まさに"ホイールのあるラウンジ"!? 贅を尽くした初代マイバッハとはどのような車?

マイバッハ 62 (2002)

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1997年、東京モーターショーのメルセデス・ベンツブースにて発表された1台のコンセプトカー。Sクラスよりもホイールベースが長く、威風堂々たる外観を持つその車には、「MAYBACH(マイバッハ)」というあまり聞き慣れない名前が付けられていました。突如私たちの前に登場したマイバッハとは、いったいどのような車だったのでしょうか。

文・西山昭智
Chapter
ダイムラーと同様、長い歴史を持つマイバッハ
初代マイバッハが登場
日本でも発売を開始
2011年にマイバッハ廃止を発表

ダイムラーと同様、長い歴史を持つマイバッハ

マイバッハは、世界初の内燃機関を生み出したゴットリープ・ダイムラーとともにエンジン開発を行っていたヴィルヘルム・マイバッハが、息子のカール・マイバッハと1909年に設立したエンジン製造会社の名前です。

その名を一躍有名にしたのは、ドイツの巨大飛行船 LZ127。通称"ツェッペリン伯爵号"と呼ばれた飛行船に載まれていた5基のエンジンが、マイバッハの手がけたV型12気筒だったのです。

その一方で、マイバッハは自社で高級車の製造および販売を行います。マイバッハ・ツェッペリンと名付けられたモデルには、当時の最高級車であったメルセデス・ベンツ770プルマン(グローサー メルセデス)に次ぐ車両価格が設定され、高級車メーカーとして人気を博します。

その後も自動車のほかに鉄道用エンジンなどを製作し、第2次大戦下ではドイツ軍戦車のエンジンも手がけていましたが、戦後にはダイムラー・ベンツ社がマイバッハを傘下に収めています。

初代マイバッハが登場

ダイムラー・ベンツの傘下になったのち、ディーゼル機関車のエンジンなどを製作していたマイバッハですが、1997年ダイムラー・ベンツは「マイバッハ」の名前を冠した1台のコンセプトカーを発表します。

Sクラスをベースにしたそのニューモデルは、全長6mを超える巨体に6.0LのV型12気筒エンジンを搭載、贅を尽くしたインテリアは、ダイムラー・ベンツ曰く「ホイールのあるラウンジ」と呼ぶほどの完成度を誇りました。

その後2002年に、マイバッハブランドが独立。同年のニューヨーク・モーターショーにおいて、全長5,723mmの「57」と全長6,165mmの「62」という2台のモデルが発表されます。
ちなみに発表の際には、豪華客船クイーンエリザベス2から車両を丸ごとヘリコプターで吊り上げ、ワールドプレミア会場まで運ばれてくるという豪華な演出が注目を集めました。

日本でも発売を開始

同年9月には、日本でも販売を開始。気になる車両価格は3,900万〜4,643万円とSクラスをはるかに上回る高額ぶりで話題となります。

エンジンは5.5L V型12気筒ターボエンジンを搭載し、最高出力550ps、最大トルク91.8kgmを発生。車内には9.5インチモニターを装備し、62にはフルサポートリクライニングシートを標準で装備。

ボディカラーだけで17種類、インテリアに使われるナッパレザーは6種類、ウッドパネルは3種類も用意され、それぞれを自由に組み合わせてチョイスできるマイバッハは、1日の生産台数がわずか5台という希少性もあって人気となりました。

2005年にはスポーティバージョンの57S、2007年には62Sがラインナップに加わり、2009年には世界限定100台のツェッペリン(57と62ともに設定)が登場しています。

マイバッハ 62

2011年にマイバッハ廃止を発表

BMW傘下となって大成功を収めたロールス・ロイスの牙城を崩すべく誕生したマイバッハですが、成功とは呼べず、2011年にはブランドそのものを廃止するというアナウンスがなされることになります。

現在も「メルセデス・マイバッハ」として、ブランド名が残されているものの、その存在はあくまでもSクラスベース。内外装はもちろん、エンジンは細かな意匠まで、あらゆる面でメルセデスの上をいく仕上がりとなっていた先代のマイバッハ57/62は、今後プレミアが付くことになるかもしれませんね。
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