マツダの全車種を紹介!マツダ徹底解説!(1980年~1989年)

マツダ・2代目サバンナRX-7
マツダは太平洋戦争前からトラックなどのクルマを製造し、戦争終結後もR360クーペなどの乗用車開発を行いクルマづくりを続けてきました。1980年代はどのような車種をラインナップしていたのかを、乗用車を中心とした当時の車種とともに紹介します。

文・PBKK
Chapter
マツダ 5代目ファミリア(1980年)
マツダ 4代目ルーチェ(1981年)
マツダ 2代目サバンナRX-7(1985年)
マツダ 2代目キャロル(1989年)
マツダ ユーノス100(1989年)
マツダ ユーノスロードスター(1989年)

1980~1989年のマツダ

太平洋戦争以前からマツダはトラックなどの実用的なクルマを製造し、その技術力から戦争中は日本帝国海軍や陸軍の軍用車を製造していました。戦争の被害を受けたものの、終戦から間もない1945年12月にはトラックの生産を再開、戦後需要の多かった3輪トラック(オート三輪)を開発するなど、日本の経済復興にも大きく貢献します。

その後、高度経済成長によってマイカー需要が高まりはじめたことから、マツダもトラックなどの商用車から乗用車開発に力を入れ始めます。そして1960年にマツダ初となる乗用車、マツダ R360クーペを発売。

軽自動車ながら高い品質を誇ったことや、MT(マニュアルトランスミッション)車で30万、当時はトルコンと呼ばれたAT(オートマチックトランスミッション)車で32万円という低価格によって、マイカーを身近な存在へと変えていきました。

こうした成功を経て、マツダは乗用車開発へとシフト。そのなかで当時「次世代のエンジン」と呼ばれていたロータリーエンジンの量産化に向けて、1960年代に西ドイツのNSU社と手を結びました。

オイルショックからの起死回生

マツダはロータリーエンジンの開発に成功し、1967年にマツダ コスモスポーツを発売します。ロータリーエンジンは従来のレシプロエンジンに比べてコンパクトでありながらハイパワーでしたが、燃焼構造が異なるために燃料消費量が多いというデメリットもありました。

そんななか、1973年に勃発した第4次中東戦争によって第1次オイルショックが発生し、ロータリーエンジン搭載車のラインナップを拡大させていたマツダも影響を受けてしまいます。特に当時メインマーケットだった北米において燃費や公害などが問題視されはじめたことや、日本車へのバッシングもあり、マツダは窮地に立たされました。

一時期はロータリーエンジンの存続が危ぶまれましたが、マツダは燃費を従来から40%改善する計画を立て、ロータリーエンジンの改良を開始。

その結果、燃費は大きく改善され、さらにロータリーエンジン専用スポーツカーとして、1978年にマツダ 初代サバンナRX-7を登場させるなど、ロータリーエンジンが秘めた可能性やブランド力を高めていきました。

1980年代は、マツダにとってオイルショックと戦った時代であり、発売されたクルマも個性にあふれていました。

マツダ 5代目ファミリア(1980年)

マツダ 5代目ファミリアは、マツダの乗用車として初めてFFレイアウト(フロントエンジン・フロントドライブ)を採用したクルマです。

また、5代目ファミリアではフルモデルチェンジに合わせてプラットフォームが刷新され、ファミリアのために開発された「BDプラットフォーム」が採用されました。

車体は3ドアハッチバックをメインに、5ドアハッチバックと4ドアセダンがラインナップされ、エクステリア(外装)デザインや数々の新機軸が盛り込まれたことからヒット車種となり、第1回日本カー・オブ・ザ・イヤーの受賞車にも選ばれるなど、歴代ファミリアの中でも人気のモデルだったとされています。

マツダ 4代目ルーチェ(1981年)

マツダ 4代目ルーチェは、マツダ初のターボチャージャーを装備したロータリーエンジン搭載車です。

マツダは1960年代からロータリーエンジンの実用化に向けた研究を進め、1969年にファミリアにロータリーエンジンを搭載した「ファミリア ロータリークーペ」、1970年にマツダ 2代目ルーチェをベースにした「ルーチェ ロータリークーペ」を登場させています。

4代目ルーチェに搭載されたエンジンは「12A」と呼ばれ、ターボ化されたことでよりハイパワーになりました。4代目では空力性能も改善され、当時としては優れたCd値を誇ったと言われています。
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マツダ 2代目サバンナRX-7(1985年)
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