Rolling 40's Vol.79 舶来品
更新日:2024.09.09
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海外のバイクメーカーがすこぶる元気が良い。もちろん日本の四大バイクメーカーに元気がないという訳ではない。今年のモーターサイクルショーでも精力的なニューマシンが目白押しだ。おそらく海外のバイクメーカーの、迷い無き勢いが目立ち過ぎているということなのだと思う。その違いはある意味で四輪より鮮明だ。
text:大鶴義丹 [aheadアーカイブス vol.149 2015年4月号]
text:大鶴義丹 [aheadアーカイブス vol.149 2015年4月号]
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Vol.79 舶来品
島国故か、いつの時代も私たちは自国と海外製品の違いに一喜一憂している。だが、永遠の不安を伴う勝ち負けの二元ではなく、揺るぎない独自の価値観の在り方を探した方が得策なのではと思うことがある。
デジタル情報機器などはグローバルな使われ方をするので、日本製と海外製の大きな違いを言葉にするのは難しい。その代表的なのがスマートフォンであり、あの世界観で国産云々を論ずること自体がナンセンス。
だがシロモノ電化製品は別だ。分かり易い例は冷蔵庫だろう。いくら世界がIT機器でつながったとしても、食べ物だけはそれぞれ固有の地域文化や習慣の枠から出ることは少ない。だから、大量ストックが第一目的であるような、アメリカ製の冷蔵庫が日本で売れまくることは絶対にない。逆も然り。
バイクというのも個々の生活に密着したものかもしれない。第一の理由は「趣味性」の強さだ。途上国などでの生活必需品としての小型バイクは別として、ほとんどのオートバイは絶対になくてはならないものではない。
特に大型バイクなどは四輪とは違い、それがないと生活が成り立たないとか、地域社会に迷惑をかけてしまうということはない。反対にない方が喜ぶ方がいるくらいの、特殊な存在だ。
今年のモーターサイクルショーに並ぶ日本のメーカーと海外メーカーのバイクを見比べた時、バイクに乗らない女性でも一発で分かる違いがある。
「派手と地味」
性能や耐久性、メカとして突き詰めた先の違いは、プロレーサーでもない限り、普通のバイク乗りには本当のところは分からない。しかし誰でも一発で分かることは、昨今の海外メーカーの派手なルックスだと思う。
日本バイクメーカーの製品が地味になったという訳ではない。とにかく海外バイクメーカーの作るものが、シルエットから色使いまで、全てにおいてセンスが良すぎるのである。
しかし今までならそのアドバンテージを日本のお家芸である信頼性で撥ね除けられたのである。それがここ10年で状況が変わった。海外メーカーも一昔前のように「よく壊れる」ことが無くなったからだ。
前述したように、ハッキリ言ってしまうと、バイクなんてものは「玩具」である。そういうと顔を真っ赤にして怒る方もいるが、10年ほど前に映画製作でお金をかき集めなければならなかったときに、四輪とバイク全てを売り払ったことがある。
やはり真っ先に必要だと感じたのは四輪だった。仕事上ないと困ることが多々発生した。だがバイクに対しては同じことを感じたことはなかった。
映画製作が一段落した後に再び四輪を買い、色々なことが落ち着くと、今度はバイクが無性に欲しくなった。ただその感情は四輪に感じた必要性ではなく、喉が渇いたとか腹が減ったに近い、理屈ではない原始的な欲求に近い感情だった。バイクとは結局はそんなモノなのだと思う。
日本のバイクに憧れて、日本のバイクで育ち、日本のバイクに乗っているからこそハッキリ言ってしまうが、昨今の日本のバイクは何か地味である。趣向のチャンネルが広がり色々と試行錯誤しているのは分かる。
日本のバイクが良いことも知っている。プロライダーでも使いこなせないような出力を、渋滞に巻き込まれても調子を崩すことなく発揮できるレベルだ。だがバイクってのは、それだけじゃない。とくにパワー競争が行き着くところまで行き着いた今では尚更だ。
答えは簡単なのだと思う。日本が一番得意なものを堂々と作れば良いのだ。しかし無理して慣れない趣向の土俵に上がったりして、わざわざ負け戦をしているような気がする。
答えは日本のバイクが最も輝いていた'80年代にあると分かっているのに、大メーカー故か新しいモノを探し続けている。海外バイクメーカーはやりたいことをやっているだけだ。
そして一番大事なことは、その「玩具」に何百万も払う私たちもやはり、やりたいことをやっているオヤジたちだということ。参考までに私が昨今心血を注いでいるオフロードバイクの世界の話を一つの例として挙げよう。
オフロードバイク界大手の某メーカーはレースやスポーツ志向に極端に振っていることで有名だ。そこの公道走行可能なエンデューロレーサーは、極端な高性能故エンジンオーバーホールのサイクルが数千キロ。その事実に普通のバイク乗りはひっくり返る。
だが私は別の受け取り方をする。オフロードは本気でやり始めると、コースや山まではバイクをトランポ移動するのが基本になる。だから普通の移動にエンジンを使わないため、数千キロでオーバーホールと言われても「3年くらいはオイル交換だけで使える」という考え方をしてしまう。
某メーカーはそれくらい極端な趣味性の強さで人気を博している。その事実に、意味のない汎用性から抜け出せない日本バイクメーカーは、目を背けてはいけない。
デジタル情報機器などはグローバルな使われ方をするので、日本製と海外製の大きな違いを言葉にするのは難しい。その代表的なのがスマートフォンであり、あの世界観で国産云々を論ずること自体がナンセンス。
だがシロモノ電化製品は別だ。分かり易い例は冷蔵庫だろう。いくら世界がIT機器でつながったとしても、食べ物だけはそれぞれ固有の地域文化や習慣の枠から出ることは少ない。だから、大量ストックが第一目的であるような、アメリカ製の冷蔵庫が日本で売れまくることは絶対にない。逆も然り。
バイクというのも個々の生活に密着したものかもしれない。第一の理由は「趣味性」の強さだ。途上国などでの生活必需品としての小型バイクは別として、ほとんどのオートバイは絶対になくてはならないものではない。
特に大型バイクなどは四輪とは違い、それがないと生活が成り立たないとか、地域社会に迷惑をかけてしまうということはない。反対にない方が喜ぶ方がいるくらいの、特殊な存在だ。
今年のモーターサイクルショーに並ぶ日本のメーカーと海外メーカーのバイクを見比べた時、バイクに乗らない女性でも一発で分かる違いがある。
「派手と地味」
性能や耐久性、メカとして突き詰めた先の違いは、プロレーサーでもない限り、普通のバイク乗りには本当のところは分からない。しかし誰でも一発で分かることは、昨今の海外メーカーの派手なルックスだと思う。
日本バイクメーカーの製品が地味になったという訳ではない。とにかく海外バイクメーカーの作るものが、シルエットから色使いまで、全てにおいてセンスが良すぎるのである。
しかし今までならそのアドバンテージを日本のお家芸である信頼性で撥ね除けられたのである。それがここ10年で状況が変わった。海外メーカーも一昔前のように「よく壊れる」ことが無くなったからだ。
前述したように、ハッキリ言ってしまうと、バイクなんてものは「玩具」である。そういうと顔を真っ赤にして怒る方もいるが、10年ほど前に映画製作でお金をかき集めなければならなかったときに、四輪とバイク全てを売り払ったことがある。
やはり真っ先に必要だと感じたのは四輪だった。仕事上ないと困ることが多々発生した。だがバイクに対しては同じことを感じたことはなかった。
映画製作が一段落した後に再び四輪を買い、色々なことが落ち着くと、今度はバイクが無性に欲しくなった。ただその感情は四輪に感じた必要性ではなく、喉が渇いたとか腹が減ったに近い、理屈ではない原始的な欲求に近い感情だった。バイクとは結局はそんなモノなのだと思う。
日本のバイクに憧れて、日本のバイクで育ち、日本のバイクに乗っているからこそハッキリ言ってしまうが、昨今の日本のバイクは何か地味である。趣向のチャンネルが広がり色々と試行錯誤しているのは分かる。
日本のバイクが良いことも知っている。プロライダーでも使いこなせないような出力を、渋滞に巻き込まれても調子を崩すことなく発揮できるレベルだ。だがバイクってのは、それだけじゃない。とくにパワー競争が行き着くところまで行き着いた今では尚更だ。
答えは簡単なのだと思う。日本が一番得意なものを堂々と作れば良いのだ。しかし無理して慣れない趣向の土俵に上がったりして、わざわざ負け戦をしているような気がする。
答えは日本のバイクが最も輝いていた'80年代にあると分かっているのに、大メーカー故か新しいモノを探し続けている。海外バイクメーカーはやりたいことをやっているだけだ。
そして一番大事なことは、その「玩具」に何百万も払う私たちもやはり、やりたいことをやっているオヤジたちだということ。参考までに私が昨今心血を注いでいるオフロードバイクの世界の話を一つの例として挙げよう。
オフロードバイク界大手の某メーカーはレースやスポーツ志向に極端に振っていることで有名だ。そこの公道走行可能なエンデューロレーサーは、極端な高性能故エンジンオーバーホールのサイクルが数千キロ。その事実に普通のバイク乗りはひっくり返る。
だが私は別の受け取り方をする。オフロードは本気でやり始めると、コースや山まではバイクをトランポ移動するのが基本になる。だから普通の移動にエンジンを使わないため、数千キロでオーバーホールと言われても「3年くらいはオイル交換だけで使える」という考え方をしてしまう。
某メーカーはそれくらい極端な趣味性の強さで人気を博している。その事実に、意味のない汎用性から抜け出せない日本バイクメーカーは、目を背けてはいけない。
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text:大鶴義丹/Gitan Ohtsuru
1968年生まれ。俳優・監督・作家。知る人ぞ知る“熱き”バイク乗りである。本人によるブログ「不思議の毎日」はameblo.jp/gitan1968
text:大鶴義丹/Gitan Ohtsuru
1968年生まれ。俳優・監督・作家。知る人ぞ知る“熱き”バイク乗りである。本人によるブログ「不思議の毎日」はameblo.jp/gitan1968