ランボルギーニの歴史|元々はトラクターの製造会社!
更新日:2024.09.09
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スーパーカー好きを魅了してやまないブランドといえばフェラーリが筆頭として挙げられますが、その強力なライバルとなるのがランボルギーニです。現在はアウディ傘下にあるためドイツのメーカーと思っている方もいらっしゃるかもしれませんが、実際はフェラーリと同じイタリア生まれ。そしてこのランボルギーニというメーカー、じつはもともとトラクターのメーカーだって知っていましたか?
文・西山昭智
文・西山昭智
ランボルギーニの歴史①:トラクターの製造で莫大な富を築く
ランボルギーニの創業者であるフェルッチオ・ランボルギーニは、トラクターの製造販売で大成功した実業家。熱狂的なカーマニアであり、レース好きだったフェルッチオは、ランボルギーニ社を設立した1949年から数々の自動車をコレクションするようになります。
そんなカーマニアの最高峰にいつもあったのがフェラーリでした。F1で華々しい活躍を遂げるフェラーリに魅了されたフェルッチオは、フェラーリの実車を購入。さらにこの車を作った本人に会いたいと思い、本拠地のモデナへ乗り込みます。しかしすでにレース界の巨人となってたエンツォ・フェラーリに逢うことさえままならず、モデナを後にしました。
そんなカーマニアの最高峰にいつもあったのがフェラーリでした。F1で華々しい活躍を遂げるフェラーリに魅了されたフェルッチオは、フェラーリの実車を購入。さらにこの車を作った本人に会いたいと思い、本拠地のモデナへ乗り込みます。しかしすでにレース界の巨人となってたエンツォ・フェラーリに逢うことさえままならず、モデナを後にしました。
ランボルギーニの歴史②:フェラーリへの嫉妬で決意
このときの悔しさを忘れることができなかったフェルッチオは、フェラーリよりも素晴らしいスポーツカーを作るべく、1962年自動車製造へ本格的に乗り出します。
翌年のトリノショーには早くもコンセプトカーを出品し、1964年にはランボルギーニの市販車第一号、350GTを発売しています。後継の400GTも含めて販売は成功を収め、以降ミウラ、そして1971年にはあのカウンタックを生み出しました。
翌年のトリノショーには早くもコンセプトカーを出品し、1964年にはランボルギーニの市販車第一号、350GTを発売しています。後継の400GTも含めて販売は成功を収め、以降ミウラ、そして1971年にはあのカウンタックを生み出しました。
ランボルギーニの歴史③:紆余曲折を繰り返したのちに
フェラーリに対抗しうる名作スーパースポーツカーを次々と世に輩出したものの、ランボルギーニというブランドは紆余曲折の歴史をたどります。
1980年代にはアメリカの自動車メーカー、クライスラーの傘下になり、現在はVWグループのアウディ傘下となっています。
フェラーリを強烈なライバルと見つつ、最後まで決してレースに参戦することのなかったフェルッチオは、あくまでロードゴーイングスポーツの世界においてフェラーリに優位でありたいと思ったのかもしれません(クライスラー時代にはF1に参戦しています)。
1980年代にはアメリカの自動車メーカー、クライスラーの傘下になり、現在はVWグループのアウディ傘下となっています。
フェラーリを強烈なライバルと見つつ、最後まで決してレースに参戦することのなかったフェルッチオは、あくまでロードゴーイングスポーツの世界においてフェラーリに優位でありたいと思ったのかもしれません(クライスラー時代にはF1に参戦しています)。
これらの逸話はいずれも真意のほどは分かりませんが、いずれにしてもランボルギーニという小さなトラクターのメーカーがあのフェラーリに対する強力なライバルであることは間違いありません。ちなみにランボルギーニは現在もトラクターの生産を続けています。
西山昭智
大学卒業後自動車雑誌の編集部へ入社。アメリカ車を皮切りに輸入中古車やスーパーカー専門誌の編集部を経て独立。現在も紙媒体の自動車雑誌で編集および執筆を行なっている。正規販売ディーラーや中古車専門店などに取材を行なうことが多く、現場でしか聞けない業界の裏話的なものも取り扱い中。好きな車はフランス車。