ロータスF1が富士を走った日

アヘッド ロータスF1

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ロータスの創始者、コーリン・チャップマンのクルマ造りの哲学は、「シンプルな構造で、ライトウエイト、そしてドライビングファンであること」。その思想に共感したロータスフリークが、日本にこんなにも多いという証しである「ジャパンロータスデイ」が今年も富士スピードウェイで開催された。

text:桂 伸一 [aheadアーカイブス vol.121 2012年12月号]
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ロータスF1が富士を走った日

ロータスF1が富士を走った日

富士スピードウェイを埋め尽くしたロータスはなんと約600台。参加者と観客を合わせて1500人がパドックに溢れかえる。エントリーした最古参は1954年のマーク8。

それに、'59年のエリート/セブンが続き、その他、エラン、コルチナ、ヨーロッパ、エスプリ、エクラ、エクセル、エリーゼ、エキシージ、エボーラ、2イレブンと、ロータスのロードカーのほぼオールラインアップだ。

僕はレーシングドライバーとしてロータスカップに参戦した。ロータスカップ仕様車として販売されたナンバー付きのエリーゼと、2イレブンによる年間4戦のシリーズ戦だ。日常はロードカーとして走らせ、休日はレースカーとして楽しめるという趣向のイベントなのである。

だが、この日ばかりは気もそぞろだった。その昔オートスポーツ誌やオートテクニック誌、カーグラフィック誌を食入るように眺める少年時代を過ごした僕をレースの世界に目覚めさせたのがロータスのF1マシンだった。

その往年のクルマがこの日、富士スピードウェイを走るからだ。フォードコスワースDFVの3リッターF1マシンがV8エンジンサウンドとともに富士スピードウェイのストレートを通過するのだから、レースどころではないのである。
注目は本邦初公開のタイプ49だ。F1の世界に、最初にスポンサーカラーを持ち込んだのはロータスだった。イギリスのレーシングカラーであるモスグリーンにイエローのストライプから、レッド&ゴールド+ホワイトのゴールドリーフカラーに塗り変えられた記念すべきマシンだ。

また、その元になったTEAM LOTUSカラーのマシンも拝めるとは、本当に贅沢なことだ。ブラック&ゴールドのジョンプレイヤースペシャルやキャメルイエローのマシンもあって目に眩しい。

ゴールドリーフカラーのタイプ72、ジョンプレイヤーのタイプ72はF1マシンを豪快にドリフトとカウンターステアでコントロールしたロニー・ピーターソンのマシンそのものだった。
日本のF1ドライバーのアイドル、アイルトン・セナが初優勝した時のマシン、タイプ97TがルノーV6ターボのサウンドで駆け抜ける。グリーンのマルティニカラーの79が富士を走る。時代を遡っても富士では見る事ができなかった時代だけに興奮する。

F1こそロータスであり、ロードカーのロータスも独創的なデザインと構成だからこそファンも多い。

ひとつの輸入車ブランドが富士を熱気に包む。ロータスを支持するユーザーとファンが支えた最高のイベントであった。

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