ボローニャとトライデントで読むマセラティ100年史 – ブランドの原点・象徴・進化を完全解説
更新日:2025.09.30
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マセラティは 「ボローニャ生まれの高級スポーツカー」 として知られ、その中心にあるのが海神ネプチューンの三叉槍“トライデント”。
本記事では、第一次世界大戦下で誕生した創業物語から、兄弟それぞれの役割、トライデント・エンブレム誕生の背景、ロゴ進化のマーケティング戦略、歴代名車と現代モデルに至るまでを体系的に解説します。
本記事では、第一次世界大戦下で誕生した創業物語から、兄弟それぞれの役割、トライデント・エンブレム誕生の背景、ロゴ進化のマーケティング戦略、歴代名車と現代モデルに至るまでを体系的に解説します。
- Chapter
- ボローニャ発祥のマセラティ:第一次世界大戦を乗り越えた創業ストーリー
- マセラティ兄弟の才能と役割:ブランドを築いた5人の天才
- トライデント誕生秘話:ボローニャのネプチューン像とブランドエンブレム
- 100年でどう変わった?トライデントロゴの進化とマーケティング戦略
- 歴代マセラティ名車とトライデント:ティーポ26からMC20・グレカーレまで
- ティーポ26:初勝利をもたらしたトライデント付きレーサー
- A6・250F・クアトロポルテ:戦後を彩るグランツーリズモとF1伝説
- MC12・MC20・グレカーレ:21世紀のミッドシップ&SUV挑戦
- 創業地を讃えるボローニャの遺産と記念プレート
- まとめ:マセラティとボローニャ・トライデントの核心
ボローニャ発祥のマセラティ:第一次世界大戦を乗り越えた創業ストーリー
1914年、ヨーロッパ中に第一次世界大戦の暗雲が立ち込める中、イタリア北部エミリア=ロマーニャ州の古都ボローニャに小さな自動車工房が産声を上げました。創業者はアルフィエーリ・マセラティとその弟エットーレ、エルネストの三兄弟です。
彼らは幼い頃から機械に情熱を燃やし、長男カルロの影響でレースの世界に足を踏み入れました。しかし、創業直前に最愛の兄カルロを肺疾患で亡くし、直後に勃発した第一次大戦ではアルフィエーリが従軍するなど、事業の船出は決して順風満帆ではありませんでした。
それでも彼らは情熱を失わず、戦時中はエルネストが工房を守りつつ、軍需向けの点火プラグ製造で技術と信頼を蓄積していきます。
戦後、マセラティ兄弟は再びボローニャの地で夢に挑みました。1914年12月、ボローニャ旧市街ペポリ通り1番地に「オフィチーネ・アルフィエーリ・マセラティ」(マセラティ工房)を正式に登録し、静かに歴史の一歩を踏み出します。
ボローニャは大学と美術で知られる街ですが、この時期は工業化も進み、自動車産業の胎動期でもありました。世界大戦の傷跡が残る中、三兄弟の小さな工房は街の新たな希望となり、イタリア自動車史に燦然と輝く物語が始まったのです。
彼らは幼い頃から機械に情熱を燃やし、長男カルロの影響でレースの世界に足を踏み入れました。しかし、創業直前に最愛の兄カルロを肺疾患で亡くし、直後に勃発した第一次大戦ではアルフィエーリが従軍するなど、事業の船出は決して順風満帆ではありませんでした。
それでも彼らは情熱を失わず、戦時中はエルネストが工房を守りつつ、軍需向けの点火プラグ製造で技術と信頼を蓄積していきます。
戦後、マセラティ兄弟は再びボローニャの地で夢に挑みました。1914年12月、ボローニャ旧市街ペポリ通り1番地に「オフィチーネ・アルフィエーリ・マセラティ」(マセラティ工房)を正式に登録し、静かに歴史の一歩を踏み出します。
ボローニャは大学と美術で知られる街ですが、この時期は工業化も進み、自動車産業の胎動期でもありました。世界大戦の傷跡が残る中、三兄弟の小さな工房は街の新たな希望となり、イタリア自動車史に燦然と輝く物語が始まったのです。
マセラティ兄弟の才能と役割:ブランドを築いた5人の天才
マセラティ家には7人の兄弟がいましたが、そのうち自動車に人生を捧げたのはカルロ、ビンド、アルフィエーリ、エットーレ、エルネストの5人でした(次男マリオは芸術家肌で後述のエンブレムをデザイン)。
⚪︎カルロ・マセラティ(1881-1910):
長兄にして先駆者です。鉄道員の父ロドルフォのもとで育ったカルロは、フィアットに勤めた後、四輪ブレーキを世界で初めて実用化した名門イソッタ・フラスキーニにテストドライバーとして転職し、弟アルフィエーリをメカニックとして呼び寄せました。
レース活動だけでなく航空機エンジンの設計会社も立ち上げるなど多彩な才能を発揮しましたが、1910年に病で他界します。カルロの早すぎる死は弟たちに強い衝撃を与えましたが、その情熱と志は確実に受け継がれました。
⚪︎アルフィエーリ・マセラティ(1887-1932):
事実上の創業者であり、エンジニア兼レーシングドライバーとしてマセラティ社を牽引しました。兄カルロ亡き後に事業を引き継ぐ決意を固め、戦後はレーシングカー開発に没頭します。
アルフィエーリは1920年代にディアット社のチーフメカニックを務めた後、持ち帰ったシャシーを基に弟たちとティーポ26を完成させました。俊敏な決断力と大胆な挑戦精神で数々のレースに参戦し、社名を高めました。
⚪︎エットーレ・マセラティ(1894-1990):
寡黙な技術者肌で、自動車エンジンの改良や生産管理を担当しました。第一次大戦では兄弟と共に従軍し、その後も会社を支えます。
エットーレは最も長命で、マセラティ社が幾度も経営母体を変える激動を見届け、最後は兄弟と共に新会社OSCAを立ち上げるまで、終始エンジニアとして辣腕を振るいました。
⚪︎エルネスト・マセラティ(1898-1975):
末弟ながら才能は群を抜いていました。10代で工房の実務を任され、夜間はアルディーニ工科研究所で学び技術研鑽を積む勤勉さで知られます。
戦時中はアルフィエーリが不在の工房を切り盛りし、大量のスパークプラグ製造で戦時需要に応えました。戦後はエンジニア兼ドライバーとしても頭角を現し、マセラティ初期のレーシングマシン開発とレース出場に貢献しました。
⚪︎ビンド・マセラティ(1883-1980):
カルロ亡き後に合流した兄弟です。創業時こそ名を連ねませんでしたが、1920年代後半に参画し、アルフィエーリが1932年に急逝した後は実質的に経営をリードしました。ビンドの堅実なマネジメントは、兄弟たちの技術と情熱を支える屋台骨となりました。
⚪︎マリオ・マセラティ(1890-1981):
唯一クルマ作りに直接関与しなかった兄弟ですが、その芸術的才能はマセラティの象徴に刻まれています。彼が後にデザインする“トライデント”のエンブレムは、技術者兄弟に引けを取らない大きな功績でした。
こうした異才あふれる兄弟たちが互いの長所を持ち寄り、補い合ったことが、マセラティというブランドの礎を築きました。
レースへの情熱、職人的な技術、ビジネス感覚、そして芸術的センス――そのシンフォニーがマセラティ社の黎明期を支え、以降の100年にわたる物語を紡いでいくのです。
⚪︎カルロ・マセラティ(1881-1910):
長兄にして先駆者です。鉄道員の父ロドルフォのもとで育ったカルロは、フィアットに勤めた後、四輪ブレーキを世界で初めて実用化した名門イソッタ・フラスキーニにテストドライバーとして転職し、弟アルフィエーリをメカニックとして呼び寄せました。
レース活動だけでなく航空機エンジンの設計会社も立ち上げるなど多彩な才能を発揮しましたが、1910年に病で他界します。カルロの早すぎる死は弟たちに強い衝撃を与えましたが、その情熱と志は確実に受け継がれました。
⚪︎アルフィエーリ・マセラティ(1887-1932):
事実上の創業者であり、エンジニア兼レーシングドライバーとしてマセラティ社を牽引しました。兄カルロ亡き後に事業を引き継ぐ決意を固め、戦後はレーシングカー開発に没頭します。
アルフィエーリは1920年代にディアット社のチーフメカニックを務めた後、持ち帰ったシャシーを基に弟たちとティーポ26を完成させました。俊敏な決断力と大胆な挑戦精神で数々のレースに参戦し、社名を高めました。
⚪︎エットーレ・マセラティ(1894-1990):
寡黙な技術者肌で、自動車エンジンの改良や生産管理を担当しました。第一次大戦では兄弟と共に従軍し、その後も会社を支えます。
エットーレは最も長命で、マセラティ社が幾度も経営母体を変える激動を見届け、最後は兄弟と共に新会社OSCAを立ち上げるまで、終始エンジニアとして辣腕を振るいました。
⚪︎エルネスト・マセラティ(1898-1975):
末弟ながら才能は群を抜いていました。10代で工房の実務を任され、夜間はアルディーニ工科研究所で学び技術研鑽を積む勤勉さで知られます。
戦時中はアルフィエーリが不在の工房を切り盛りし、大量のスパークプラグ製造で戦時需要に応えました。戦後はエンジニア兼ドライバーとしても頭角を現し、マセラティ初期のレーシングマシン開発とレース出場に貢献しました。
⚪︎ビンド・マセラティ(1883-1980):
カルロ亡き後に合流した兄弟です。創業時こそ名を連ねませんでしたが、1920年代後半に参画し、アルフィエーリが1932年に急逝した後は実質的に経営をリードしました。ビンドの堅実なマネジメントは、兄弟たちの技術と情熱を支える屋台骨となりました。
⚪︎マリオ・マセラティ(1890-1981):
唯一クルマ作りに直接関与しなかった兄弟ですが、その芸術的才能はマセラティの象徴に刻まれています。彼が後にデザインする“トライデント”のエンブレムは、技術者兄弟に引けを取らない大きな功績でした。
こうした異才あふれる兄弟たちが互いの長所を持ち寄り、補い合ったことが、マセラティというブランドの礎を築きました。
レースへの情熱、職人的な技術、ビジネス感覚、そして芸術的センス――そのシンフォニーがマセラティ社の黎明期を支え、以降の100年にわたる物語を紡いでいくのです。
トライデント誕生秘話:ボローニャのネプチューン像とブランドエンブレム
マセラティと言えば、ローマ神話の海神ネプチューンが携える三叉の矛「トライデント(Trident)」を象ったエンブレムが有名です。
その誕生にはボローニャの文化と歴史が深く関わっています。1910年代当時、ボローニャ市の中心部ピアッツァ・マッジョーレ(マジョーレ)には、16世紀ルネサンス期に制作された巨大なネプチューン像がそびえ立っていました。
フランドル出身の彫刻家ジャンボローニャ(ジョヴァンニ・ダ・ボローニャ)によって1560年代に造られたこのブロンズ像は、海神ネプチューンがその手に握る三叉の矛で力と権威を象徴しています。
ネプチューン像とそのトライデントは、ルネサンス美術の粋としてボローニャ市民に愛される、街を代表するシンボルとなっていたのです。
マセラティ兄弟の中で芸術的才能に長けていたマリオは、このネプチューン像からインスピレーションを得て、トライデントのエンブレムを考案しました。1920年、最初の自社開発レーシングカー製作に取り掛かる際、マリオは兄弟に頼まれてエンブレムをデザインします。
彼は古典的なレーシング紋章ではなく、自らが見慣れ親しんだ街のシンボルを選びました。こうして生まれたロゴマークには、ネプチューン像の持つトライデントと、ボローニャ市の旗の色である赤と青が組み合わされました。
完成したトライデントのエンブレムは、1926年4月にデビューしたマセラティ初のレーシングカー「ティーポ26」に初めて掲げられます。タルガ・フローリオという伝説的な公道レースに参戦したティーポ26のボンネットには、クロームメッキされたトライデントが燦然と輝いていました。
そのマシンは初出場ながらカテゴリー優勝を果たし、マセラティに輝かしいモータースポーツ栄光の幕開けをもたらします。以来、トライデントはマセラティ車の鼻先を飾る不変のトレードマークとなりました。「道路を征服する強さ」を示すこのシンボルは、神話の力とルネサンス芸術の気高さを宿し、マセラティのブランド精神そのものを体現しているのです。
その誕生にはボローニャの文化と歴史が深く関わっています。1910年代当時、ボローニャ市の中心部ピアッツァ・マッジョーレ(マジョーレ)には、16世紀ルネサンス期に制作された巨大なネプチューン像がそびえ立っていました。
フランドル出身の彫刻家ジャンボローニャ(ジョヴァンニ・ダ・ボローニャ)によって1560年代に造られたこのブロンズ像は、海神ネプチューンがその手に握る三叉の矛で力と権威を象徴しています。
ネプチューン像とそのトライデントは、ルネサンス美術の粋としてボローニャ市民に愛される、街を代表するシンボルとなっていたのです。
マセラティ兄弟の中で芸術的才能に長けていたマリオは、このネプチューン像からインスピレーションを得て、トライデントのエンブレムを考案しました。1920年、最初の自社開発レーシングカー製作に取り掛かる際、マリオは兄弟に頼まれてエンブレムをデザインします。
彼は古典的なレーシング紋章ではなく、自らが見慣れ親しんだ街のシンボルを選びました。こうして生まれたロゴマークには、ネプチューン像の持つトライデントと、ボローニャ市の旗の色である赤と青が組み合わされました。
完成したトライデントのエンブレムは、1926年4月にデビューしたマセラティ初のレーシングカー「ティーポ26」に初めて掲げられます。タルガ・フローリオという伝説的な公道レースに参戦したティーポ26のボンネットには、クロームメッキされたトライデントが燦然と輝いていました。
そのマシンは初出場ながらカテゴリー優勝を果たし、マセラティに輝かしいモータースポーツ栄光の幕開けをもたらします。以来、トライデントはマセラティ車の鼻先を飾る不変のトレードマークとなりました。「道路を征服する強さ」を示すこのシンボルは、神話の力とルネサンス芸術の気高さを宿し、マセラティのブランド精神そのものを体現しているのです。
100年でどう変わった?トライデントロゴの進化とマーケティング戦略
誕生から100年余りの間に、マセラティのトライデント・エンブレムは細部のデザイン変更を重ねつつも、その核となるメッセージを一貫して守り抜いてきました。
1930年代にはエンブレムも長方形から楕円形へと変化。1937年、実業家アドルフォ・オルシがマセラティ社を買収し、本社をボローニャから隣県モデナへ移転しますが、「ボローニャの誇り」であるトライデント・ブランドの価値を熟知しており、エンブレムの意匠は守り抜かれました。
第二次大戦後も会社は様々な経営母体のもとで存続し、ロゴも時代に合わせて微調整が続きました。1950年代には楕円の上下を尖らせたクラシカルな盾形に近いフォルムとなり、レーシングスピリットを強調。1960年代から80年代にかけて経営権がシトロエン、デ・トマソ、FIATと移り変わる激動期でしたが、その間も楕円形エンブレムの基本は維持されました。
2000年代以降、親会社の再編(現在はステランティス傘下)に伴いロゴの細部もアップデートされています。近年の2020年には、新時代の幕開けを象徴するロゴとしてタイポグラフィが一新され、トライデント自体はシンプルさを極めつつ初代の雰囲気を漂わせるスタイルに回帰しています。
マセラティは近年、その象徴をロゴに留めず製品戦略にも活かしています。2020年に発表した新型ミドシップスーパーカーMC20では、新開発3.0L V6ツインターボエンジンに「ネプチューン(Nettuno)」と命名しました。イタリア語でネプチューンを意味するこの名は、社のルーツであるボローニャとトライデント・エンブレムへの敬意を込めたものです。
このようにトライデントとネプチューン神話は、時を超えてなおブランド戦略の中核に据えられ、製品やプロモーションに物語性と一貫性を与え続けているのです。
1930年代にはエンブレムも長方形から楕円形へと変化。1937年、実業家アドルフォ・オルシがマセラティ社を買収し、本社をボローニャから隣県モデナへ移転しますが、「ボローニャの誇り」であるトライデント・ブランドの価値を熟知しており、エンブレムの意匠は守り抜かれました。
第二次大戦後も会社は様々な経営母体のもとで存続し、ロゴも時代に合わせて微調整が続きました。1950年代には楕円の上下を尖らせたクラシカルな盾形に近いフォルムとなり、レーシングスピリットを強調。1960年代から80年代にかけて経営権がシトロエン、デ・トマソ、FIATと移り変わる激動期でしたが、その間も楕円形エンブレムの基本は維持されました。
2000年代以降、親会社の再編(現在はステランティス傘下)に伴いロゴの細部もアップデートされています。近年の2020年には、新時代の幕開けを象徴するロゴとしてタイポグラフィが一新され、トライデント自体はシンプルさを極めつつ初代の雰囲気を漂わせるスタイルに回帰しています。
マセラティは近年、その象徴をロゴに留めず製品戦略にも活かしています。2020年に発表した新型ミドシップスーパーカーMC20では、新開発3.0L V6ツインターボエンジンに「ネプチューン(Nettuno)」と命名しました。イタリア語でネプチューンを意味するこの名は、社のルーツであるボローニャとトライデント・エンブレムへの敬意を込めたものです。
このようにトライデントとネプチューン神話は、時を超えてなおブランド戦略の中核に据えられ、製品やプロモーションに物語性と一貫性を与え続けているのです。
歴代マセラティ名車とトライデント:ティーポ26からMC20・グレカーレまで
ティーポ26:初勝利をもたらしたトライデント付きレーサー
1926年、マセラティ兄弟が初めて自社名を冠したレーシングカーがティーポ26(Tipo 26)です。
アルフィエーリを中心にディアット社のレーサーをベースに改良が重ねられ、当時のレース規定に合わせた1.5リッター直列8気筒エンジン(スーパーチャージャー付き)を搭載した小柄なマシンでした。フロントノーズには試作されたばかりのトライデント・エンブレムが取り付けられ、まさに「トライデントを背負った」初のマセラティ車となります。
ティーポ26はデビュー戦となった1926年のタルガ・フローリオに参戦し、過酷な山岳コースで素晴らしい走りを見せました。そして初出場ながら排気量1.5リッタークラスで見事優勝を果たし、その名とエンブレムを世に知らしめたのです。
アルフィエーリを中心にディアット社のレーサーをベースに改良が重ねられ、当時のレース規定に合わせた1.5リッター直列8気筒エンジン(スーパーチャージャー付き)を搭載した小柄なマシンでした。フロントノーズには試作されたばかりのトライデント・エンブレムが取り付けられ、まさに「トライデントを背負った」初のマセラティ車となります。
ティーポ26はデビュー戦となった1926年のタルガ・フローリオに参戦し、過酷な山岳コースで素晴らしい走りを見せました。そして初出場ながら排気量1.5リッタークラスで見事優勝を果たし、その名とエンブレムを世に知らしめたのです。
A6・250F・クアトロポルテ:戦後を彩るグランツーリズモとF1伝説
第二次世界大戦後、マセラティは市販車分野にも進出します。
1947年に発表したA6 1500グランツーリズモは、マセラティ初の市販乗用車でありエレガントな2シータークーペでした。
1950年代になると、マセラティはF1で黄金時代を築きます。中でも1957年、ファンジオがドライバーズタイトルを獲得した250Fはマセラティのレーシング伝説を象徴する一台です。
1963年に登場したラグジュアリー4ドアスポーツセダン、クアトロポルテは、レーシングカーの血統とサルーンの快適性を両立させた革新的モデルです。
1947年に発表したA6 1500グランツーリズモは、マセラティ初の市販乗用車でありエレガントな2シータークーペでした。
1950年代になると、マセラティはF1で黄金時代を築きます。中でも1957年、ファンジオがドライバーズタイトルを獲得した250Fはマセラティのレーシング伝説を象徴する一台です。
1963年に登場したラグジュアリー4ドアスポーツセダン、クアトロポルテは、レーシングカーの血統とサルーンの快適性を両立させた革新的モデルです。
MC12・MC20・グレカーレ:21世紀のミッドシップ&SUV挑戦
1960年代後半以降、マセラティはボーラやメラクなどミッドシップカーで新境地を開きました。
2004年には久々のスーパーカーMC12が登場し、GT選手権でチャンピオンに輝く活躍を見せました。
2020年発表のMC20は、カーボンモノコックと新開発V6ツインターボ「ネプチューン」を組み合わせた現代版ミッドシップスーパースポーツです。
SUV市場では、2016年のレヴァンテに続き、2022年にミドルサイズSUVグレカーレを発売。いずれのフロントマスクにも誇り高きトライデントが輝きます。
2004年には久々のスーパーカーMC12が登場し、GT選手権でチャンピオンに輝く活躍を見せました。
2020年発表のMC20は、カーボンモノコックと新開発V6ツインターボ「ネプチューン」を組み合わせた現代版ミッドシップスーパースポーツです。
SUV市場では、2016年のレヴァンテに続き、2022年にミドルサイズSUVグレカーレを発売。いずれのフロントマスクにも誇り高きトライデントが輝きます。
創業地を讃えるボローニャの遺産と記念プレート
本社をモデナに移してから久しい現在でも、マセラティは生まれ故郷ボローニャとの絆を大切にしています。
2014年、創業100周年の節目にマセラティ社はボローニャ市と協力し、創業工房跡への記念プレート設置を行いました。
さらに兄弟は晩年にボローニャへ回帰し小規模レーシングメーカーOSCAを設立。街には今も彼らを記念する場所が点在し、マセラティの郷土愛と情熱を象徴しています。
2014年、創業100周年の節目にマセラティ社はボローニャ市と協力し、創業工房跡への記念プレート設置を行いました。
さらに兄弟は晩年にボローニャへ回帰し小規模レーシングメーカーOSCAを設立。街には今も彼らを記念する場所が点在し、マセラティの郷土愛と情熱を象徴しています。
まとめ:マセラティとボローニャ・トライデントの核心
- ボローニャ生まれの高級車、マセラティのルーツ
マセラティは1914年、第一次世界大戦下のボローニャで誕生。創業地への誇りは今もブランドの核にあります。 - ネプチューンの三叉槍が示すトライデントの意味
ボローニャのネプチューン像から生まれたトライデントは、力強さ・権威・ブランドの歴史を象徴する不変のエンブレムです。 - MC20など現行モデルに受け継がれるボローニャ魂
最新スーパーカーMC20やSUVグレカーレなど、現行モデルにもトライデントは受け継がれ、ボローニャのDNAが未来へと息づいています。