イギリスとアメリカが生み出した毒ヘビ"コブラ"とはどんな車?

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1960年代までのイギリスには、小中規模の自動車メーカーが数多く存在していました。そのひとつが、ACカーズです。20世紀初頭に産声を上げたACカーズは、伝統あるイギリス自動車メーカーのなかでも古いメーカーで、戦後には他メーカーからエンジンの提供を受けて車両を製作していました。そんなACカーズが、1953年に世に送り出したモデルが、後にコブラへと生まれ変わるAC エースというスポーツカーでした。

文・西山昭智
Chapter
AC エースを大胆にモディファイ
クーペモデルの目覚ましい活躍
シェルビー コブラとして受け継がれる

AC エースを大胆にモディファイ

AC エースは、クラシカルな丸目2灯と格子状になったフロントグリル、オーバーライダーを備えたフロントマスクの、英国らしい2座のオープンカーです。

いまで言うフロントミドシップレイアウトで、心臓部には同じイギリスの自動車メーカー、ブリストルカーズの直列6気筒2.0Lエンジンを搭載していました。

発売開始以来、好調な売り上げを記録していたAC エースですが、1960年代に入るとブリストルカーズが直6エンジンの生産中止を発表。人気車の生産が困難になってしまったACカーズは、英国フォードから2.6Lの直6エンジンの供給を受けることになります。

それと同時にACカーズでは、よりパワーのあるアメリカンV8の搭載を模索。そこに救いの手を差し伸べた人物が、AC エースの高い運動性能に惚れ込んでいたキャロル・シェルビーでした。

キャロル・シェルビーは、1959年のル・マン24時間レースで優勝、その前年にはF1の参戦経験を持つという当時のアメリカを代表するレーサーのひとりで、エンジン調達の交渉をみずから行うことを条件にV8搭載を提案しました。

4mに満たない全長に全幅1,500mm強という小さなボディのACエースに、260cu in.(4.2L)のV8エンジンを搭載するため、フロントエンドがリファインされました。このV8エンジンを搭載したAC エースは、コブラと呼ばれることになります。

クーペモデルの目覚ましい活躍

※写真は現在発売されているシェルビー デイトナ コブラ クーぺ
(Copyright© 2018 Carroll Shelby International All Rights Reserved)


AC コブラが生み出す強烈なトルクを受け止めるべく、リアデフ、ブレーキなどを交換し、ヘビーウエイトなエンジンにも耐えられるようシャシーも改良されました。

当初は4.7Lだった排気量は、のちに427cu in.(7.0L)にまで拡大され、最大出力は425馬力にも上っています。

さらにレースに参戦するべくシェルビーは、コブラをベースにしたクーペモデルを開発。シェルビー デイトナ(コブラ クーペ)と名付けられ、1964年のセブリング12時間レースでの優勝を皮切りに、ル・マン24時間やデイトナ2,000kmで次々と優勝するなど大活躍をみせました。当時、圧倒的な強さを見せていたフェラーリでさえも、このシェルビー コブラに勝つことができなかったほどだといわれています。

デイトナは、計6台が生産され、最大のライバルだったフェラーリ 250GTOとともにもっとも価値のあるクラシックカーのひとつにも数えられています。

シェルビー コブラとして受け継がれる

イギリスでシャシーを生産し、アメリカでエンジンの組み付けを行なうという、英米合作によってつくられたACコブラ。しかしその生産もACカーズの経営不振によって1960年代後半には終了。1970年代に入ると、今度はACカーズそのものが倒産してしまいます。

コブラという名前は紆余曲折を経て、キャロル・シェルビーがアメリカにおいて受け継ぐことになり、シェルビー コブラという名前で販売を継続。このシェルビー コブラ以外にも、ERAやNAFといったアメリカのレプリカメーカーが生産を続けています。

見た目のインパクトとV8エンジンが生み出す強烈な加速、レースシーンでの素晴らしい活躍ぶりなど、アメリカ人だけでなく世界中のスポーツカーファンから愛されて続けているコブラ。その名前は、これからも多くのエンスージアストを魅了し続けていくことでしょう。

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