オートザム クレフやルネッサ、キャバリエなど…日本メーカーの知る人ぞ知る車5選
更新日:2024.09.09
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日本の自動車メーカーからは数々の車種が販売されていますが、不人気車で終わったクルマも少なくありません。ここでは1990年代に販売された知る人ぞ知る5種を紹介します。傾向として見えるのは、多チャンネル化の弊害です。かつてカタログに載っていたこんな車種を、覚えていますか?
マツダ オートザム クレフ
※画像はマツダ クロノス
1980年代後半、1チャンネルのみだったマツダは、トヨタや日産のような多チャンネル戦略に打って出ました。
総合のマツダ店のほかに、高級なスポーツカーを扱うアンフィニ店(コスモ、RX-7など)、ヨーロッパイメージのユーノス店(ロードスターなど)、小型車・軽自動車メインのオートザム店(キャロルなど)、フォードブランド車のオートラマ店が設けられました。
1992年に発売されたオートザム クレフは、オートザム店の最上級車種として開発されたモデルです。
ベースとなったのは、マツダの基幹車種カペラの後継として販売されたマツダ クロノス。
エンジンは、V型6気筒の2.5Lと2.0L。ボディサイズは、全長4,670mm×全幅1,750mm×全高1,140mmで、3ナンバー登録となっていました。
クロノスは、クレフのほかに5ドアのアンフィニ MS-6、ユーノス500、マツダ テルスターなどの兄弟車がありました。
しかし、マツダの多チャンネル戦略そのものが失敗したうえに、クレフの個性的なデザインが災いとなり、1994年に生産終了となりました。
1980年代後半、1チャンネルのみだったマツダは、トヨタや日産のような多チャンネル戦略に打って出ました。
総合のマツダ店のほかに、高級なスポーツカーを扱うアンフィニ店(コスモ、RX-7など)、ヨーロッパイメージのユーノス店(ロードスターなど)、小型車・軽自動車メインのオートザム店(キャロルなど)、フォードブランド車のオートラマ店が設けられました。
1992年に発売されたオートザム クレフは、オートザム店の最上級車種として開発されたモデルです。
ベースとなったのは、マツダの基幹車種カペラの後継として販売されたマツダ クロノス。
エンジンは、V型6気筒の2.5Lと2.0L。ボディサイズは、全長4,670mm×全幅1,750mm×全高1,140mmで、3ナンバー登録となっていました。
クロノスは、クレフのほかに5ドアのアンフィニ MS-6、ユーノス500、マツダ テルスターなどの兄弟車がありました。
しかし、マツダの多チャンネル戦略そのものが失敗したうえに、クレフの個性的なデザインが災いとなり、1994年に生産終了となりました。
ホンダ ドマーニ (2代目)
ホンダもかつては3チャンネル(ベルノ、クリオ、プリモ)の展開をしていたため、主力車種をベースとした兄弟車がたくさんありました。
ドマーニは、1.6Lもしくは1.8Lエンジンを積むセダンで、シビックの高級車版という位置付けだったコンチェルトの後継として、1992年に初代が発売されました。ベースは、EG型のシビックフェリオです。
スポーティなイメージのシビックフェリオに対し、室内高を上げCピラーとリアウィンドウを立て気味にしてリアシートの居住性を改善。さらに運転席エアバッグをクラス初の全車標準装備とするなど、地味な見た目とは裏腹に意欲的なクルマでした。
しかし、1997年に発売された2代目は、ベースのEK型シビックフェリオの各部にメッキパーツを増やし、内装に木目調パネルを取り付けただけの、多チャンネル対策車になってしまいました。エンジンが、1.5Lと1.6Lとなったあたりも、シビックの兄弟車という印象を強くしていました。
結果、次期型モデルの発表もなく、2000年に製造終了となりました。
ドマーニは、1.6Lもしくは1.8Lエンジンを積むセダンで、シビックの高級車版という位置付けだったコンチェルトの後継として、1992年に初代が発売されました。ベースは、EG型のシビックフェリオです。
スポーティなイメージのシビックフェリオに対し、室内高を上げCピラーとリアウィンドウを立て気味にしてリアシートの居住性を改善。さらに運転席エアバッグをクラス初の全車標準装備とするなど、地味な見た目とは裏腹に意欲的なクルマでした。
しかし、1997年に発売された2代目は、ベースのEK型シビックフェリオの各部にメッキパーツを増やし、内装に木目調パネルを取り付けただけの、多チャンネル対策車になってしまいました。エンジンが、1.5Lと1.6Lとなったあたりも、シビックの兄弟車という印象を強くしていました。
結果、次期型モデルの発表もなく、2000年に製造終了となりました。
トヨタ キャバリエ
※画像はシボレー キャバリエ Z24
王者トヨタといえども、不人気車はあります。近年のトヨタに失敗作はあまりないように思われますが、1996年1月に発売されたキャバリエは、明らかな失敗作でした。
といっても、これはトヨタのせいではありません。当時、日米自動車摩擦はなかなか改善されず、その対策としてトヨタでは摩擦解消の一助となるように、GMのシボレーが製造・販売するキャバリエを、トヨタのモデルとして輸入、販売しました。いわばOEM供給です。
でも、そこはトヨタ。ハンドルを右側に移すだけでなく、ウインカーやワイパーも日本車と同じ配置に変更。シート位置やペダルも調整され、日本人でも違和感なく乗れるようにしました。
ボディは、4ドアセダンと2ドアクーペ。全長4,595mm×全幅1,735mm×全高1,395mm(4ドアセダン)というアメ車としては小型の車体に、直列4気筒2.4Lエンジンが搭載されました。
価格は、3ナンバーサイズながらセダンが181.0万円から。しかし、残念ながら人気となることはありませんでした。
要因は、正規のトヨタ車と並んで、ディーラーで販売されていたことが考えられます。販売はトヨタ店が担いましたので、隣には同じ価格帯のセダン(カリーナ)が並んでいるわけです。
そこで2台を比較すれば、細部のクオリティや維持費(カリーナは1.8L)、さらに信頼性といった事柄によって、トヨタの正規モデルを選ぶことになり、キャバリエにはよほどのアメ車好きでなければ食指が動かないのは当然でしょう。
1997年には、アメ車好きの所ジョージ氏がプロデュースしたトコロキャバリエも追加され、同様の趣味の人に歓迎されましたが、キャバリエ全体の販売数はなかなか延びず、当初5年間予定されていた販売計画が前倒しされ、2000年に販売を終了しました。
王者トヨタといえども、不人気車はあります。近年のトヨタに失敗作はあまりないように思われますが、1996年1月に発売されたキャバリエは、明らかな失敗作でした。
といっても、これはトヨタのせいではありません。当時、日米自動車摩擦はなかなか改善されず、その対策としてトヨタでは摩擦解消の一助となるように、GMのシボレーが製造・販売するキャバリエを、トヨタのモデルとして輸入、販売しました。いわばOEM供給です。
でも、そこはトヨタ。ハンドルを右側に移すだけでなく、ウインカーやワイパーも日本車と同じ配置に変更。シート位置やペダルも調整され、日本人でも違和感なく乗れるようにしました。
ボディは、4ドアセダンと2ドアクーペ。全長4,595mm×全幅1,735mm×全高1,395mm(4ドアセダン)というアメ車としては小型の車体に、直列4気筒2.4Lエンジンが搭載されました。
価格は、3ナンバーサイズながらセダンが181.0万円から。しかし、残念ながら人気となることはありませんでした。
要因は、正規のトヨタ車と並んで、ディーラーで販売されていたことが考えられます。販売はトヨタ店が担いましたので、隣には同じ価格帯のセダン(カリーナ)が並んでいるわけです。
そこで2台を比較すれば、細部のクオリティや維持費(カリーナは1.8L)、さらに信頼性といった事柄によって、トヨタの正規モデルを選ぶことになり、キャバリエにはよほどのアメ車好きでなければ食指が動かないのは当然でしょう。
1997年には、アメ車好きの所ジョージ氏がプロデュースしたトコロキャバリエも追加され、同様の趣味の人に歓迎されましたが、キャバリエ全体の販売数はなかなか延びず、当初5年間予定されていた販売計画が前倒しされ、2000年に販売を終了しました。
日産 ルネッサ
1980年代後半から90年代にかて日本国内にRVブームが起こり、日常に使う車の価値観が一転しました。そこで、1990年代中頃から、RVとセダンの間にあるような新しい乗用車像の模索がはじまりました。そんななかで1997年に日産が発売したモデルが、ルネッサです。
コンセプトは「セダン、ステーションワゴン、ミニバンの真ん中に位置するMAV(マルチ・アメニティ・ビークル)」というもので、ブルーバードやプリメーラなどのFFのシャシーがベースになっています。
ボディサイズは、全長4,680mm×全幅1.765mm×全高1,625mm(4WDは1,640mm)で、3ナンバー登録。エンジンは、直列4気筒 2.0LのNAとターボ、さらに2.4Lもラインナップされました。
車内は5人乗りのステーションワゴンのような感覚で、ATのシフトレバーはコラムシフト。最大の特徴は57cmもスライドするリアシートで、大きな子どもがいても使えるファミリーカーとして宣伝もされましたが、ボディそのものは北米で電気自動車として販売されたアルトラEVがベース。
バッテリーを収めるため、2重構造のフロアを採用していたため、室内高はそれほど良い数値ではありませんでした。
登場時は大々的なPRがされたものの、人気は上がらず、2001年に生産終了となりました。
コンセプトは「セダン、ステーションワゴン、ミニバンの真ん中に位置するMAV(マルチ・アメニティ・ビークル)」というもので、ブルーバードやプリメーラなどのFFのシャシーがベースになっています。
ボディサイズは、全長4,680mm×全幅1.765mm×全高1,625mm(4WDは1,640mm)で、3ナンバー登録。エンジンは、直列4気筒 2.0LのNAとターボ、さらに2.4Lもラインナップされました。
車内は5人乗りのステーションワゴンのような感覚で、ATのシフトレバーはコラムシフト。最大の特徴は57cmもスライドするリアシートで、大きな子どもがいても使えるファミリーカーとして宣伝もされましたが、ボディそのものは北米で電気自動車として販売されたアルトラEVがベース。
バッテリーを収めるため、2重構造のフロアを採用していたため、室内高はそれほど良い数値ではありませんでした。
登場時は大々的なPRがされたものの、人気は上がらず、2001年に生産終了となりました。
スズキ X-90
メーカーのコンセプトモデルは、さまざまな制約を受けない分、個性的なクルマになることが多くあります。そんな個性あふれるコンセプトモデルがモーターショーに出品され、メーカーの予想に反して販売を望む声が多ければ、少しの改良で、そのまま販売されたのがバブル時代でした。
スズキのX-90もそんなクルマです。1995年の東京モーターショーに参考出品された2人乗りのオフロード車で、初代エスクードをベースに開発されました。エンジンは直列4気筒1.6L、パートタイム4WDで5速MTと4速ATが選択できました。
ガラス製ルーフは、左右2分割で脱着できるTバールーフ。クロカン4WDとスポーツカーの融合を狙ったデザインでしたが、北米にも輸出されました。
日本では月間500台の販売目標が立てられましたが、エスクードよりも30万円安い価格設定(136.0~149.8万円)にも関わらず、2年間で約1,000台が販売されただけで1997年に販売終了となりました。
スズキのX-90もそんなクルマです。1995年の東京モーターショーに参考出品された2人乗りのオフロード車で、初代エスクードをベースに開発されました。エンジンは直列4気筒1.6L、パートタイム4WDで5速MTと4速ATが選択できました。
ガラス製ルーフは、左右2分割で脱着できるTバールーフ。クロカン4WDとスポーツカーの融合を狙ったデザインでしたが、北米にも輸出されました。
日本では月間500台の販売目標が立てられましたが、エスクードよりも30万円安い価格設定(136.0~149.8万円)にも関わらず、2年間で約1,000台が販売されただけで1997年に販売終了となりました。