日本の激レア車7選!ローレルやソアラも含む、希少な限定車たち
更新日:2024.09.09
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日本車の歴史のなかには、あっと驚くような希少なモデルが存在します。街で見かけたらラッキーかもしれない、激レア車種を紹介しましょう。
日本の激レア車1:トヨタ オリジン
トヨタ自動車生産累計1億台達成の記念車として、2000年11月に1,000台限定で発売されたモデルが、オリジンです。
小さな高級車、初代プログレをベースとし、観音開きを特徴とするドアをはじめ随所に初代トヨペット クラウンのイメージをまとっています。
このオリジンの製造を担ったのは、トヨタのフラグシップカー、センチュリーの生産ラインに従事していた熟練スタッフです。ボディは手作業によって製作されたもので、機械では出しにくい優美な曲線ラインを見事に再現しています。
内装は、プログレと一緒ですが、素材と工作精度にこだわって仕上げられていました。その内容は、トヨタ内では高品質なものを採用していたプログレものよりも高級な本木目材を厳選したり、本革シートは縫い目のピッチを変更したりと、記念モデルとして発売する高級車にふさわしいものです。
これらコストのかさむ製造行程により、車両価本体価格は700万円と当時のセルシオよりも高価な設定でした。
小さな高級車、初代プログレをベースとし、観音開きを特徴とするドアをはじめ随所に初代トヨペット クラウンのイメージをまとっています。
このオリジンの製造を担ったのは、トヨタのフラグシップカー、センチュリーの生産ラインに従事していた熟練スタッフです。ボディは手作業によって製作されたもので、機械では出しにくい優美な曲線ラインを見事に再現しています。
内装は、プログレと一緒ですが、素材と工作精度にこだわって仕上げられていました。その内容は、トヨタ内では高品質なものを採用していたプログレものよりも高級な本木目材を厳選したり、本革シートは縫い目のピッチを変更したりと、記念モデルとして発売する高級車にふさわしいものです。
これらコストのかさむ製造行程により、車両価本体価格は700万円と当時のセルシオよりも高価な設定でした。
日本の激レア車2:トヨタ クラシック
※写真はトヨタAA型乗用車 レプリカ
クラシックは、トヨタの創業と初の純国産車トヨダAA型の市販(1936年)から60周年を迎えた記念車として、当時トヨタが進めていたTECS(トヨタメーカー完成特装車シリーズ)の1台として、1996年に限定100台で発売されたモデルです。
生産を担当したのは、トヨタや日野自動車の特装車事業を手掛けるトヨタ テクノクラフト。モチーフとなったのは、AA型で、流麗なボディは、トヨタテクノクラフトの職人の手によるものでした。
ちなみに、AA型はもともと製造台数が少なかったことと、戦争による被災や戦中戦後の酷使の結果、1950年代までにほぼ喪失されたものとみられている希少車です。
クラシックのシャシーが、5代目ハイラックスのダブルキャブ仕様であることはあまり知られておりません。理由は、AA型とサイズが似通っているからというもの。搭載エンジンもハイラックスの2.0L直列4気筒でした。
内装は、赤い革シートに木目調インテリアを組み合わせ、ステアリングにはエアバックのないウッドの3本スポークを採用するなど、こだわりのあるものでした。
その結果、クラシックの販売価格は、製造工程の多くが手作業であったこともあり、800万円にも達しました。
クラシック発売の2年後、トヨタテクノクラフトは、廉価モデルとして改造範囲を減らしたTCピックアップを発売。こちらも、希少なモデルとなっています。
クラシックは、トヨタの創業と初の純国産車トヨダAA型の市販(1936年)から60周年を迎えた記念車として、当時トヨタが進めていたTECS(トヨタメーカー完成特装車シリーズ)の1台として、1996年に限定100台で発売されたモデルです。
生産を担当したのは、トヨタや日野自動車の特装車事業を手掛けるトヨタ テクノクラフト。モチーフとなったのは、AA型で、流麗なボディは、トヨタテクノクラフトの職人の手によるものでした。
ちなみに、AA型はもともと製造台数が少なかったことと、戦争による被災や戦中戦後の酷使の結果、1950年代までにほぼ喪失されたものとみられている希少車です。
クラシックのシャシーが、5代目ハイラックスのダブルキャブ仕様であることはあまり知られておりません。理由は、AA型とサイズが似通っているからというもの。搭載エンジンもハイラックスの2.0L直列4気筒でした。
内装は、赤い革シートに木目調インテリアを組み合わせ、ステアリングにはエアバックのないウッドの3本スポークを採用するなど、こだわりのあるものでした。
その結果、クラシックの販売価格は、製造工程の多くが手作業であったこともあり、800万円にも達しました。
クラシック発売の2年後、トヨタテクノクラフトは、廉価モデルとして改造範囲を減らしたTCピックアップを発売。こちらも、希少なモデルとなっています。
日本の激レア車3:トヨタ コロナ スーパールーミー
いまは無きトヨタの中型車コロナ。そのコロナをストレッチした特別限定車がコロナ スーパールーミーです。
これはトヨペット店累計販売台数1,000万台を記念し、1990年に500台限定で生産・販売されたもの。なんの変哲もないファミリーカーだったコロナをベースに、ボディを210mmもストレッチしています。
時はバブル景気真っ只中、だからこそこうした商品企画がウケて実際に販売されることになったのでしょうか。
ちなみに、この9代目コロナはパワーシートが装備されるグレードもあるなど、好景気を反映した豪華な仕様も用意されていました。
いまでこそチンプンカンプンなモデルですが、当時としてはこれでもユーザーの受け入れ体制は、整っていたのかもしれません。真面目一直線のトヨタらしかぬコロナ スーパールーミー。デザインはさておき、ちょっとした愛嬌を感じさせてくれます。
これはトヨペット店累計販売台数1,000万台を記念し、1990年に500台限定で生産・販売されたもの。なんの変哲もないファミリーカーだったコロナをベースに、ボディを210mmもストレッチしています。
時はバブル景気真っ只中、だからこそこうした商品企画がウケて実際に販売されることになったのでしょうか。
ちなみに、この9代目コロナはパワーシートが装備されるグレードもあるなど、好景気を反映した豪華な仕様も用意されていました。
いまでこそチンプンカンプンなモデルですが、当時としてはこれでもユーザーの受け入れ体制は、整っていたのかもしれません。真面目一直線のトヨタらしかぬコロナ スーパールーミー。デザインはさておき、ちょっとした愛嬌を感じさせてくれます。
日本の激レア車4:トヨタ ソアラ エアロキャビン
日本車の高級車シーンを塗り替えたソアラ。そんなソアラの2代目に、500台限定で用意されたモデルがエアロキャビンです。
1990年の発売で、その名の通り、屋根の一部が電動で格納されるメタルトップを採用しいました。
現在でこそ、メタルトップのオープンモデルは一般的ですが、当時としては相当に珍しく、メタルトップ収納スペース確保のため後席は廃止され2名乗りとなっていましたものの、時代がバブル景気だったこともあり、多くの注目を集めました。
その後の4代目ソアラがメタルトップのオープンモデルのみとなりましたが、まさにそれの「先祖」と言えるべきモデルかもしれません。
ちなみに、当時ライバルであった日産 レパードにはオープンモデルは設定されておりませんでしたが、アメリカで販売されていたインフィニティ仕様では幌のオープンモデルが設定されていたことはあまり知られていません。
1990年の発売で、その名の通り、屋根の一部が電動で格納されるメタルトップを採用しいました。
現在でこそ、メタルトップのオープンモデルは一般的ですが、当時としては相当に珍しく、メタルトップ収納スペース確保のため後席は廃止され2名乗りとなっていましたものの、時代がバブル景気だったこともあり、多くの注目を集めました。
その後の4代目ソアラがメタルトップのオープンモデルのみとなりましたが、まさにそれの「先祖」と言えるべきモデルかもしれません。
ちなみに、当時ライバルであった日産 レパードにはオープンモデルは設定されておりませんでしたが、アメリカで販売されていたインフィニティ仕様では幌のオープンモデルが設定されていたことはあまり知られていません。
日本の激レア車5:オーテック ザガートステルビオ
オーテックと聞いても多くの方は、ピンとこないかもしれません。オーテック(ジャパン)は、日産自動車の特装車両などを手がけるグループ会社です。
ステルビオは、オーテックとイタリアのカロッツェリア ザガートが共同で開発したクーペモデルで、203台(プロトタイプ3台)が生産されたのみです。
ボディは2代目レパードをベースに、ハンドメイドのアルミボディとカーボンボンネットを架装。内装は、レパードのパーツを流用しているものの、細部のデザインを変更。総革張りに本木目をあしらった豪華絢爛な作り。
特徴的だったのはサイドミラーで、デザイン処理によってミラーをボンネットに内蔵するという大胆な手法で、あたかもサイドミラーがないような作りとなっていました。
外観の大胆さに対し、内装はレパードのパーツが流用されていたことから、レパードを見慣れていたユーザーにとってはいささか拍子抜けするものでした。
とはいえ、ほぼハンドメイドで作られたオーテック ザガート ステルビオの販売価格は、なんと1,870万円!メルセデス ベンツ560SELよりも高価でした。
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日本の激レア車6:日産 ローレル ジバンシィバージョン
※写真は日産 ローレル C31
日産のハイオーナーカーとして一世を風靡したローレル。このローレルに設定(限定販売)されていたのが、ジバンシィバージョンでした。3代目ローレルのイメージキャラクターを務めたのがファッション界の大御所ユベール・ド・ジバンシィ。
彼がキャッチコピーで「ローレル、私のイメージ」などと言ってしまうあたり、ジバンシィの商業化路線を感じさせられるところです。そうしたなか、ジバンシィ社とコラボレーションしたモデルが3代目に台数限定で登場します。
シートなどいたるところにジバンシィのロゴがあしらわれており、ブランド好きの日本人にはひと目でジバンシィとわかる内装等が売りでした。
この当時ローレル以外にも、海外ファッションブランドとコラボレーションするケースは存在し、たとえば2代目三菱 デボネアには、イギリスのアクアスキュータムとコラボレーションしたモデルが設定されました。
以上、街中で見かけたらラッキーな日本車の希少な限定車達でした。あなたは、何台見たことがありますか?
日産のハイオーナーカーとして一世を風靡したローレル。このローレルに設定(限定販売)されていたのが、ジバンシィバージョンでした。3代目ローレルのイメージキャラクターを務めたのがファッション界の大御所ユベール・ド・ジバンシィ。
彼がキャッチコピーで「ローレル、私のイメージ」などと言ってしまうあたり、ジバンシィの商業化路線を感じさせられるところです。そうしたなか、ジバンシィ社とコラボレーションしたモデルが3代目に台数限定で登場します。
シートなどいたるところにジバンシィのロゴがあしらわれており、ブランド好きの日本人にはひと目でジバンシィとわかる内装等が売りでした。
この当時ローレル以外にも、海外ファッションブランドとコラボレーションするケースは存在し、たとえば2代目三菱 デボネアには、イギリスのアクアスキュータムとコラボレーションしたモデルが設定されました。
以上、街中で見かけたらラッキーな日本車の希少な限定車達でした。あなたは、何台見たことがありますか?
日本の激レア車7:スズキ アルト 麻美スペシャル
1984年から、2代目スズキ アルトのイメージキャラクターを務めた女優の小林 麻美さん。彼女の名を冠した限定車がたびたび販売されました。それが、アルト 麻美スペシャルです。
いくつか麻美スペシャルが設定されたため、特別装備品などはその都度で異なりますが、個性相当溢れるカラーリングが施されたボディやシート、回転ドライバーズシートなどが特別装備として奢られました。広告はもちろんのこと、カタログも隅々に渡って小林麻美さんが登場するなど、アルト以上に小林麻美さんの魅力が溢れた1台でした。
アルトのライバルであったダイハツ ミラは、ファッションビルPARCOを展開するパルコとコラボレーションしたミラ パルコを発売。いずれも軽自動車が、若い女性をターゲットにしていたことがわかる特別仕様車ですね。
いくつか麻美スペシャルが設定されたため、特別装備品などはその都度で異なりますが、個性相当溢れるカラーリングが施されたボディやシート、回転ドライバーズシートなどが特別装備として奢られました。広告はもちろんのこと、カタログも隅々に渡って小林麻美さんが登場するなど、アルト以上に小林麻美さんの魅力が溢れた1台でした。
アルトのライバルであったダイハツ ミラは、ファッションビルPARCOを展開するパルコとコラボレーションしたミラ パルコを発売。いずれも軽自動車が、若い女性をターゲットにしていたことがわかる特別仕様車ですね。