳鳴りがするとか物忘れが激しいとか痛風だとかまた病院に行ったとか。
『ENGINE』には僕がいるしね、今の体重は49キロくらいかな。毎月、減り続けてる。だからさ、オーディオも好きなんだけどオーディオ雑誌では働けない。使い物にならないよ。この体じゃ重い物は運べないから。自動車は向いてる。重いけど、運ばなくていいから、自分で動いてくれるからね。ほんとによかったよ。いーひひひひひひ、いーひひひひひひ。
原稿を書かなくても伝わるなら書かないよ。喋くりで済むなら喋くりの方がいいですよ。でも書かないと大勢の人には伝えることが出来ないでしょ。だから書く。自動車のことを伝えるために僕は生きてるわけだから。
<自動車のことを伝えるために僕は生きている> ここが落とし所ね。これでまとめるといいと思うよ。
話の量はどうだろう。このくらいでページ、埋まるんじゃないかな。大丈夫だね。これくらいのボリュームがあればいいと思うよ。多過ぎてもまとめるのが大変になって焦点がぼけるからね。
録音、止めてもう大丈夫。スイッチを止めてから大切なこと、言ったりしないよ。ほら、僕は自動車雑誌の編集者だから、そういうところには気を使うんですよ。でもこれはバックステージだから書かない方がいいね。読者の方には関係ないものね。読者の方のことを一番に考えることを忘れるといけないよ。
*
録音していた私のスマホの画面に自ら触れてスイッチをオフにすると、シソがやおら立ち上がる。突如、「じゃあ、また、また、またね」と言うや、浅く掛けた椅子からシソが細い腰を浮かせたのである。
「えっ、もう行くの?」と声を掛けたがそれには答えず、背中をちょっと丸めて2本の足をお箸のように絡めながら歩き始めた。コンクリートで固められた窓のない地下にいたにもかかわらず、シソはまるで横風に直進を妨げられるかのようによろよろと歩く。
「シソぉ、体、体だけには気をつけてね」、私が背中越しに叫ぶと、くるっと振り返り、いつもの、くしゃくしゃの笑顔で彼が手を振る。自動車怪人の振る手に握られていたのはもちろん、クルマの鍵である。
1962年、奈良県に生まれる。宮城県育ち。就職を機に上京。以来、所沢ICにほど近いという理由で、清瀬市に住み続ける。多数の自動車雑誌を経て現在は『ENGINE』(新潮社)の副編集長を務める。知る人ぞ知る自動車業界の“怪人”である。
「でも怪人だから、キミに彼の話がわかるかどうか。それとね、見た目も怪人」
サカモトさんは背丈が2メートルくらいある恰幅のいい体格、初対面でその体つきに圧倒されたが、加えて大きな声で笑い、大きな声で喋り、大きな口でむしゃむしゃ食する。彼の話は宇宙に飛び、どことかの僻地に向かい、そうかと思うと太陽系の話になって、突然〝たまプラーザの生態学〟に行き着く。
気づくと新車を語っているが、それがいつの間にか銀河系を走っているのである。彼は物凄い量の知識と想像力を持った人、デッカい体はその膨大な知識と果てしない想像力で出来ているようだった。いや、膨れ上がっているようだった。
サカモトさんを『怪人と呼ばれた男』とするなら、今回、紹介する斎藤浩之氏は私が『怪人と呼ぶ男』である。
*
現在、自動車雑誌『ENGINE』(新潮社)の副編集長を務める斎藤氏は自動車ジャーナリズムの世界では超のつく有名人。シソというのが彼のあだ名。音楽家であり自動車エンスージアストとしても知られる松任谷正隆氏が彼に会ったとき、「キミ、顔が始祖鳥に似ているね」、こう言って始まったことと聞く。
後輩は尊敬を込めてシソさんと呼ぶ。先輩は愛情を込めてシソ坊と呼ぶ。30年前、同じ出版社で同期として知り合った私は親しみを込めてシソと呼んでいる。だから今日は彼のことをシソと記そうと思う。
シソの最初の就職先は自動車雑誌『CAR GRAPHIC』(当時は二玄社、現在はカーグラフィック社)、その後、同じ出版社が刊行した『NAVI』に移り、ここから本人いわく〝ワープロを抱えた渡り鳥〟生活が始まった。
現在、『ENGINE』で連載中の『本誌サイトーの「クルマなくして我が人生なし!」』の第1回【2016年6月号】によれば『CAR GRAPHIC』と『NAVI』で計7年にわたって『この世界で生きていくためのあれやこれやを学ばせてもらった』のち、シソは『カーマガジン』に移り、『オート・エクスプレス』の立ち上げにかかわり、その後はフリーとして『カーマガジン』『スクーデリア』『くるまにあ』『Car EX』で仕事をした。
それから再び『カーマガジン』に戻り、『オートカー・ジャパン』の立ち上げに参加、この雑誌の継続の目処が立ったところで現在の『ENGINE』へ。
『クルマを走らせて、その間じゅうそのクルマのことを考え続けて、クルマ拭いてホイール磨いて、写真を撮ってもらったら、走って帰って。帰ったら帰ったで、ページ構成にウンウン唸って時間が過ぎて、気づいてみればもう〆切。あれもこれも終わってないぞぉ〜、とあたふたあたふた。もうカチカチ山である。やってることが30年前と何も変わっていない……』
こうして暮らしてきたシソの30年はしかし、私のそれとは全く違う。彼は30年の間に星の数ほどのクルマに乗り、1台1台の乗車時間は果てしなく長く、乗った時間に得た印象を噛みしめるようにクルマと向き合って来た。自動車を書いて来たのである。
『書いた原稿が褒め過ぎだったとか、ちょっと厳し過ぎたかと反省することはあるけれど、その判断を翻したくなるようなことは滅多にない。努めて正直に振り返ってみても、この30年で1台か2台あるだけだ』 ここまでの<自動車を書く人>になった。
仕事柄、私の回りには自動車を書く人がたくさんいる。しかし、私の知る書く人はみな、ご飯を食べ、休息を取り、バカンスに出掛け、友達とだべったり飲んだりする。しかし、シソにはそういうクルマ以外の時間が感じられない。
私のイメージではシソはクルマの中でパンを齧ってそれを食事として、ついでに車内で着替える。眠りながら自動車の夢を見て、休みの日はサービスエリアでそこに停まるクルマを観察する。これを持って休暇とする。
幼い頃は虫を追い掛けることが好きだったそうだが、今はオーディオが趣味。シソはオーディオの分野でも深い知識を持つ、知る人ぞ知るオーディオ・マニアなのだ。愛妻家でありよき父親。
成人したふたりの子供をとてもかわいがっている。それでも−。シソを創造した神様が彼に許したクルマ以外への愛情はこの3つしかなくて、食も健康も着飾る楽しみも忘れ去られている、そう思うのである。
シソの肉体年齢は実年齢プラス20年だそうで、年々、細くなっていく印象。昔の工務店のおじさんが帳簿をつける時に羽織るようなジャンパー(ピレリからもらった上等と後から聞いたが)を着て、2本の細い足を絡ませるようによろけながら前のめりに歩く。
風が吹く日には飛んで行くのではないかと案ずるし、雨が降る日には雨水と一緒に流れて行ってしまうのではないかと心配する。しかし。
シソはクルマの話を始めると豹変する。突然、エネルギッシュになって暴走するのである。シソの暴走を止められる人はこの世にいない。
「ねえ、プリウスってどう思う?」 最初にひとこと、こちらから振ればその後の質問は必要ない。シソ自身が聞き手の気持ちを汲んで自ら質問を発し、それに自ら答えるから。
車線変更のごとく、話題修正も自由自在、スピードも状況によって変化するし、こちらがわからないと察すると緊急回避、ブレーキング。終わりの時間が迫ってくるとターボがかかり、落とし所も見事だ。手放しパーキングでぴたっ。シソ・ワールドではすでに自動運転が実用化されている。
彼の話は走行中のエンジン音のごとく切れることがなく、時にクルマが喋っているような錯覚を起こす。クルマ怪人シソの登場である。
それではここでシソのライブをお送りする。
*
どうしてこれだけ自動車雑誌を渡り歩いたかって、それはね、声を掛けてもらったからですよ。なんで声が掛かったかっていえば、そりゃ、クルマバカだからでしょう。クルマバカっていうのは物心着いてからクルマのことを考えなかった日は1日もない、それがクルマバカだよ。
僕はオーディオも虫も好きなんだけど、そうね、虫を追いかけたりするときだけ、クルマのこと忘れてる。でも大人になると虫、追いかけないでしょう、ってことはずっとクルマのこと、考えてるってことになる。いやあ、いーひひひひひひひひひひひひ。驚く?
僕はフリーランスにもなりましたよ。でも結局、原稿、書くだけじゃなくてページ全体、見るのが好きなんだと思うのよ。だから編集の仕事が向いてる。
自動車雑誌は売れてないよ。それはウェブがただで見られるからね。日本の自動車雑誌が売れたのは日本の国策みたいに家庭を持った奴はクルマを持たないとみたいな、国全体が熱病にかかってどんどん大きなクルマに買い換えて行く、そういう時代には(自動車雑誌は)参考になるから売れたわけよ。でも今はそういう人いないから。
日本では自動車雑誌は読み物じゃなかった。読み物として定着するには後20〜30年かかるんじゃないかな。ほら、アメリカだと自動車の原稿でも文学賞とかあるでしょう、日本では読み物としての自動車が求められてない。それはさっ、結局、クルマに乗ってること自体を楽しめるヒトがいないってこと。
自動車雑誌の話はこれくらいでいいね。次はさ、やっぱり僕の評価軸とかも書いておいた方がいいね。ここまでの話、ちゃんと録音、出来てる?
僕の評価軸は自分の経験だけ。数えきれないほどのクルマに乗ったこと。それで出来上がっている。このクルマは正しい方向に進化しているかということも考えてるよ。でも最終的にそのクルマ1台を評価して結論を出す時には、やっぱり、乗って感じたこと、自分が思ったことだけが軸になる。
そのクルマがどういう人たちに向けて企画されていて、その企画通りの構成要素に沿ったものになっているかどうか。1台の統一感があって、その統一感というのはスポーティなものなのか、穏便なのか。それぞれのベストはどうか。
メモは取らない。今はタイヤのサイズだけ書くね。なぜって、メモを取るとそれに囚われちゃって、メモしたことを全部、書かなくちゃって思うようになって文章が長くなって、おまけに何を言いたいのか、わからなくなるし、外堀ばかり埋めて核心に迫れなくなるから。このクルマの核心は何なんだ、というところに迫ることが出来たら、勝ちなわけですよ。
絶対、しないことは海外の雑誌の記事を鵜呑みにすること。ほら、特に試乗、彼らの方が早く試乗するから、あれは読まないようにしてる。引きずられるといけないでしょ、そういうのはダメね。
僕の乗り方も言っといた方がいいな。細かなことだけどね、詳細知りたいっていう読者の方、いるかも知れないから書いた方がいいと思うんだよね。と言ってもね、詳細はないです。
僕は〝試乗の儀式〟とかまったくないんです。自動車のタイプによって靴を履き替えるっていう方、いらっしゃるでしょ。僕はそういうこと、ないね。なぜかって僕は靴を基本的に1足しか、持ってないからね。いーひひひひひひ。
必ず走る箱根のカーブもないね。車種によって道は変えるのよ。スポーツカーだったらやっぱり山道走るしね。山まで行けない時は首都高速、走る。これは書かない方がいいね。めちゃくちゃな運転するイメージになるでしょう。それはよくないよ。僕はそういうことはしないわけだから。後は自分の知らないことは書かない。絶対、書かない。知らないんだから書けないでしょう。
僕はクルマバカだけど、でもさ、『CAR GRAPHIC』に入ったときは驚いたよ。スタッフが『おはようございます』って編集部に入ってから『お疲れ様でした』って帰るまでずっとクルマの話をしてるんだよ。クルマに追い掛けられる夢を見たくらい。
『ENGINE』もそうだろうって思うでしょう。違うよ。エンジン編集部はずっと病気の話をしてる。血圧が高いとか老眼だとか耳鳴りがするとか物忘れが激しいとか痛風だとかまた病院に行ったとか。
『ENGINE』には僕がいるしね、今の体重は49キロくらいかな。毎月、減り続けてる。だからさ、オーディオも好きなんだけどオーディオ雑誌では働けない。使い物にならないよ。この体じゃ重い物は運べないから。自動車は向いてる。重いけど、運ばなくていいから、自分で動いてくれるからね。ほんとによかったよ。いーひひひひひひ、いーひひひひひひ。
原稿を書かなくても伝わるなら書かないよ。喋くりで済むなら喋くりの方がいいですよ。でも書かないと大勢の人には伝えることが出来ないでしょ。だから書く。自動車のことを伝えるために僕は生きてるわけだから。
<自動車のことを伝えるために僕は生きている> ここが落とし所ね。これでまとめるといいと思うよ。
話の量はどうだろう。このくらいでページ、埋まるんじゃないかな。大丈夫だね。これくらいのボリュームがあればいいと思うよ。多過ぎてもまとめるのが大変になって焦点がぼけるからね。
録音、止めてもう大丈夫。スイッチを止めてから大切なこと、言ったりしないよ。ほら、僕は自動車雑誌の編集者だから、そういうところには気を使うんですよ。でもこれはバックステージだから書かない方がいいね。読者の方には関係ないものね。読者の方のことを一番に考えることを忘れるといけないよ。
*
録音していた私のスマホの画面に自ら触れてスイッチをオフにすると、シソがやおら立ち上がる。突如、「じゃあ、また、また、またね」と言うや、浅く掛けた椅子からシソが細い腰を浮かせたのである。
「えっ、もう行くの?」と声を掛けたがそれには答えず、背中をちょっと丸めて2本の足をお箸のように絡めながら歩き始めた。コンクリートで固められた窓のない地下にいたにもかかわらず、シソはまるで横風に直進を妨げられるかのようによろよろと歩く。
「シソぉ、体、体だけには気をつけてね」、私が背中越しに叫ぶと、くるっと振り返り、いつもの、くしゃくしゃの笑顔で彼が手を振る。自動車怪人の振る手に握られていたのはもちろん、クルマの鍵である。
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text:松本 葉/Yo Matsumoto
自動車雑誌『NAVI』の編集者、カーグラフィックTVのキャスターを経て1990年、トリノに渡り、その後2000年より南仏在住。自動車雑誌を中心に執筆を続ける。著書に『愛しのティーナ』(新潮社)、『踊るイタリア語 喋るイタリア人』(NHK出版)、『どこにいたってフツウの生活』(二玄社)ほか、『フェラーリエンサイクロペディア』(二玄社)など翻訳を行う。
text:松本 葉/Yo Matsumoto
自動車雑誌『NAVI』の編集者、カーグラフィックTVのキャスターを経て1990年、トリノに渡り、その後2000年より南仏在住。自動車雑誌を中心に執筆を続ける。著書に『愛しのティーナ』(新潮社)、『踊るイタリア語 喋るイタリア人』(NHK出版)、『どこにいたってフツウの生活』(二玄社)ほか、『フェラーリエンサイクロペディア』(二玄社)など翻訳を行う。