おしゃべりなクルマたち Vol.55 ミモザの花の咲く頃に

アヘッド イラスト武政 諒

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ミモザの花咲く峠道の、そのてっぺんに立つバスの停留所に、娘の学校の先生の姿を見つけてブレーキを踏んだ。「お送りしますよ」と声を掛けると彼女が嬉しそうな声を出す。「助かるわぁ」。

text:松本 葉 イラスト:武政 諒 [aheadアーカイブス vol.124 2013年3月号]
Chapter
Vol.55 ミモザの花の咲く頃に

Vol.55 ミモザの花の咲く頃に

先生はイタリア人で、1月半ばにローマからやって来た。つまり、赴任したばかり。だからまだ、クルマに乗る環境が整っていないのだろうと、私は最初、こう考えていた。

クルマが走り出してすぐ、先生が言う。「バスの本数がこれだけ少ないとは聞いてなくて。ここ、田舎ですねえ」。いかにも。私も越して来た時はぎょっとしましたと言うと彼女が答えた。「やむを得ぬ事情でクルマを運転しない、そういう人間を送り込むところじゃないですね」。

先生はおそらく30代前半。姑の年齢ならともかく、この世代で免許を持たないイタリア人は珍しい。彼女の言い方には、自分が運転しないのは身体的な問題といった一般的に想像できる範囲以外の理由によるものだ、そんな思わせぶりな感じがあって大いに興味をひかれたが、ストレートに尋ねるのは控えた。

触れられたくない様子ではなかったが、ほとんど初対面だし、先生だし。私は渋滞をこれ幸いと、さまざまな話をしながらチャンスを窺った。いっきに親しくなって教えてもらう作戦。意外に早く落城をみた。

春に学校が予定しているマラソン大会の話が出たとき、ウチの娘は持久力はあるが、マラソンには向いていないと話すと、彼女が適性ってありますからねとこう言ったのだ。

「私なんか運動神経は発達しているし、集中力もあるんですけど、運転に適性がないって免許もらえなかったんですよ」。

ウチに戻ってダンナにこの話をすると、結構めずらしいタイプだなと言いながらも、それほど驚いた様子はない。イタリアではこういうことフツウにあるわけ? 私が食い下がると、一般的ではないけれど、初めて聞いたわけでもなくて、自分は少なくとも回りで3人、こういうヒトを知っていると彼が言った。

凶暴な性格とか極端な慌て者とか社会性に欠けるとか、そういう問題ではないことは明らかだった。にもかかわらず免許を取らせないほど運転に適していないとは具体的にどういうことなのか。「別に右に曲がる時に左にハンドルきるとか、そういうことじゃなくて、なんていうか、センスがないんだな。運転のセンスに欠ける」。

そういえば私の姉は教習所の卒業式で「あなたは運転しない方がいいですよ」と言われ、だったらどうして免許をくれるのだと怒っていた。姉の欠陥は全体を見回すことが出来ないことにあって、だからたとえば脇道から本道にいつまでたっても出られない。おそらく姉はイタリアだったら免許はもらえなかっただろう。

私は運転は免許さえ取れば誰でも出来ると思ってきた。すればするほど慣れて上手くなるのが運転。運転のセンスは運転してこそ磨かれる、と思ってきた。センスがないから免許がもらえないなんて考えたこともなかったなあ。

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text : 松本 葉/Yo Matsumoto
自動車雑誌『NAVI』の編集者、カーグラフィックTVのキャスターを経て1990年、トリノに渡り、その後2000年より南仏在住。自動車雑誌を中心に執筆を続ける。著書に『愛しのティーナ』(新潮社)、『踊るイタリア語 喋るイタリア人』(NHK出版)、『どこにいたってフツウの生活』(二玄社)ほか、『フェラーリエンサイクロペディア』(二玄社)など翻訳を行う。
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